第13話

 佑介は何度も深呼吸を繰り返した。車が到着した。松戸の車と続いて深川由紀子の車。佑介は左胸に手を添える。車のドアが開く。助手席から跳ねるようにでてきた少女は佑介を見ると微笑んだ。

 佑介は長い息を吐いた。

「大丈夫だ。大丈夫だ。舞子は嫌がっていない。自分の意志だ」

 佑介は舞子に近づいて行った。

「来てくれて、ありがとう」

 舞子は佑介の手をとった。

「約束、したから」

 舞子は少し体を震わせた。

「深川さん、今日はちゃんとお化粧して髪もしてもらっているね」紗枝が顔をほころばせた。

「最初、病院で会ったときはどうしようかと思ったけどね」葉子が笑った。

「ちょっと。聞こえるよ」

 紗枝が肘で葉子をつつく。

「いけね」葉子が舌を出す。

 空は今にも降り出しそうな曇り空だった。開場までまだ時間があるのに、外はもう暗くなっていた。

 昨日まで真夏日だったのが嘘のように風が吹いている。

 こわばっていた佑介の体はほぐれていった。心臓の高鳴りもおさまっていき、左胸に添えていた手も離れた。呼吸も正常にもどっていく。したたり落ちていた汗もとまった。佑介は両手を握ったり開いたりしてみた。痙攣も消えた。体の痛みも消えた。

「寛、まだリハまで時間あるだろう。ちょっとあそこのイスに座っていていいか。ちょっと集中したい。時間になったら呼んでくれ。それまでそっとしておいてほしい」

 談笑していた寛に佑介は言った。聞いていた葉子と紗枝もうなずいた。

 佑介はひとり離れたところに座り、ゆっくりと目を閉じた。佑介はそのまま深い眠りについた。いびきもなく、寝息もほとんどたてない眠りだった。

 佑介は昨晩まったく眠れなかった。朝はやっと起きたものの全身が筋肉痛のようにとりつかれた。だが今の佑介にはまったくなかった。本番まであと数時間前の出来事だった。


「おい、佑介。リハーサルの時間だぞ」

 寛が体を揺すると佑介は目を覚ました。

「お前、寝ていたのか」

「バカ言え。瞑想だ」

「嘘つけ、寝ていただろう」

 佑介は寛を振り切って立ち上がった。大人しく待っていた舞子と目が合う。佑介は頷くと舞子も頷いた。舞子は笑美の肩に手を触れる。舞子と笑美は立ち上がった。

 佑介は大きく息を吸って、大きく吐いた。

「行こう」

 規定通りにリハーサルを行う。音響やライトを確認して終わらせる。

「佑介、なんか元気がなくない。もう本番なのに。大丈夫かな」

 葉子が紗枝に囁く。

「きっと、大丈夫だよ」紗枝は葉子に言った。


 開場されて客が入ってきた。続々と席が埋まり、すぐに満席となった。

 開演のブザーが鳴り、ステージの幕が開く。歓声と拍手が起こり、司会者がでてくる。続いて審査委員長の清原優陽が中央に立つと、客席は大きく盛り上がった。日本を代表するロックスター。音楽をやらない者でも誰もが憧れるカリスマ。

