第8話

予選の日を迎えた。

待ち合わせの駅改札口では祐介が一番に来ていた。

紗枝が姿をみせると祐介が駆け寄り紗枝の肩を叩いた。肩を抱こうとすると寛が現れたので、祐介は寛のところに走り、握手を求めた。

握手をしながら寛は紗枝と目があった。紗枝は肩をすくめた。

時間ギリギリになって葉子が来た。祐介は同じように葉子の元へ行った。

祐介は両手をあげてハイタッチを求めた。葉子は勝手がわからず戸惑っていると、祐介は両手をグーにして葉子に向けた。葉子が眉毛を八の字にして「はぁ」と語尾を強めて言うと祐介は「知らないのか。お前も両手をグーにしてオレのと、ぶつけるんだよ」「嫌だよ、そんなの」と葉子が顔を背けると「やれって。みんなやっているんだから」と祐介が強調した。

葉子は顔を地面に向けながら両手グーパンチを祐介にすると、寛と紗枝が大爆笑した。

「あー、こらぁ」葉子は真っ赤になって寛を追いかけた。「誰もやってないよ、そんなこと。葉子だけだよ」寛は葉子に叩かれながら笑い続けた。

 紗枝は祐介を見た。祐介は紗枝に見られているのに気づくと合わせるようにして笑った。紗枝からは笑顔が消えて、はしゃぎ続ける葉子たちを横目に荷物を抱えた。

「祐介、なにかあったの」改札を抜けると紗枝が祐介の背中ごしに声をかけた。

 祐介は振り向いて紗枝の顔をみたが、なにも言わずにまた前を向いて歩き出した。紗枝は祐介が振り返ったときに目があったとき足が止まった。紗枝の後ろを歩いていた寛がぶつかった。

「いってぇな、なんだよ」寛はめがねを押さえて声をあげた。

「ううん、なんでもない。ごめんね」紗枝は寛を見ないで、ただ歩いていく祐介の背中を見続けていた。

 祐介は電車の中では無口になった。紗枝には上の空に見えた。目を薄っすらと開けてしきりに貧乏ゆすりをした。息をゆっくりとしていた。葉子と寛はいつものように変わらず喋っていた。

 電車を降りて会場に向かう途中にまた祐介は陽気に無意味に笑い出す。寛の肩に手をまわして「がんばるぞ」を連呼する。拳を高々とあげる。

 葉子と紗枝は笑えなかった。祐介が大きな痙攣のような震えを時折見かけるからだった。陽気さが続かないと顔色はすぐにこわばる。

 東京代表は二組。バンドコンテストがはじまる。

 会場裏では本番前から泣き出す人や、ケンカが絶えないバンドがみられた。どこもまともにはみられなかった。異様な空気が流れる。会場から聞こえる声援や怒号。ヤジも多い。ミスするバンドが次々続く。

