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電車に乗って、仕事へ向かう。都心の電車はひどく混雑するのが常で、ドレスに皺を寄せないためには、やはり網棚のほうが安全だった。そんなに何駅も乗るわけではないけれど、せっかくの服に皺はつけたくなかった。
「おはようございます!」
チェーンの薬局の調剤部門で、調剤事務をしている。朝は9時に開店し、夜は8時に閉める。その間を、早番・遅番のシフトと、都合のいい時間だけ勤務するアルバイトとパートで回すのだ。お客様が来ると、処方箋を受け取って、レセコンと呼ばれるコンピューターに情報を打ち込む。病院は普通、平日にやっているので、平日のほうが、仕事が多い。加えて、多くのお客様は年配か子どもだ。
基本情報を入力すると、レセコンに薬を出した履歴が表示される。前回かその前と同じなら、わざわざすべて入力する必要はない。違う部分があると、変更部分を直して印刷する。たとえば、マイスリーが10ミリから5ミリに変更になっていたら、その部分を直して打ち出すのだ。薬袋用のシール、お薬手帳に貼るシールなど、書類が出てくる。処方箋、必要なサイズの薬袋、シール、書類をまとめて小さな籠に入れ、ピッキングしている薬剤師の一人に渡した。
こういう仕事はチームワークだ。コーナーの外では、規制が緩くなった薬品などを販売している。勤務するスタッフが15人に上る割と大きな店で働くのは、たくさんの人と関われるという面でもおもしろい。
でも、若い男性と出会う機会は、職場では、なかなかない。患者さんも、子どもや年配の人のほうが、圧倒的に多いのが常だ。だから、一緒に働く遠藤さんという、私より二歳下の女の子と、よく外でパーティーへ行く約束をするのだ。社会人パーティーは、今ならネットから参加できる時代だ。大学時代のサークルの友人から入ってくる情報もある。パーティー情報にはこと欠かない。
「先輩、どんな仮装するんですか?」
仕事の合間に訊いてきた遠藤さんに、私は思わず苦笑した。
「ああ、ごめん。急に決めたから、仮装じゃなくて、ドレスアップしていくわ」
「あ、そうなんですね。私は着ぐるみ着るつもりです」
そう言いながら、遠藤さんは湿布薬の箱にボールペンの先を突き刺し、一気に手前に引く。カッターだと、湿布の袋を切ってしまう危険性があるので、この薬局では使わないことになっている。棚の湿布薬を見ると、確かにそろそろ補充したほうがよさそうな具合になっていた。年配の人たちの痛みに、よく処方されているのだ。
薬はドラッグストアのほうでも買えるものが少なくない。それでも、保険があるという理由で、病院で処方してもらうほうが安く手に入ったりする。私の祖母も一人、湿布を使っていたが、余らせて要らなくなった痛み止めの湿布を、肩凝りがひどいと悩んでいた母に譲っていた。必要もないのに保険金が支払われている。私たちにはたいして給料が入るわけじゃないのに、本当に必要な医療だけ受けても、3割負担だ。世の中って理不尽だと思う。
近くを通った3歳くらいの子どもが、温かそうな、手づくりにしか見えないドラえもんの着ぐるみを着て片手を上に突き上げる。手にはタケコプターのおもちゃを持っていた。かわいらしい。
「こんにちは~」
目の前に来た、背中の曲がったおじいちゃんから処方箋を受け取り、私はコンピューターに集中する。このおじいちゃんは前回と同じ、赤いフィルムのワーファリンだ。分量も特に違わない。そのままエンターを押して、印刷物を処方箋と一緒にピッキング籠に放り込む。
「お願いします!」
19時に仕事が終わると、私は遠藤さんと一緒にパーティー会場へ向かった。パーティーの開始は19時だが、遅れても構わないので、そのまま直行する。電車に乗るので、再び網棚に衣装を置く羽目になったが、それは仕方ない。
「楽しみですね。今日はだれが来るのかな?」
頻繁に参加していると、知り合いや友だちもできてくる。
「すずちかさん?」
「ああ、来そうですね。ジャンとかも来そうですし」
外国人が混ざるのも、常だ。ここ数回、特に多くなってきている気がするのは、気のせいだろうか。私は言葉がわからないので、あまり話せないけれど、遠藤さんは外国人でも果敢に話しかけていくようだ。
「先輩、翻訳機とか使ってみたらどうですか?」
「まあねぇ」
確かに最近は、便利な道具がある。前に量販店に行ったときに外国人が使っていたのを見たけれど、携帯とフィルムを持っているのに、「映画」という単語が聞こえてきて、それって画面保護のフィルムじゃないのかな、と思った経緯はあるものの。
誤訳も極端なケースなら気づくと思う。フィルムが映画になるというのは、ありそうな話だ。でも、内容によっては致命的な間違いになるかもしれない。当てはめられる単語の訳が違うと、意味が通じないし。それでも、私の場合、ないよりはいいのかもしれない。
いいよ、別に。日本人と話してるから。
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