「今日は楽しみです。将来有望の素晴らしいアーティストがここから巣立ってくれることに期待しています。そして、今ここにいるお客さんも」

 一呼吸。

「おおいに盛り上がって、一緒に楽しもう」

 拳を突き出すと、客席は一気に湧いた。

 ステージ裏でもその揺れは感じられた。声も聞こえる。緊張感が一気に増していく。舞台を挟んで、誰も一言も発しない。

 佑介のバンドは最後から二番目。トリは同じ東京代表のブルーレイン。

 佑介は静かに出番を待つ。

 北海道代表、サインオブザタイムスから演奏が始まった。


 バンド紹介が次々とされて、バンドが次々と演奏を終えていく。

 佑介は目を開けて、目の前の光景をただ見ていた。

「カリスさん、お願いします」

「次のバンド、カリス通ります」

 呼ばれた。

 佑介はメンバーを集めた。

「朝霞、演奏の前にちょっとスネアでリズムとってくれないか。その間、みんなはなにもしないでくれ。オレが合図したら始めてくれ。なに、すぐに終わらせる」

「ちょっと、アンタ、なに急にそんなこと言っているの」

 葉子が言うのを遮って佑介が頭を下げる。

「頼む。すぐに終わらせる」

 紗枝はため息をひとつ。

「それは、やらなくちゃいけないの」

 佑介は頭を上げる。

「ああ。絶対に必要だ。やらなければ、絶対に後悔する。後悔したままライブをするのは無理だ」

「わかったよ」

 寛も頭をかいて黙っている。

「カリスさん。急いで」呼び声が大きくなった。

 司会者がカリスをコールした。

「行くぞ」

 佑介は大きな声をあげた。

「ふっ、最後まで勝手な男だ」葉子は佑介の横顔を見て微笑んだ。

 まぶしい光の中心に佑介は降り立った。


 前に出演していたバンドの興奮さめやらぬようでざわめきが止まらない。

 紗枝は佑介に言われたとおりにスネアドラムとタムを叩く。メンバーも黙って佑介を見守る。

 佑介は目を閉じて、静かになるのを待った。その静寂に耐えられなくなって口笛を吹く者に佑介は睨みをきかせる。

「みんな、聞いてほしい。実はこのバンドの優勝はすでに決まっている出来レースだったってつい一週間前に聞いた。確かな情報。オレはそれを聞いてしばらく立てなかった。もうこの大会に出るのも嫌になった。そうだろう。ここで優勝するのを人生の目標のようにしていたのに、すでにやる前から優勝が決まっていただなんて」

 客席もその場にいたスタッフまでが騒然としだした。紗枝はリズムを壊さずに叩き続ける。寛と葉子も佑介を見守ったまま微動にしない。舞子と笑美はじっと佑介の合図を待った。

「そして、残念ながらそのバンドはオレのバンドじゃあない。だけど、それでもオレはやります」

 はっきりとした、いろんな声が聞こえだした時、佑介が跳ねた。

 音が弾けた。佑介は挑発的に速弾きをした。会場が圧倒されたところで佑介はバックステップをして舞子と笑美を前に促した。

 紗枝が力強くバスドラムを打ちつけた。

 佑介が一呼吸。



 通り過ぎ行く日々、街並みの中

 人はいろんな想いを持ちながら

 誰かの支えを信じて生きていくしかない


 閉塞された今、呼吸しなくてはならない

 世界は今、僕が歌っている前で踊る君を

 人生の支えにすることで成り立っている


 僕は君がずっと好きだ

 しばらく会えなかった君はイジメに遭い

 精神病院に入院してしまった

 さすがに僕は動揺したけれど

 君を好きな気持ちはずっと変わらない


 守れなかった僕は死んでしまいたくなった

 だけど、君は今も差別の目に苦しんでいる

 これからの君を守りたい

 だから、このステージに連れてきた


 どうだい、みんな美しいだろう

 どうだい、みんな憧れるだろう

 これが、僕の好きな人だ

 僕はこれからの君を守りたい


 ギターソロ


 通り過ぎ行く日々、街並みの中

 人はいろんな後悔をしながらも

 明日の希望を信じて生きていくしかない


 閉塞してしまった原因はなにかわからない

 世界は今、ささいな争いばかりを繰り返す

 自分の利益や怒りばかりを気にして

 純粋に誰かを好きになってくれ


 しばらく会えなかった君をなんとか救い

 精神病院から退院させたい

 責任を僕が全部請け負うから

 君を好きな気持ちだけで生きていきたい


 守れなかったらどうするんだと責められる

 だけど君はいつも差別の目に苦しんでいる

 僕が守らないで誰が守る

 だから、このステージに連れてきた


どうだい、みんな美しいだろう

 どうだい、みんな憧れるだろう

 これが、僕の好きな人だ

 僕はこれからの君を守りたい


 どうだい、みんな美しいだろう

 どうだい、みんな憧れるだろう

 これが、僕の好きな人だ

 僕はこれからの君を守りたい


 こんな世界のために踊ってくれ

 天上人を岩戸から出すように魅惑的な

 踊りをみせてくれ

 今度は君が世界を守るんだ



 佑介はギターをかき鳴らす。止まらなかった。なぜなら舞子のダンスはキレを増し、もっと踊ってほしいとせがむような顔をみせるからだ。演奏規定時間を大幅にオーバーしていく。運営にも支障がでてしまう。佑介のバンド、カリスはラストではない。この後にも控えているバンドがあるのだ。

 バンドメンバーは誰も演奏をやめようとしない。佑介の合図を待っていた。それまでは誰もやめる気はなかった。なによりも舞子が躍動している。その姿は圧倒的だ。ステップ、ターン、プロのような洗練されたものとはほど遠い、むしろ別物だった。優雅で麗しく、興奮させつつ癒しも与える動きだった。