「うわあ、やべえ。すげえ盛り上がってるよぉ。やべえよぉ」

「やめて、そんなこと言わないで」

 誰だかわからない者どうしが言い争う。

 祐介は深呼吸をした。

「おい、寛、葉子、紗枝。この雰囲気、前にも味わったことあったよな」

 祐介の額から流れる汗がとまった。指の痙攣がとまった。もう一度息を深く吸い込み、大きく吐いた。

「みんなもやってみ。落ち着くぜ」

 みんなで深呼吸をする。

「深川舞子に会いに行ってよかった。みんなもそう思うだろ」

「委員長をここに呼びたかったんだろ」葉子が祐介に言った。

「いや、もう来ているのも同じさ。オレはもう本選決勝に出ているのと同じ気持ちで演奏できる」

 次々とバンドが演奏される。祐介たちのバンドの出番が次と迫る。

 演奏途中で音が途切れて止まってしまった。ライトが急に消えた。

 途中で演奏が終わってしまい、泣きながら急ぎ早にバンドメンバーが祐介の前を通り過ぎる。

「こういうことは続くんだ。連鎖になるぞ」佑介の後ろでさらにつぎのバンドの男が声をかける。

 佑介は不遜の笑顔を浮かべる。

「ふふ、こういう場はもう慣れている。似たような場所でもっとひどい失敗をして、今はそれを取り返そうとしているんだ。もう、負けねえんだ。他の、お前らとは覚悟が違う」

「なんだと」バンドの男が声をあらだてる。

「ちょっと、佑介やめてよ。出番は次なんだから」紗枝が佑介の腕を引っ張る。

「ふふふ、勝ったも同然」

 コールされた。

「次はザ・ユウスケバンド」

 それを聞いて寛は腰からくずれた。

「な、なんだって」

「これ、私らのバンドの名前なの」

「だって、お前らなかなか名前決めないんだから、勝手に登録しちゃったよ」佑介は笑いながら平然と答えた。

「だからって、これはないよ。佑介ウィズおれたちみたいな」寛は顔を平手ではたいた。

「ほら、もう呼ばれちゃったんだから、しょうがないよ。行かなくっちゃ」

 紗枝がみんなの背中を押した。

 葉子は体全体を揺らしながら笑って入場した。その笑っている姿に観客はどよめいた。

 葉子は会場を見て咳払いをした。

 佑介が一息ついた。

 寛が紗枝を見て頷く。

 紗枝がスティックでリズムカウントをとる。

 葉子が演奏しながら、表情に笑みが浮かぶ。紗枝を横目で見るとリズムの合間で葉子に向かって指差した。そして佑介にアゴで促す。葉子は佑介を見た。

 佑介は躍動していた。ギターを弾き、歌い、その上、踊っていた。足で軽快なステップを踏んでいた。引っ込み思案の寛もつられて踊っている。

 今までライブや練習で頑なに完璧を目指した結果、この舞台では、今まででは考えられないほど、ミスがない。葉子は上を見上げた。まぶしい照明、前を見れば遠くの観客の顔までひとつひとつ見える。小さいライブハウスでも観客なんて見えなかった。

 間奏になると佑介が葉子に手招きした。葉子は駆け寄った。思わずはしゃいだ。長い髪を振り乱して跳ね回った。目を閉じても体が音符を覚えている。

 観客のボルテージがあがる。プログラムを見直して、出ているバンドを確認する。初めてみるバンドに興奮している。

 男は拳を振り上げて、女は手を振る。

 審査員も目を見張った。周囲があわただしくなった。

 佑介は終始笑顔だった。寛の肩を叩いて、親指を立てる。

 演奏が終わる。最後に佑介は大きくジャンプ。

「最高だ。今まで生きてきた中での最高の音だ。ここで生まれた音です。ありがとう」

 佑介はそう叫んでステージを終えた。

 会場はいつまでもざわめきは収まらなかった。

 舞台から降りるとスタッフに佑介が呼ばれた。葉子と紗枝は顔を見合わせる。寛はその様子を確かめることもなく、ゆっくりと機材を片していた。

 参加バンドの演奏がすべて終わった。大きな舞台であったが参加バンドが全員立つととても狭い。佑介たちは押されながら一番端っこの後ろにいた。舞台上で立っているのがやっとだった。

