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 右腕を捕まれて、私はジャックを引きずるように上がろうとしたが、相手は私より力があって、簡単に引き戻されてしまった。

「助けて! だれか、助けて!」

 相手が人間なら、どうする?

 私は学生のときに見た護身術の、いくつかの急所を思い出す。ジャックの力を利用して、ジャックに近づき、みぞおちに左の肘を入れる。

 一瞬、ジャックの力が弱くなる。その隙に、私はジャックの腕を逃れ、階段を駆け上がった。

 ケケケ、という高笑いの声が聞こえ続けていた。このままではまずいと思った私は、とりあえず2階まで上り、思いきり走って適当な、奥のほうの部屋へ逃げ込み、鍵をかけた。

 その部屋は、学校の教室のような大きさの、調理室のような部屋だった。調理台がいくつか並んだその部屋は、ガス台、シンク、業務用のオーブンもある。壁際には青みがかった明るいグレーの冷蔵庫もあり、開きには包丁も何種類か入っていた。

 鋭い包丁を手前の調理台から抜き取ると、私は奥の調理台の裏へしゃがんだ。直後、ドアをがたがたと鳴らす音がする。そっとのぞき見ると、ドアの小さなガラス部分からドラキュラの姿がちらりと見えた。魔女が来るまでは、開けられまい。だが、油断は禁物だ。相手は既に、私がここにいるとわかっているかもしれない。

 少しの間、静寂が訪れた。私はバッグからスマホを出し、ちらと確認する。23時15分。パーティーは終わってしまったようだ。相変わらず、翔からのメッセージは来ていない。私は地図を開き、GPSを使った。LINEに現在地を貼りつけ、「冗談じゃなくて、ハロウィンお化けに囲まれて、殺されそう。2階の調理室に逃げ込んでる」と送っておく。

 ただ、どう見ても冗談にしか見えない。よくても変装したお化けに囲まれて楽しんでいるようにしか受け取らないだろう。ストーカーされてる、とでも送ったほうが、信憑性があっただろうか。

 とはいえ、どっちにしても、もし遠くにいるなら意味がない。私は一緒に来た遠藤さんにも連絡を取ろうかと思ったが、突然、ドアのところで大きな音がして、魔女とフランケンシュタインが乗り込んできたので、スマホをバッグに滑り込ませた。

 戦う方法は、皆無ではない。一応、ここには包丁がある。だが、相手が包丁を手にする危険性をゼロにできなかった。落ち着きたいのに、包丁を握った手が震えて、私は一旦、床に包丁の先端をつけた。

 魔女とフランケンシュタインは、ゆっくりと部屋を歩いて近づいてくる。相手が一人ならともかく、二人いるので、逃げきれる自信がない。挟み撃ちされたら終わりだ。

 既に見たはずの場所に移動できたらいいのだが。だが、ここは調理室だ。私は音を立てないようにそっと棚を開けて、お皿を一枚、取り出した。それをバッグに隠す。そして、もう一枚取り出した。急がば回れ。

 私は覚悟を決めると、魔女がまったくあさってのほうを見ているタイミングで、包丁を置き、お皿を右のほうへ投げた。お皿は入口側の壁の、私から見ると調理台一列分、挟んだあたりに落ちて、大きな音を立てた。二人は同時に振り返り、そちらへ駆け寄っていく。

 その隙に、私はドアと反対側の壁際を、姿勢を低くしたまま走った。二人はすぐに私がいないと気づくはずだ。

 私は先頭の調理台の裏に隠れると、今度はもう一枚を、先ほど自分が隠れていた一番奥の調理台、ドアとは反対側の壁に近いほうめがけて、思いきり投げた。

 再び大きな音が立った瞬間、私はドアへ走った。ドアから外へ出て、階段のほうへ向かった。助けてもらうためには、下に降りたほうがいい。私を追ってきていたお化けたちは、下にはいないと思う。

 階段までは無事たどり着き、駆け下りて踊り場まで出たところで、私は自分がとんでもない間違いを犯したことに気づいた。階段の下では、まるでパーティーの続きでもしているかのように、多種多様な姿かたちが集結していた。こそこそと話す声が聞こえ、思っていたよりもずっと賑やかになっていたのだった。四面の顔を持つ人、カブお化け、影のような形のないものから、青白い幽霊のようなものまで、多様なお化けや妖怪が、階下を埋め尽くしていた。

 慌てて三階に駆け上がろうとしたが、遅かった。上からは、骸骨にドラキュラ、ジャックが下りてきて、挟まれてしまった。

「助けてぇぇぇっ!」

 持ってきていた包丁とバッグを振り回し、私は抵抗を試みた。ドラキュラの目が赤く光り、私は一瞬、周囲の声や音が聞こえなくなったと思った。

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