 客席の反応は演奏に盛り上がっている者もいるが、ほとんどは舞子のダンスを魅入っていた。舞子のダンスで涙する人もいる。スタッフも舞子のダンスの虜になってしまう。

「この演奏をとめる前に一度あの子を見てみろ。あんなの見たことないぞ」

「あのボーカルが最後に言った古事記のアメノウズメの踊りって、まさにこれのことかもしれない」

「なにをしているんだ。それじゃいつまでたっても終わらないぞ。いつまでやっているんだ」

 ステージ脇から怒鳴り声が聞こえる。

「おい、ふざけるな」

 佑介は無視した。

「まだ、舞子が踊っているだろうが。そうだ。力尽きるまで踊っていていいぞ。今、世界はお前のためにあるんだ」

 佑介がマイクでそう言うと、突然音が切れた。スピーカーの残響がこだまする。

 スポットライトがひとつずつ消されていく。

 佑介の体がぶるりと震えた。膝が痙攣する。

「あ、あ、ああ」

 あまりの時間の長さに強制的に終わらせられた。運営人物がステージ中央に歩いていき佑介からマイクをとりあげた。

「あのときと」

「あ、なに。君ね、いつまでやっているんだ。少なくともプロを目指しているんだったら」

「あの時と、同じだ。あの時もオレは」

 佑介は膝を床に落とした。顔がゆがみ、涙があふれてくる。

「あの時も、そうだった。オレたちのバンドを突然やめにした。みんなして、オレを、オレを」佑介は声を詰まらせる。

「あの時も、あの時も。ぐっ、くそっ」嗚咽する。なにかが体の奥からこみあげてくる。

「うおっうあああ。あああ、ああ」

「なにしているんだ。はやく立ちなさい。まだ後のバンドが控えているんだぞ。ホラ、君たちもなにをぼうっと突っ立っているんだ。彼を起こすのを手伝いなさい」

 その声だけがこだまする。客席は静まり返っていた。誰もなにも言わない。

「あ、ああ」

 佑介は目を見張った。もう少しで汚物を吐き出すところだった。それは一気に押し戻った。

 佑介の指先が震えながらも前に伸びていく。

 舞子は音が止まった時、ダンスも一緒に止めていたが、佑介に目をやると姿勢を戻した。

 舞子は笑美と目を合わせる。

 ステップが踏まれる。その舞台を踏む音だけが会場に響く。スポットライトは消されているが薄っすらとした光だけは残っている。前列だけがそのダンスを確認することができる。ダンスを見ることができる。

 佑介は起き上がり、後ろへ駆ける。飾りのためだけに置いてあったアコースティックギターを手に取った。

「君、なにを」

 佑介は手を払いのける。

「ラララ、ラララ、ラララ」

 佑介はそれだけ歌い、手を止めると、舞子はダンスを終わりにした。ぴたりと舞子と笑美の呼吸が合い、足が揃って止まった。舞子は後ろを振り向き佑介に目をやった。

 舞子と笑美は客席を向き、礼をした。とてもまっすぐな、見ている者をため息つかせるような礼だった。

 佑介の体の震えはなくなっていた。

「あの時と同じだ。あの時も舞子はオレを救ってくれた。あの時も舞子がいなければ、オレは生きていられなかった。あのときもそうだった」

 佑介の視界は涙でぼやけ、舞子の後姿をよく見ることができなかった。

 佑介たちがステージを降りると盛大な拍手が起こった。歓声が止まらない。舞子の名前を連呼する声がする。

 最後のバンド、ブルーレインが登場しても一部の熱狂的ファンを除いては、もうほとんど聞く耳を持っていなかった。話題はカリスのことだけだった。小声も広がると大きな声になって気になってしまう。ブルーレインは苛立ってきた。ただでさえ待たされたあげくにこの雰囲気だ。

 演奏は怠慢で楽譜をただなぞるだけのものになってしまった。ボーカルも声が全然張っていない。客席の誰もが「いつの間に最後のバンド演奏が終わっていた」という感想になってしまった。


 すべてのバンド演奏が終わり、審査発表となった。各バンドメンバーがステージ上にあがっていく。佑介は寛に支えられながらも、なんとか歩いていった。立っていられなかった。ずっと泣き通しだった。涙がずっと止まらない。客席からも佑介の涙を見てもらい泣きする人もでてきた。

