第3話
翌日祐介は放課後に顔を出した。校庭では部活動に励む生徒がたくさんいた。中学三年生は秋には大概は引退しているので知っている顔には会わずに済んだ。
校舎に入ると寛が待っていた。促されて向かった先は理科室であった。音楽室、視聴覚室などはすでに他クラスなどの文化祭準備などで使用されていて、バンド練習として使えるのはメイン校舎から少し離れていて、コンセントもあって、防音も多少は効く理科室が選ばれた。難点は動かせない机のせいで狭いということだけであった。
理科室は寛が提案して、その使用を紗枝が担当した。理科の先生とは懇意なこともあるが、なにより紗枝はすべて正直に話した。理科の斉藤先生はすべてを理解した。それは後押しともとれた。
そのことを祐介に話すと、祐介は不機嫌になった。
「それで楽器はどこにあるんだよ」祐介は見回した。
葉子は膝で祐介の尻を持ち上げる。
「なにいきがっているのよ」不遜な笑いを浮かべる。
祐介は尻をなでながら口ごもった。
「これから兄貴の大学まで取りに行くんだよ。甘ったれているんじゃないよ」
葉子は祐介の背中を叩いた。
電車を乗り継いで大学へ向かった。全員無口だった。祐介は電車ドア付近に立って夕暮れに染まる流れる町を見ていた。唇が震えるのを堪えようと強く結んだ。
俯いてなにを考えているのかわからない寛、教室の佇まいと同じように外を見ている葉子、眠っているか目を閉じている紗枝。座っている三人を見ると祐介は微笑んだ。
大学では葉子の兄はめんどくさそうに対応した。バンドをやっている友達を紹介して中古品のギターとベースを譲ってもらえた。文化祭が終わったら返すことを約束した。
大学生たちは終始爽やかな笑顔だった。祐介は緊張して顔をまともにあわせられない。ギターを受け取っても軽く会釈するだけだった。
紗枝は深々とお辞儀をした。葉子はベースを渡してくれた大学生と肩に手をまわして談笑していた。
「噂の彼氏って」寛が小声でつぶやく。
「なんだ、大学生といっても普通の人だな」祐介は一瞥した。
帰りの電車の中でギターを抱える祐介の頭を葉子が小突いた。
「あんた、せっかくギター貸してもらえるっていうのだから、もっと愛想よくしなさいよね。なにあの態度は。恥かかせないでよ」
「くっ」と祐介は声がでたがなにも言い返せなかった。
「よかったですね。とりあえず楽器は揃いそうですね」紗枝が手を一度叩く。
「あとはバンドの要、ドラムだな。なにしろ一番大きくて重いし、値段も高そうだし」
祐介は頭を掻いた。誰もなにも言わないのでため息が漏れる。祐介は読んでも意味のわからない中吊り広告を読む。
電車の音とおしゃべりをする主婦の声がこだまする。
つり革を持つ手がゆるむ。
「私、親に話してみる。ダメだと思うけど」
紗枝が声をあげる
「話すだけ話してみる」
立ち上がる。
「なに、どうしたのアンタ急に」
隣で座っていた葉子が腕が浮かぶ。紗枝の顔が痙攣したようにぶるぶる音するように震える。それを見て紗枝が堪えきれずに吹き出す。
「なに、アンタ、その顔」葉子が笑う。
「オレも話してみるよ。朝霞は理科室の許可と先生ひとりを味方につけたんだ」
寛はひとりひとりの顔を見る。
「オレだけ、まだなにもしてない。不公平だろ。それだと」
寛の声は次第に小さくなっていく。
「無理するな。みんなで話せばいいじゃないか」祐介はつり革を強く握る。
その三日後、ドラムセットは寛が用意した。理科室準備室に運んできた。
「どうしたんだ、突然」祐介が言うと寛が笑うだけでなにも答えなかった。
紗枝が音楽室からキーボードを借りてきた。
「これで揃ったじゃん」葉子が腕を組んで歯を見せる。
「さて、みんなはじめてやるわけだろ。どれかやりたいやつ、あるか」祐介が中心に立って見回す。
「偉そうに」葉子は小声でつぶやくと立ち上がってベースを掴んだ。
「私はこれでいいよ」
ピックを取って優しくベースを抱える。ストラップを肩に掛けて、立ち上がる。
祐介は息を飲んだ。
葉子の細い体に長いネックのベースが決まった。細い指が弦をつまみ、俯いたまぶたがいつもとまた違った雰囲気をかもし出す。
