第15話 全っ然足りねぇんだよ
雨の中、パチャ、パチャ、パチャ、と3つの足音が駆けてゆく。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」
「うわぁぁん!」
「こわいよぉぉ」
母は、グズる兄妹の手を引いて必死に走っていた。
王城へ――
城へたどり着けばきっと助かる。きっと兵隊さんたちが助けてくれる。
そんな一縷の希望を抱いて――
そんな母に、家の影から突如大斧の一撃が襲い掛かり、ドチュ、と腹部に痛みが走る。
「あぐっ!」
バシャッ、とぬかるみに倒れこむ母。立ち上がろうと両腕で上半身を持ち上げるが、立つことができない。
なぜ? と、下を見てみると――下半身が、ない。
「あ……あぁぁ…………」
絶望の吐息と共に力を失って倒れ、そこへ小鬼どもが殺到し肉をちぎっていく。
家の影からのっそりと姿を現したのは、小鬼どもとは桁外れに大きな変異種"ホブゴブリン"。
子供のように小さな通常のゴブリンと異なり、ホブは大きな大人とそん色ない体躯をもつ。
小鬼共が5~10匹がかりで人をなぶり殺しにするのとは違い、ホブは真っ向勝負で強靭な肉体をもつ戦士をねじ伏せることができた。
その太い腕から繰り出される一撃の威力は見ての通りだ。か弱い女性一人なら真っ二つにしてしまうのも苦ではない。
ホブは、血の付いた大斧をベロリと舐めあげると、母に群がる小鬼の頭をゴチンと殴りつけ、クイ、と顎を子供たちのほうにやった。
一斉に子供らの方へ振り向く小鬼ども。
「あ……ひぃぃ」
「マ……ママァ……」
腰を抜かし、ただ震える子供たち。もはや逃げることも悲鳴を上げることもかなわない。
そこかしこに溜まっている血だまりの一部に、この子たちも今まさになろうとしていた。
「ケキャキャキャキャ!」
「ギャーヒッヒッヒッヒ!」
小鬼どもがけたたましい嗤い声をあげながら子供たちのもとへと殺到する。
振り上げた石斧が襲い掛かる、その時――
「うるあああああああッ!!!!」
突如、男の怒気に満ちた咆哮が轟いた。
次いで闇を切り裂いて槍が飛来する。
4~5匹ばかりの小鬼がまとめて串刺しになり、そのまま深々と地面に突き立った。
「ピギッ!?」
小鬼どもが驚愕し、槍に目線が奪われる。その隙を縫って疾風の如く一人の男が群れの真ん中を走り抜けていく。
男はそのままヒュンヒュンと軽業師のように民家の屋根に駆け上ると、いつのまにか脇に抱えていた幼い兄妹をその上に降ろして優しく言い聞かせる。
「もう大丈夫だ。いいかい坊や、絶対にここを動いちゃいけないよ。君はお兄ちゃんかい?」
「ひっ……ひぐっ……うん……」
「そうか。妹を守っておやり。身を低くして頭を守っておきなさ――」
言い終わらぬうちに、地上から小鬼が投げた石が男のこめかみあたりにゴツンとヒットし、どろーりと血が垂れる。
「……とまぁ、こうなるから」
冗談めかして言うと、男はターン、と跳躍して地面に降り立った。
その男の周囲を小鬼たちが取り囲む。
「おじさん!」
「見るんじゃない!」
屋根の上から叫んだ男の子に、男は言った。
「今日のおじさんは少々気が立っていてね……ヒーローみたいにカッコいい戦いは見せられないよ」
軽口を叩いていた男の顔が次第に鬼の形相へと変化していく。
「ギーッ!」
何をしている、相手は槍を投擲し終えて武器も持っていない人間一人だぞ! と言わんばかりにホブゴブリンが急かすと、それを合図に小鬼が男へ殺到した。
「――貴様らか?」
ポツリ、とつぶやく男。
刹那、思い切り体をねじって回し蹴りを叩き込む。
巻き込まれた小鬼が2体、壁に叩き付けられて臓物を吐き出し、目玉が飛び出る。
「やったのは――貴様らなのか?」
足元にまとわりつき噛み付いてくる者、石斧で切り付けてくる者などをうっとおしげに無造作に踏み潰しては、手近な者の首をつかんで片手で持ち上げ、そのまま締め上げながらへし折る。
「我が娘をあんな姿にしたのは――貴様らかァァァッ!!!!」
獣の如く歯を剥き出しにし、眉を吊り上げ、血走った目で咆哮をあげる男の名は――ペール・ド・レジェンダ。
――
雑魚どもでは埒が明かぬとばかりに、奥で傍観していたホブゴブリンが、小鬼の輪をかき分けて進み出る。
ペールとホブは、観衆と化した小鬼どもが輪を作りギャーギャーと喚く中、一対一で対峙した。
「少しは骨のありそうな奴が出てきたな」
ペールは首をコキコキと鳴らし、タン、ターン、とステップを踏む。
ホブはその隙を逃さず、ステップが終わらぬうちに前触れもなく大斧を振り下ろした。
