第7話
ライブ活動は精力的に行った。出演料をとられるが生のお客さんの反応を見られるし、ほかのバンドをみて学ぶこともできる。こういうステージに慣れることで本番も同じ気持ちで望めるかもしれない。
演奏中寛がふと顔をあげて祐介を見る。そして再びギターに視線を戻す。その後ろにいる紗枝も時々祐介を見る。
演奏にミスは少なく、ライブをこなすにつれて、音にまとまりがでてきて、明らかに上達している。
葉子は客席をずっと見ている。歌の途中でコードをたぐり寄せて祐介に近づく。葉子はめったにやらないが腕を大きくふりながら祐介を挑発するようなポーズをみせた。
そのとき、わっと観客が沸いた。だが祐介は葉子になんのそぶりも見せずに淡々と演奏をしてマイクに向かって歌った。
ライブが終わる。いつもとかわらない、まばらな拍手。小さなライブハウスで対バンが多いと観客も目当てのバンド以外にめったに声援は送らない。なんのコネもない祐介たちにとって祐介たちのファンはいない。だから当然の拍手。
祐介たちの出番が終わり、次のバンドが歌いだす。寛と紗枝は黙々と楽器を片付ける。
「おい、葉子、さっきのはなんのマネだ」
祐介は葉子に顔を向けずに、ギターをバックにしまいながら言った。
「なんのマネってなによ」葉子が立ち上がる。
「演奏中、オレにつっかかってきただろ。なにやっているんだって言っているんだ」
祐介はため息まじりに言った。
葉子は拳で壁を叩く。
「アンタこそなんなのよ。せっかくのライブでお客さん相手にレコーディングでもしているのかよ。つまらなそうにギター弾いてさ、それでいいのかよ」
葉子は怒鳴った。
「葉子、ほかのバンドがまだやっている。声が聞こえちゃうって」寛が葉子の前に立つ。
祐介はギターを背負って立ち上がった。
「なに言っているんだ、お前は。大会じゃもっと大勢のお客さんがいて、それでも完璧な演奏をしなくちゃいけないんだぞ。ベストパフォーマンス賞じゃ予選を通過できない。まずは予選を通過することが目標だろうが」
「それでも金縛り状態じゃ減点されちゃうぞ。審査はパフォーマンスも加味されている」
「その評価基準は何パーセントを占めているんだ。まずは演奏ありきだろ。事実、お前、オレにつっかかってきたとき意味もなく曲を流しただろ。あれはなんだ、説明してみろ。どうせ勢いとか、考えなしにやったんだろ。それで紗枝のリズムも少し狂って、崩れかけた。寛がカバーしてくれたから持ち直したのすらお前は気づいていないだろ。まずはそういうところを自覚しろ」
祐介は葉子を睨み、ギターを背負いなおして振り返ってドアノブに手をかけた。
「じゃあな、オレは帰る」そう言うと祐介はライブハウスから出て行ってしまった。
紗枝はため息をついた。
「うちら四人しかいないのに、いつもバラバラだよね。話し合わないのに、ケンカばっかりで」
「なんだよ、私が悪いみたいじゃん」
葉子が紗枝の前に仁王立つ。紗枝が苦笑いする。
「ほら、すぐこうやって怒って。話をしようとしないから。葉子も祐介も」
「なんだよ」葉子はふくれる。
「あいつはかなりのプレッシャーを感じているんだろう。委員長のお姉さんに言われたのがよっぽど堪えたんだろう」寛は丁寧にギターをしまう。
葉子は「あの馬鹿」と舌打ちした。
深川舞子に見舞いに行った後日、再び祐介たちは深川家に行った。ただの見舞いではなく、舞子に会う理由を説明しに行ったのだ。
インターフォンの返事に出たのは母親だったが玄関のドアを開けたのは姉の由紀子だった。
「もう来ないでって行ったでしょう。また会いに行きたいって同じことよ。これ以上妹を傷つけないでよ」そう言うなりドアを閉めようとした。
そのドアを祐介はつかんで抵抗した。
「待ってください。目的を聞いてください」
「なによ、目的って」
由紀子はめんどくさそうに手を離した。
「オ、僕たちはバンドを組んでいて。それでま、舞子さんにメンバーになってほしくて、こうして来たんです」
