第23話 魔将バルボルデ

 洞窟の最奥部。

 その広場の中央に、人の倍以上の大きさの怪物がその威容を示している。


 首元にはブロードソードが食い込み、脇腹にも大きな傷が残っている。

 だが、それでも正面から戦っては手も足も出ないのが現実だ。


 ルドルフは言った。

「魔将は別の道から逃げ出しているのでは?」と。


 ――否。


 逃げるはずがなかった。

 以前のように遠距離から狙撃されてはたまったものではない。

 この閉鎖空間こそが、勇者が魔将と正対せざるを得ない、敵にとって最良のバトルフィールド。


「グオオオオオオッ!」

 すさまじい勢いで突進してくるのを、エロインは皮一枚で回避しつづける。


「あっ!」

 視界不良の中、ついに岩の隆起に足を取られた。

 魔将の振るった巨木が頭上に迫る。


「セイヤーーーーーッ!」

 そこへ気を巡らせたジンが飛び蹴りで割って入った。


 全身に気が巡ったジンは鋼鉄の塊といってもいい状態だ。その彼の飛び蹴りによって、巨木は軌道を逸らされエロインのすぐそばの地面を打つ。


「……ジャマダ、ムシケラガッ!」

 イラついた様子の魔将が、飛び蹴りから着地したジンに強烈な裏拳を見舞う。

 すさまじい打撃音とともに、ジンは壁に激突して崩れ落ちた。


「ギギギ……勇者ヨ……今度コソ、貴様ノ命ハココデ終ワリダ」

「こ……こいつ、しゃべるぞ!」

 キムやソフィーが驚きの声をあげた。


 エロインは冷静に問いかける。

「その知性……その巨躯……その力……魔王に与えられたものですか」

「ギギギ……イカニモ」

 魔将は左胸の上、鎖骨の下あたりに刻まれた魔血痕を指さす。


「我ガ名ハ"魔将バルボルデ"。勇者ヨ。貴様モ名乗ルガイイ」

「……エロイン・ド・レジェンダ」

「勇者エロイン。今一度殺ス前ニ問オウ。貴様ハ我ガ配下ガ仕留メタハズ。ナゼ生キテイル?」


 ――


『会話とは、意味もなくするものではない』

 事前に真黒に教えられていた言葉だ。


 ビジネス上のコミュニケーションは京女のそれに似ている。


『元気がよろしおすなぁ』と言われて、にこやかに『はっはっは、元気だけが取り柄ですから』などと言うのは賢明ではない。

 この言葉の裏には『うるせぇんだよ静かにしろ』という本音が隠れている場合がある。


 言葉の裏を読み、顧客が本当は何を言わんとしているのか。何を求めているのか。

 一挙手一投足において常にそれを考えるのだ。


 ――


 敵は一刻も早く勇者を倒してしまいたいはず。ここで敵がしたいことは時間稼ぎではない。単純に、その情報を入手したいのだ。

 それもそのはず。今一度倒したところで勇者が死なないのであれば別の手を考える必要があるからだろう。


「教えてあげましょう、バルボルデ。……気づきませんか?」

「ギ?」

「あなたはすでに、私の幻術の手の内にいることに」

「ナン……ダト……!?」

「接触した者に幻術をかける能力――それが私に与えられた女神の加護です」

「ギ、ギギギ……!!」

 だから小鬼どもは勇者を仕留めたと勘違いしたのか、と、歯ぎしりするバルボルデ。


「もっとも、この幻術の効果は1分ほどで解けてしまいますので、幻術が解ける前にもう一度あなたに斬りかからなければなりませんが」

 エロインがそう言うと、バルボルデは露骨に警戒して距離を取る。


 勇者がじりじりと近づいては、魔将が巨木で威嚇しながらじりじりと距離を取る睨み合いがしばらく続いた。


 ――


 ――よくやった、エロイン。パーフェクトなやりとりだ。


 真黒は勝利を確信した。


 大きく損傷したルドルフの肉体の回復にだいぶ時間を要してしまったが、時間稼ぎのおかげでようやく治癒と蘇生が完了した。


「前衛ッ! ここへ集まれ!」

 号令を出す。

 広場に散開していたキムとエロインが、入り口の真黒やルドルフのもとへ集まった。


「女神よ、守護の恩寵を!」「女神よ、重ねて守護の恩寵を!」

 ドゥドゥが唱え、重ねてジュディスが唱える。

「女神よ、力の恩寵を!」「女神よ、重ねて力の恩寵を!」

 さらに唱える。


 戦士たちに大きく力がみなぎった。

 後方からの敵の襲撃になんとか持ちこたえていたオルガとアレックスも持ち直す。

「ほっほ、それじゃ嬢ちゃん、あとは任せたぞい」

 フラマは後方援護をクリームに任せて広場へ出る。


「ハァァァァッ!」

 先陣を切ったのはエロインだ。


 勇者の猛烈な突撃。

 力の加護を得たその剣撃は、最初とは比較にならない勢いである。


 やられるかも――

 恐怖を感じた魔将が飛びのき、滅茶苦茶に巨木を振り回し始める。

 こうなってはとても近づけない。


「漢の親指ッ!」

 と、そこへフラマの爆撃が襲い掛かる。

 もちろん魔将には効きはしない。