「こんなに全員立たせる必要があるのかよ。代表の佑介だけ立っていればいいじゃないかよ。こんなの出たくないよ」寛が人に押されてめがねがずれるのを気にしていた。

 舞台中央にふいに現れたのは清原優陽だった。小学生から老人まで世代を選ばないファンのいる日本ロックのパニオニアであり、スーパースター。

 会場の客はもちろん主演バンド全員が来場することを知らされていなかった。会場はざわめきから大歓声にかわった。

 押されながらも佑介は優陽をなんとか視界に捕らえる。

 颯爽と手を振りながら歩く様は強いオーラが漂っているように誰の目にもそう映る。

 その優陽そのものではなく佑介の視線は優陽が握っている封筒に似た白い紙に釘付けだった。中央マイク前に立って優陽は持っていた紙を広げる。佑介がツバを飲み込む。

「全国ロック大会、東京代表二組を発表します」

 佑介は前を見られない。貧血を起こしたのか、目を開けているのに目の前は赤黒くなっている。歯を食いしばり、手を合わせる。

「神様、もう一度、委員長に会わせてくれ」

「一組目は、ザ・ユウスケバンド」

 会場がどよめく。

「きゃああ」紗枝が金切り声を上げる。

「なに、どうしたの」葉子が耳に指を突っ込んでいぶかしげな顔を向ける。

「なにって、私たちのバンドが東京大会優勝よ、予選通過して、全国大会行けるのよ」紗枝が両手で葉子の手を握り締めて、跳ね飛ぶ。

「あ、そうか。オレたちのバンドの名前ってユウスケバンドだっけ。聞きなれなかったからわからなかったよ」座っていた寛は膝を叩いて立ち上がった。

「ちょっと、佑介どうしたの」葉子が口に手をあてる。佑介は倒れてしまった。意識はある。

「悪い、寛、ちょっと行ってきてくれないか。オレはとても行けない」

「バカ言うな、リーダーはお前だろ。オレ、ああいうのガラじゃないし、苦手だって。お前中学のときから知ってんだろ」

「お前は」佑介は辟易する寛に苦笑いをする。

「葉子が行けよ」寛が舞台中央を指さす。

「なんで私なんだよ」

「ユウスケバンド、いませんか」アナウンスが流れる。

 横で佑介たちの様子を見ていた男が睨みつける。

「お前ら、呼ばれているバンドだろ。なんだよ、辞退するのか」

「すいません、なんかショックで代表が倒れちゃって」紗枝が膝に佑介の頭を乗せる。

「け。情けないな。それでよく優勝したな」

「ホラ、葉子行ってきなよ」紗枝が言う。

「だから、なんで私が」

「だったら葉子が佑介を介抱するの。だったら私が行くけど」

「誰が。わかったよ」

 葉子が歩いていくと、その後ろに寛がついて行った。

「なんでついてくるのよ」

「いいだろ。ホラもう声だすな」

 葉子は賞状を受け取り、寛は記念品を受け取った。

 マイクを葉子の前に出された。

「あ、ありがとうございます」

 そう言うのが葉子は精一杯だった。葉子の姿に歓声がする。長い黒く美しい髪をなびかせて黒い服を身にまとう姿に特に女性からの声援が多かった。ふたりは固まったまま、また舞台端に歩いていった。

「続いて、二組目のバンドを発表します」

 清原優陽が再び、紙の中身を確認する。

「ブルーレインです」

 発表されると客席から大歓声が起こる。佑介たちとはぜんぜん違う反応だった。

「きゃああ、ヒロキィ」手を振りながら失神寸前になる女子高生。

「タケル様ぁ、よかったねえ」涙を流して喜ぶファンもいる。

 舞台中央に貫禄を見せつけてブルーレインメンバーが登場する。手をゆっくりと上に振りながら、フロントマンヒロキが賞状を受け取る。物怖じしないどころか、予選通過は当たり前という風格。

 紗枝に支えられながら、舞台からは降りようとせずに、ブルーレインを見ていた。

「さすがだね。もう決まってるよ」

「ちょっと、佑介、汗がすごいわよ」紗枝が頭を少しさすっただけで手に汗がたまっている。

 佑介は微笑みが絶えなかった。実は佑介は高熱だった。いつから熱が出ていたのか佑介自身気づいていなかった。


 佑介はその後のことをよく覚えていない。佑介の様子ではとても電車では帰ることができずにタクシーで帰ることになった。佑介を除く三人がお金を出し合ってなんとか間に合わせた。佑介は体を尋常ではないほど震わせていた。予選通過バンドとスタッフの交流会もあったようだがキャンセルした。

「しかし、よくぶっ倒れるヤツだ。前倒れたのいつだっけか」

「委員長に会いに行ったときだろ」

「そうだ、そうだ。コイツこういう場面に弱いのかね」

「ちょっと。騒がないでよ。重病人なんだから。ホラうなされているじゃない」

「そうか。逆にいい夢でも見ているんじゃないのか」

 三人とも予選通過の話は帰りのタクシーの中ではしなかった。佑介の話だけをした。そして時々深川舞子の話をした。

「これであのお姉さんとの約束を果たしたこと、言いにいかなくちゃ」

 紗枝は強く言った。

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