祐介はそむけがちな顔を堪えて由紀子の目を凝視した。
「は」由紀子は髪をかきあげてツバを吐いた。
「なんだって」
「ですから、舞子さんに仲間に入れたいんです」祐介は震える声で言った。
由紀子は祐介の後ろにいる寛たちに目をやった。
「あんたらも同じ意見かい。揃いも揃って、頭が悪いのばっかりだな」由紀子は嘲笑した。
「妹の状態をみただろ。まともに話すことすらできないのに、なにが仲間だ。なにがバンドだ。幼稚園の子供だってそんなこと無理だってわかるよ。大体あの病院からだって出られないのになに言っているんだ」
由紀子はドアノブに手をかけてドアを閉めようとした。
「待ってください。病院といってもケガや病気でもない。あんなところに閉じ込めていたって治る見込みはない。だったら病院の先生を説得して退院させます」
由紀子は顔を震わせた。こめかみが痙攣をおこす。顔を上げると真っ赤になっていた。
「生意気言うんじゃないよ、あんたら。あんたらには舞子のつらさがわからないのかよ」
由紀子は叫んだ。
祐介は圧倒されながらも持ちこたえた。
「帰りなさい」由紀子はドアを閉める。
祐介は手を差し込む。だけどなにも言えない。
「警察呼ぶわよ」由紀子がすごむ。
「待ってください」紗枝が後ろから手をあげる。
「なぁに、おデブちゃん」由紀子は蔑視を紗枝に投げかける。
紗枝は一度つばを飲み込む。
「あの、私どうしても信じられなくて。中学のときには、あんなに明るくて勉強もスポーツもできて生徒会委員長もやっていたのに、それが今はあんなふうになってしまって。会わない間になにがあったのか。どうしてああいうふうになってしまったのか信じられなくて。面会したとき、あまりにも変わり果てて言葉を失ってしまいました。ここにいるみんなそうだったと思います。聞いていたけど、やっぱり見てみると想像とはあまりにもかけ離れていて、正直びっくりしてしまい、話なんてできるわけがなかった。お姉さんの言っていることもわかるけど。だけど信じられないということばかり溢れてしまったんです」
紗枝が胸に手をあてて言った。
「それで」由紀子は紗枝を睨む。
「教えてほしいんです。どうしてあんな入院するようにまでなってしまったのか。私たちは知らないんです」紗枝は叫ぶように言った。
由紀子は横を向いてため息をついた。
祐介は左胸を押さえた。
「あの子、高校でいじめに遭ったのよ。ひどいいじめよ。無理して私立のいい学校にいったものだから、幼稚園からそのままあがってきたお嬢様連中にやられたの。でもあの子、生徒会をやるようなまじめな性格だったから一所懸命にあの子なりに取り組んだわ。だけど駄目だった。先生も誰も舞子に味方してくれる人はいなくて、最後は先生までもグルになっているふうだった。家では家族に心配かけないようにと無理して明るく振舞っていたわ。とてつもなく、あの子は孤独だった。体にはたくさん傷があった。殴られたような、切られたような。高校二年の冬に捨てられたように橋の下で倒れているのがみつかってね。病院に運ばれたとき、すでに以前の舞子じゃなかったわ。今の舞子になってしまった。それが理由よ。わかった」
由紀子はのどをつまらせた。
祐介は足元がおぼつかなくなって、後ろへよろめいた。
「そ、そんな」葉子も口元を手で押さえた。
「あの、深川さんをそんなふうにさせた犯人とか生徒とか責任追及はできなかったんですか」寛が祐介を支えながら言った。
「すぐに私と母が学校に訴えたわよ。だけど証拠もなにもないし、いいようにされたわ。警察だってなにもとりあってくれなかった。クラスからは見舞としてお金がたくさん送られたけど、それも形だけ。体のいい口止め料でしょう。いいようにされておしまいよ」
「か、金で手をうったのか」祐介が叫んだ。
由紀子は平手で祐介の顔を張った。
「馬鹿なこと言わないで。アンタみたいなガキになにがわかる」もう一度逆頬を殴った。
「それから脅されたり、恐ろしい目にばかり遭ったわ。もう諦めるしかなかったのよ」