 舞子と笑美は控え室で松戸と一緒にいた。もし呼ばれることがあったら出て行くことにした。ふたりとも憔悴しきっていたからだ。

 ステージ中央に清原優陽が立つ。

「えー。今回は非常に楽しい大会でした。途中ハプニングもあり、ロック魂をみせてくれたと思います。大人びた成熟したものより、やはり青春の衝動みたいな、今しかないもののほうが面白いと実感したとともに、原点回帰できた、自分にとっても、いい刺激となれた、すごくいい大会になったと思います」

 清原はバンド一組ずつに目をやる。そして再び客席に振り返る。

「それでは発表します。今回の優勝バンド」

 ドラムロールが鳴り、サーチライトがステージを一周照らす。

「ブルーレインです」

 会場は騒然となった。

「やっぱり、カリスが言った通り、出来レースかよ」「なんだよ、それ」「やっぱりそうかよ」「今日の演奏で決めるんじゃないのかよ」「今日のブルーレインなんて全然記憶にないぞ」ブーングが客席を包む。

 佑介は立っていられなくなって座り込んでいた。天井をみつめた。

「ああ、もうこんな大きな会場でライブをやることはないだろうな」

「なに言っているんだ、佑介」

「結果にこだわってやってきたけど、あんなことやっていちゃ、やっぱりダメだよな。でも、どうでもよくなった。本当にどうでもいい。もう終わったよ」

「佑介」

 ブルーレインがプロへの切符となる賞状と大きなトロフィーを受け取って掲げるも、ずっとブーイングは止まらなかった。ブーンイグをやめるよう館内放送もされたが無駄だった。ブルーレインと清原優陽は苦虫を噛む笑顔をつくりながら平静を装った。

 佑介たちカリスは特別賞という賞状と小さなトロフィーをもらった。佑介は手にとって、ふっと笑うだけだった。

 大会は終わった。


 あれから一年が経過した。

 佑介は今もスーパーでのバイトを続けている。葉子はデパートの衣料品売り場で働いている。とてもバンドでメジャーデビューを目指していたとは見えない。接客もとても丁寧で社内でもとても評判がいい。寛は心理療法を学ぶためにアメリカに留学していった。十代では引っ込み思案で人前ではなにも言えなかったのとは別人となり、積極的に議論をし注目を浴びるようになった。紗枝は介護職につくため学校に入った。非正規労働だが、舞子のいる病院で働くことが決まっている。

 舞子は今も病院の中にいる。

 今では退院することもあり、通院することもあるが突然の発作が起こると長期入院せざるをえなかった。笑美は今は退院して、親とひっそり田舎で暮らしている。もう東京にでてくることもダンスをすることもなかった。笑美はもうダンスを忘れてしまった。農作業を一生懸命にしてすごす毎日だった。


 夏休みを利用して寛が帰国することになった。久しぶりにバンドメンバーと会うことに鳴った。それまでみんななんとなく音信不通になっていた。佑介と寛と葉子と紗枝が揃うのはあの大会以来だった。

 たわいのない会話の中、話題は佑介の今後と舞子の話になった。

 みんなあの大会で歌った歌詞を思い出した。みんなが口を揃えて言ったのは

「もう一度、佑介はカリスを再結成させること。そのメンバーは佑介と舞子のふたり」

 佑介はその話を拒んだ。

 もう歌えないと執拗に断った。

「佑介。私、本当は佑介が好きだったんだよ。だからなにがあっても佑介を信じていた。終わるまでは強かった、全力を出し切る佑介がすごく好きで。だけどいえなかった。だって、佑介はそれよりもっと好きな人がいたんだから。だって、あんなみんなの前で好きだって守り続けるって言うんだから」

 言ったのは葉子だった。

 葉子は泣いていた。

「オレはお前が好きだった」

 寛が言うと「なに勢いで言っているの。だめよ、そんなの」と紗枝が笑った。

 佑介は小さく返事をした。

「ありがとう」

 みんな黙ってしまった。

「みんな、まだ時間あるだろう。久しぶりに音を合わせないか。それで自信がついたら、舞子に会いに行くよ」

 みんな笑顔で立ち上がった。

「佑介、深川さんは今も佑介をずっと待っているよ」紗枝が佑介に囁く。

「今までずっと勇気がなかったんだ」

 貸しスタジオで最初に演奏されたのは、ビートルズのHELP!

 一年もたっているのに不思議なほど息があった。感覚を誰も忘れていない。


「このバンドで音楽やって、よかった。勇気が湧いてくる」

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