「コザカシイ……!!」

 魔将はうっとおしげに飛びのくが、フラマはしつこく彼の眼前で爆発を起こし続ける。

 その硝煙の中から勇者が飛び出してくるかも――

 バルボルデはその恐怖から、ついつい後退を続けてしまう。


 ――


「ギーッ! ギーッ!」

 と、通路の方から配下たちが叫ぶ声が聞こえた。


「シマッ……!!」

 その声から、何かに気づいたバルボルデ。

 硝煙を振り払い、猛然と前方へダッシュする。


 硝煙の向こうには――


 膝をつき、祈りの姿勢で光を放つ勇者の姿。


「グ……オオオオオッ!! サセルカァァァァ!!」

 魔将は渾身の一撃を勇者の頭上に振り下ろした。

 すさまじい衝撃に地面が揺れる。


 ――バルボルデは、そこに不自然な抵抗を感じた。


「おっとぉ……今度はさっきみたいにはいかないぜ」

 叩きつけられた巨木を、守りの加護によって青い光を纏ったルドルフとキムが額に青筋を浮かべながら持ち上げていく。


「ギギギ……コッノ……虫ケラガァァァァァッ!!!」

 今度は横なぎに吹き飛ばそうと、巨木を横に構えた瞬間。


 ――眼前が、黄金の光でいっぱいになった。


「ライトニング……アローーーーッ!!」


 今度は外さない。


 至近距離から放たれた光の矢は、バルボルデの頭を正確に撃ち抜いた。


 巨体が、広場の中央に仰向けに倒れる。


「ギ……ギヒィィィィィッ!」

 小鬼どもの悲鳴が響いた。


「いよっしゃあああああ!!」

「俺たちの……勝ちだぁぁぁぁぁっ!!!」

 男たちの勝利の咆哮が轟く。


「喜ぶのはまだ早い。帰るまでが遠足だ! クリーム! フラマ! 手を緩めず、徹底的に敵を追撃しろ! アレックス、オルガ、ドゥドゥ、ジュディスは彼らの援護を!」

「り、了解!」

 勝利を噛みしめる間もなく、真黒の命令が飛ぶ。


「そ、そこまでやるの? あとは雑魚ばかりだし、こっちの被害の回復も……」

 気を巡らせていたとはいえ、手痛い一撃を受けて倒れていたジン。

 ソフィーはそれを助け起こして薬草を塗ってやっていた。


「ジンなら命に別状はないはずだ。こちらの被害は概ね回復した。それより――奴らは人間を憎むだろう。奴らの中から次の魔将が生まれないとも限らない。手加減は無用だ。ここで全て駆逐する」

「用心深いねぇ……」

 苦笑いするソフィー。


「さて、こっちもまだやることが残っているぞ」

 そう言うと、真黒はエロインのもとへ歩いていき、その口にマナの実をねじ込んだ。


「頭が急所とは限らん、徹底的にやれ。塵も残すな」

「ハ……ハイッ!」


 ――LC1426年3月20日。


 この日、一体の魔将と、その配下の魔物集団が完全に壊滅した。


 勇者エロイン・ド・レジェンダの初陣は、こうして完全なる勝利で幕を閉じたのだった。


 *


 夕焼けが赤く染まるころ。

 今朝出発した10名の実行部隊と、監視部隊2名が町に凱旋した。

 どこからか報を聞きつけたのか、既に入り口には数百名の町民と王国兵がごったがえして勇者コールを繰り広げている。


「ひええ……凄い数の人です」

 委縮するエロイン。


「堂々としていろ。皆が欲しいのは何だと思う?」

「威風堂々とした勇者の、カッコイイ勝利宣言……ですかね」

「ま、そんなとこだ」

「うぅ……私ばっかりこんな役回り」

「当たり前だ」

「マクロさんはどうしてそんなに平気なんですか?」

「聴衆相手にプレゼンするのは慣れてるからな」

「ぷれぜん?」

「とにかくこういうときの心構えだ。"ありがたい話を聞かせてやるからよっく聞けよ、お前ら"という心持ちで臨め。場に呑まれるな、場を呑むんだ」

「ハ、ハイ……」


 エロインは少し俯くと、真黒を見上げて遠慮がちに言う。

「うまくできたら、褒めてくれますか?」

「あぁ。これまでにないくらい褒めてやる」

「私、頑張ります!」


 やれやれと鼻を鳴らす真黒。

 上司にとって、部下のメンタルコントロールは重要だ。

 彼はこれまで度々少女の頭を撫でてきたが、それも彼女が求めているものが何かを理解し、そのようにふるまってきたが故だ。


 恐らくエロインは年相応――いや、それ以上に幼い。

 本当はもっと父に甘えたいのだろう。だが環境がそれを許さない。

 一人前の勇者としてふるまうため、過剰に気を張ってきたに違いない。


 自分もこんなのはガラではないが、部下がそれを求めるなら応じるだけだ。


 そんなことを考える真黒の心の内を知ってか知らずか、クリームはニンマリとほくそ笑む。


 ――あれならまだ、アタシにも入り込む余地があるわね。


 フラマはその笑みを横目にしつつ、フーム、と目を瞑った。

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