ドゴン、と雨音を貫く衝撃音。
直後、大きな風切音とともに大斧が飛んでいき、民家の壁に突き立った。
「ゲギャ……!!」
鈍い痛みに思わず右手を抑えるホブ。振り下ろした腕はペールのハイキックに迎え撃たれていた。
「どうした? かかってこいよ」
蹴り上げた姿勢のまま、チョイチョイと左手で挑発する。
「グルルル……グギャアアアア!!」
挑発が通じたのか、怒ったホブはドコドコとドラミングを行うと、大腕を振り回し襲い掛かる。
ドボォ、と凄まじい一撃が――今度は確実に、ペールの腹部に炸裂した。
「ごっは…………!!」
相手はホブの中でも大柄な方。3
ひるんだ隙を逃さず、ホブの猛攻が始まる。
みぞおち、肩口、顔面、胸。凄まじいラッシュでペールは滅多打たれた。
「がっ……ふ……」
ヨロヨロと後退するペール。
ホブが両腕をあげ威を示すと、周囲の小鬼どもの間に喝采が起きた。
――あぁ……痛い……痛いなぁ……
やがてペールのファイティングポーズが力を失っていき、両腕がだらんと垂れ下がる。
勝利を確信したホブは、トドメの一撃を刺さんと突進した。
――でも…………
「全っ然足りん…………!!!!」
虚ろな瞳でホブの猛攻を受けていたペールの瞳に、紅蓮の炎が灯る。
――せめてお前の痛みを、少しでも味わいたかった。
「足りねぇんだよォォォォッ!!!!!」
迫りくるホブの右腕を左手で引く。
ホブの巨体の下に入りながら右手で首元を突き上げる。
右足でホブの足を崩すと、そのまま思い切り蹴り上げつつ手を放した。
野獣の巨体が空中で半回転する。
脳天から地面に叩きつけられたホブは、そのまま動かなくなった。
*
レジェンダ邸では、淡い光とともにエロインの傷が治癒を始めていた。
だが、治癒は一瞬で全快、というほど便利なものではないようだった。
ジワジワと傷口が塞がってゆく。
「うっ……あぅぅぅ……」
と、苦しそうに呻くエロイン。その体を支えてやりつつ、真黒はやりきれない気持ちになった。
――何が不死の勇者だ。こんなに苦しそうにして……
メアが気を失っているのは幸いだ。ぱっくりと裂けた傷口に血が戻り、徐々に塞がっていくさまからは、どのように傷を負わせられたのかを否応なく認識させられる。いわば娘の死の瞬間を逆再生されるようなものだ。
――こんな目に、何度もあわせられるか。
――
10分以上が経過しただろうか。
ようやく完全に治癒したエロインだが、しばらく放心状態のように自室の床に座り込んでいた。
服はズタズタになったまま戻らなかったので、真黒は自身が着ていたYシャツを着せてやった。
――
ワァァァァァ、と、歓声とも悲鳴ともつかぬ声が聞こえた。
エロインはハッとしたように顔をあげる。
「……マクロさん。今の状況は!?」
「魔将が配下のゴブリンの全軍を率いて町中に侵攻を開始したようだ。王国も総力を挙げて迎撃に当たっている様子だが止められはしないだろうな……」
その話を聞くと、エロインはすぐに部屋を飛び出そうとした。
が、真黒が制止する。
「待て。無策で行ってもどうにもならん。プロジェクトの範囲を忘れたか」
「放して! 私が行かなきゃ、他に誰が魔将を止められるっていうんです!」
「落ち着け。俺は無策で行くなと言ってるんだ。何事も計画だ。どう対処するつもりなのか。まずは落ち着いてそれを考えろ」
キャアアア、と、甲高い悲鳴が夜闇を切り裂く。
ワアアアン、と、大きな泣き声も聞こえる。
「これを……こんなのを聞かされて……どう落ち着けっていうんですか!」
「だからこそ落ち着けと言ってるんだッ!!」
――2度目となる、真黒の怒声。
エロインは一瞬、硬直した。
「……いいか、俺はこれでも25歳になる。お前よりずいぶん年上だ。しょうもない人生だったが、一応いろんな経験は積んできた。その俺の経験から言わせてもらえば、トラブルで大炎上しているときにその場の思い付きで火消しをしようとすると大抵さらにひどいことになる」
「で……でも……」
「落ち着け……こういうときこそ落ち着くんだ。何も考えるな。一度頭を空っぽにして、大きく深呼吸しろ」
エロインは、自身の両肩に手を置く真黒の腕が震えているのを感じた。
今震え始めたのではない。ずっと震えていた。
ようやく、それに気づくことができた。
「……大丈夫です、マクロさん。私は、冷静です」
「そうか……いい子だ」
――緊急対策会議、開始だ。
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