もう一度殴ろうとする由紀子を葉子がとめた。
「もう、わかったから。これ以上殴らないでよ。ほら、祐介も謝って」
「最後、舞子は誰かわからない男から犯されていたのよ。舞子は、舞子は、どんな恐ろしい目に遭ったか。あんなふうにまでなってしまうまで、舞子がなにをしたっていうのよ」
由紀子は泣いていた。葉子をふりきって祐介を叩いた。
祐介も叩かれながら泣いた。嗚咽して少し吐いた。
紗枝は涙を堪えながら由紀子の手をつかんで言った。
「私たち、どうしても舞子さんが必要なんです。今、私たちは夏に大きな大会を控えているんです。春の予選には間に合わないかもしれないけど、夏までには参加してほしいんです」
「はっ」由紀子は吐き捨てるように笑った。
「なに言い出すかと言えば」ドアによりかかりながら低い声で言った。
「お願いします」
祐介は泣きながら頭を下げた。
由紀子は顔を背ける。
祐介は再び頭を下げるが、由紀子は動じない。
「お願いします」
今度は土下座した。
「祐介」葉子は祐介を見下ろした。
「オレは諦めない。オレを助けてくれた恩人をずっとあんなところに閉じ込めておくわけにはいかない」祐介は歯を食いしばる。
「言うじゃないの」
由紀子のドアを閉める力が弱った。
「さっき、予選もあるっていったね。それはどんな規模なの」ドアが開いていく。
「予選は東京大会で二組。あとは北海道、東北、関東、北陸、中部、近畿、大阪、中国、四国、九州、沖縄で各一組。それで全国大会があります」後ろから寛が答えた。
「東京が一番楽そうね」由紀子が寛に目を向ける。
「いえ、東京大会が一番の激戦区です。一番エントリーが多く、レベルも違う。例年、東京大会で一位が全国大会でも優勝しています。僕たちは今までなにも実績がないので参加するだけでも大変な審査があって、やっと通過したのです」寛はめがねを人差し指でおさえながら言った。
「ふうん」由紀子の前に祐介が対した。
「なら、東京大会で優勝してみなさいよ。二位じゃダメよ。それが最低条件よ。そしたら考えてあげるわ。どれほど本気で言っているのか結果をだしなさい。それまで面会はなしよ。東京大会の結果だけを報告に来なさい。それ以外ではもうここに来ないで。正直、もうあなたたちとは会いたくはないから。わかった」
由紀子ははじめて微笑みをみせた。
「はい」
祐介は涙をふいて大きな声で返事した。その直立不動での姿勢は葉子には可笑しくてたまらなかった。
「だけど、舞子の気持ちを第一に考えてよ。舞子が無理だったら、絶対駄目だから。今の舞子にとってはあの病院で過ごすことが一番の幸福かもしれないってことを考えなさい。自分たちと同じだとは思わないで。じゃあ、ね」
そう言って由紀子はドアを閉めた。
「予選通過してから委員長を誘うのか。それから練習して間に合うのか」
祐介は思い出したかのように慌てて再度インターフォンを押そうとするが、後ろのメンバー全員に止められた。
「今更もう遅いだろ」寛が祐介の腕を引っ張ると力なく祐介は従った。
寛に引っ張られながらも祐介は何度も振り返った。
祐介はそれからさらに寡黙になった。無駄口ひとつ言わなくなった。自分のギターとだけ顔をあわせて過ごした。
左手の指は何度も血マメができては破かれた。指は中学の頃から何度もマメができては潰れ、すっかり硬くなってきたが、最近はさらに別部分にマメができた。
声を押し殺しても悲痛な叫びは漏れる。その度に演奏がとぎれたが、その都度祐介は続けろと促した。
指が痙攣をはじめたり、手首が固まったりした。祐介はもんどりうってのた打ち回る。
休憩すると苛立ちを隠せず、ペットボトルを投げたり蹴ったりした。
祐介はメンバーからも孤立気味になった。業務的な会話しか交わさない。
練習やライブが終わるとすぐに帰った。黙って帰ることもしばしばあった。
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