「なんか上級者みたい」紗枝が手を叩く。
「バカ言うな、今日初めて触ったんだぞ」葉子は照れ笑いをする。
「オレは自分で用意したからドラムにしようかな」寛がドラムセットに座る。
「じゃあ、私もキーボードにしよう」紗枝がキーボードに電源を入れる。
「おい、ギターって一番難しそうじゃないか。オレ、自信ないぞ」
祐介はみんなを見る。葉子はギターを手に取って祐介に渡す。
「ついでにアンタ、ボーカルやんなよ」葉子はなかなか手にしないギターを祐介に押し付ける。
「ボ、なんだって」祐介はギターをどう持ったらいいのかわからずにいるのに余計にギターが持てなくなった。
「歌だよ、歌。歌うんだよ、アンタが。バンドやるならボーカルがいるでしょう」
葉子がギターストラップを祐介の肩に掛ける。ピックを渡してニ、三歩下がる。
「アンタの他に誰が歌うんだよ。誰か歌いたい人、いる」葉子が見回す。
紗枝が首を左右に振る。寛は顔前で手を大きく振る。それを見て葉子が笑顔になる。
葉子が手をピストルのように見立てて祐介に向ける。「ほらね」
「おいおいオレだって無理だよ」祐介は後下がって壁にある黒板に頭をぶつける。
「そのギター借り物なんだから壊さないでよ。なにその格好は」葉子は笑う。
「オレも篠崎しかいないと思う。お前はリーダーなんだから」
寛がそう言うと、紗枝も力強く何度も何度も頷いた。
祐介は仕方なくギターを鳴らして「わかったよ、やればいいんだろ」とため息まじりに答えた。
課題曲を決める前に、基礎練習からはじめられた。
学校にあったアンプは古さく、ろくに手入れがされずに放っておかれたためかひずんだ音しか出なかった。
一番筋がよかったのが葉子だった。テキストに載ってある課題をどんどんこなしていった。一週間で簡単な曲なら一曲こなせるようになった。指もスムーズに動く。
「渋谷がギターのほうがよかったんじゃないか。こっちは弦が六本もあって音がたくさんあるんだぞ」祐介がこぼす。
「なに言っているんだ、ばあか。今更変えないよ」葉子は軽快にベースを弾きこなす。
問題はドラムを担当する寛とキーボードの担当の紗枝だった。寛はスティックをさばくのは上達したが、バスドラムがうまく叩けない。キック力が足りないのと体力がもたない。練習だけで息が切れる。紗枝は指をうまく動かせない。指が短いという欠点もあった。
「変わってみれば」祐介が提案した。
寛と紗枝は顔を見合わせる。お互いに頷くとすぐに入れ替わった。
葉子が笑う。祐介は葉子の笑い声を聞いて笑顔になる。「なんだよ」葉子がまた眉間に皺を寄せる。「なんでもないよ」祐介はまたギターの練習をはじめる。
紗枝はドラムスティックを手に取って感触を確かめる。軽く叩く。バスドラムを叩くと葉子が口笛を吹いた。
「いいじゃない。さっきのひ弱な男とは音が違うよ」葉子は寛に聞こえよがしに言った。
「だったらオレもギターやらせてくれ。キーボードはどうも嫌だ。篠崎もギターとボーカルで大変だろ。オレがサポートしてやるからよ」寛がひとりごちた。
「言い訳かよ、それでも」葉子は笑う。
バンドの練習は順調に続けられた。祐介はクラスから嫌な目に合わされながら、少しずつでも登校した。無断早退もしてしまうが、放課後には必ず学校に戻ってきた。
理科の斉藤先生と音楽の井上先生には許可をもらっているとはいえ、それは音楽機材を使用するのと理科室の利用を許してもらえるだけだ。練習をすることはできる。しかし文化祭の特別参加ができる保障はまるでなかった。部活動でもない。
寛が一度そのことを話したことがある。祐介は無視した。「練習、練習」と寛の言葉をあしらった。紗枝も葉子も言葉がでなかった。ただ、ちゃんとした演奏ができないことには文化祭以前の問題だという共通認識だけはあった。
一ヶ月がすぎて各々の技術もついてきた。寛は手先の器用さをみせてみるみる上達していった。ギターソロもこなせるようになった。祐介もなんとかFコードもちゃんと音がでるようにまでなり、曲としてちゃんと弾けるようになった。祐介と寛がお互いにギター技術を競争しあうことで成長が加速していった。
「文化祭に出るとして課題曲をもうそろそろ決めてその曲をみっちりやったほうがいいんじゃないかな」紗枝が言った。
みんなで顔を見合わせる。
「曲か。なにがいいんだろう」
「オリジナルは」
「ばあか。誰がつくるんだよ」
「今の日本の曲って難しいのばっかりなんだよな。バンドスコアみるとよくわからないコードばっかり並んでさ」
「じゃあ、昔の日本の曲でもやるのかい。演歌とか」
「そんなのやりたいわけ、ないだろ。お前やりたいのか」
「言ってみただけだ」
そう言い合うと紗枝がそっと手を上げて言った。
「あの、ビートルズはどうかしら。これなら先生にも受けはいいし、みんな知っている曲をやれば受け入れられると思うし」
「ビートルズって英語だろ。オレそんな英語喋ることできないし」祐介は顔をしかめて手を左右に振った。
「私、大丈夫だと思う。お父さんが好きでよく教えてもらえるけど、そんなに難しくない言葉や曲もあるから」
そう言うと紗枝は鼻歌を口ずさみながらドラムを叩き出した。
「あ、それ聞いたことある」寛が指さす。
「プリーズ・プリーズ・ミーよ」
紗枝がそう答えると鼻歌をつづける。
「おお、もうほとんど完璧じゃないか」
祐介は首でリズムをとりながら聞き入る。
葉子も唇を鳴らして紗枝の演奏に耳を傾ける。「アンタ、いつそんな練習したの」
「別にこの曲は小さい頃からよく聞いていたから、音とか覚えているだけ。それに、よく知らないからよく聞こえるだけで、やっぱり本物と比べると、こんなのへたっぴよ」
そう言うと紗枝はドラムを叩くのをやめた。
ドラムの響きが消えると静寂は強い。
「いや、いいと思う。ちゃんと曲になっていたし。オレたちもなんとかがんばれば、いけると思うよ」寛は握りこぶしをあげる。
「ビートルズだったら、みんなコーラス入れてみんなで歌うから、篠崎くんにだけ歌の負担をかけることもないわ」
紗枝は笑顔に戻って祐介に言った。
「え、本当か、それは。だったらいいけど」
かわりに葉子が嫌な顔をした。
「えええ。私は歌えないよ、絶対無理だからね」そう言うとそっぽを向いた。
「大丈夫よ。コーラスだけでも。あぁ、とかんー、とか言うだけでもいいと思うから」
紗枝が言っても、葉子は手を大きく振った。
「それでも嫌なんだよ、恥ずかしい」
「今更なに言っているんだよ」祐介がため息をつく。
「わ、わ、わ、くそ」葉子は唇を震わせながら祐介を睨んだ。
「なんだよ、言いたい事があるなら言えよ」
「うるせー。私はな、私は、言いたくないけど、実はありえないくらい音痴なんだよ。コーラスだって外れてしまう。だから恥ずかしいんだよ」
肩まで震えて言う葉子を見て祐介は笑い転げた。
「なんだよ、それー」
「わーコイツ笑いやがった。てめえ」
葉子が祐介に殴りかかる。
「おい、楽器が壊れるぞ」寛が叫ぶ。
「おい、お前、オレより楽器の心配かよ」
「当たり前だろ。篠崎ならケガで済むけど、ギターが壊れたら終わりだろう」
寛が言うとみんな笑った。
文化祭まであと二週間と迫った。
四人は意を決して職員室に向かった。文化祭参加のお願いをするために。紗枝の提案で理科の斉藤先生と音楽の井上先生の同伴を頼んでいる。いざ反対されたら生徒と教師では太刀打ちできなくなるからだ。相手は学年主任の菅原先生だ。国語教師の藤野もいる。
「失礼します」と教室の扉を開けると、体が硬直した。祐介を下から睨みつける菅原先生が前にいる。
「なんだ、話って。まぁ座りなさい」菅原先生はゆっくりとした口調で言った。
菅原先生の前にあるパイプイスに祐介が座る。後ろで紗枝、葉子、寛が立つ。祐介の前にシートにもたれかかる菅原先生と、その横でパイプイスに座る藤野先生がいる。
祐介は目を閉じて軽めの深呼吸をした。目を開ける。
「今度の文化祭で、どこの時間でも構いません。僕らバンドの演奏時間を五分もらえませんでしょうか」
祐介は菅原先生の目から逃げずに一気に言った。その視点は動くことなく睨みをきかせた。息をしていなかった。
こういうときの佑介の目は三白眼となり時おり光って見えるほどだ。
菅原先生は佑介の目から視線をそらして鼻で笑った。後ろを振り返って声をだした。
「おーい、委員長、文化祭で途中五分空けられるか」菅原先生は片目をつむる。
大きなファイルを抱えた深川舞子は体を半分向けた。丸っこい顔と愛くるしい大きな目、小さくても通った鼻と締まった唇。祐介は三年も同じ中学に通っていながら、改めて初めて舞子を見た気がした。気品を漂わせながらも気の強そうな雰囲気を漂わせる。
「はい」舞子はファイルを手前の机の上にゆっくりと置いた。同じようにゆっくりとファイルを開ける。
祐介は視線を床に向けた。舞子を見ることができない。
「五分くらいなら、どこか休憩時間を割り込めばなんとかなるんじゃないでしょうか」舞子は冷静に答えた。
菅原先生は立ち上がった。
「君ぃ、そんなことはないだろう。この前も生徒会と一緒になって完全なプログラムを作ったではないか。そういうことでは父兄、PTA、教員、他の学校に示しがつかないではないか」
舞子は軽く頭を下げた。「すみません」
菅原先生は振り返って祐介を見た。
「君もね、もう文化祭も二週間ないんだよ。それを急に特別に、なんだ、バンド演奏させてくれって、そんなことできるわけがないだろ。しかも君らは模範生徒でもない。認められないよ」菅原先生は頭の上で手を振った。
「先生、それではあまりにも一方的すぎて、生徒のためにはならないんじゃないですか。この子たちだって立派な生徒ですよ」斉藤先生が祐介の肩を叩いて言ってくれた。斉藤先生はみんな男の兄弟子供を五人ももつ主婦教師だ。
菅原先生は机を小刻みに拳で叩く。藤野先生は指で唇をこする。
「お前、なに笑っているんだ」藤野先生は祐介を指さす。
「笑っていませんよ」祐介は前にいる先生を睨む。
「しかし五分は与えすぎだ。せめて三分だ。一曲やれば充分だろ。ただでさえ特例なんだ。他にもやりたい生徒には示しがつかないだろ。三年のクラス、軽音部、吹奏楽部、このプログラムはもう春から決まっていたんだ。それをあと二週間前で変えようっていうんだからな」菅原先生は机を平手で叩く。
「え、それじゃ今の練習が」葉子が一歩前に出る。
紗枝が葉子の肩を叩く。
「それでお願いします」紗枝は深々と頭を下げた。
祐介は紗枝に習って頭を下げた。寛はめがねを抑えて頭を下げる。葉子は息を前髪にかけると、同じように頭を下げた。
「ふん、特例は今回だけだぞ。他は認めないからな」菅原先生は窓に目をやった。
祐介は床を見つめながら小さくガッツポーズの拳を固めた。
「ほら、あなたたち、よかったじゃない。菅原先生も忙しいのですから、職員室からでましょう」
齋藤先生が葉子と紗枝の背中に触れる。
四人ははじめ歩きながら、やがて小走りになって職員室をでたら、声があがった。
「きゃー」「やった」「うおおお」それぞれに拳をあげたり、手を叩いたりした。
「こら、ここはまだ職員室前よ。はしゃぐなら外にしなさい」齋藤先生が扉を開けて言った。
みんな笑っていた。そのとき職員室からひとりの生徒が出てきた。さっき委員長と言われた深川舞子であった。
祐介と目が合うと舞子は言った。「よかったわね、特例が認められて」
「いや、アンタが助け舟を出してくれたおかげかもしれない」祐介は鼻をこすりながら言った。
いつも生徒会の壇上で話す舞子を祐介は遠くから見ていた。同じ中学にいるとはいえ自分とはかけ離れた存在だと思っていた。それが今はすぐ目の前にいる。舞子の成績はいつもトップで先生やPTAからの評判は抜群だ。だからといって斜に構える様子も見せず、誰からも親しまれている人であった。
「君が噂の篠崎君ね。そんなに悪いふうには見えないね」舞子は片目をつむった。
祐介の頬がほのかに染まった。
「なんの噂だよ。用がないなら行けよ。生徒会はなにかと忙しいんだろ」
祐介は後ろに振り向いて舞子をあしらった。なぜかもう顔を見ることができない。足音で舞子が行ってしまったのがわかる。それでも祐介はいつまでも振り返ることができなかった。ため息がひとつ漏れた。
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