第1章 ニーア洞窟攻略戦
第8話 プロジェクト計画
夜が明けて――
まだ薄暗い黎明の中、エロインは目を覚ますと、木剣を手に庭先に出て日課の素振りを始めた。
ブンッ、ブンッ、ブンッと、ウォーミングアップに軽く振る。やがて体が温まり、興が乗ってくると速度とキレが上がってくる。ヒュン、ヒュン、シッ、シッ、と、鋭く風を切る音が規則正しく響いていく。
1000回は振っただろうか。日が完全に登りきるころ、ようやくエロインは満足し、ふぅ、と額の汗をぬぐった。
家に戻るとメアが朝食を作っており、香ばしい匂いが漂ってくる。
「おはようございます、お母様」
「あら~おはよう、私の可愛いエロイン。今日も輝いてるわね」
「えへへ」
目の奥は物理的に輝いている。
「はい、どうぞ」
メアがフライパンから食器にジュウ、と朝食を落とすと、エロインの瞳はいっそう輝いた。
「わ~ハムエッグ! 私ハムエッグ大好き!」
いただきま~す、と、口をつけかけて思いとどまる。
「あっ、そうだ……マクロさん起こさなきゃ」
客間の前に立ち、コンコンとドアをノックするが返事がない。開けてみると、中はもぬけの殻であった。
「あれ……?」
「マクロさん」
「マクロさ~ん?」
ガチャリ、ガチャリと、風呂場を覗き、トイレを覗き、各部屋を覗いていくがその姿はどこにも見えない。
――おかしいな。私は夜明けからずっと庭先で素振りをしていたのに。
誰も出ていくところなど見ていない。
考え込んでいると、大あくびをしながら父のペールが寝室から出てきた。
「ふぁ~……おう、おはようエロイン」
「おはようございます、お父様」
「どうした、元気ないな」
「実は、マクロさんの姿が見当たらなくて……」
カチンとくるペール。
「チッ。朝から嫌な名前を聞いたな。大口叩いておいて何もできないから、逃げ出したんじゃないか?」
今度はエロインがカチンとくる。
「マクロさんは逃げたりしません!」
――そう。あの人はゴブリンから私を助けてくれた。王様の前で泣き出しそうな私をかばって、食って掛かってもくれた。夜、泣いている私の背中をずっとさすってくれていた。
――すごくくたびれた顔をして、目にも生気がないけれど。素っ気なくて、厳しいことも言うけれど。でも、心根がとても温かい人だということを私は知っている。
「そ……そう怖い顔しないでくれ、愛娘よ。お前に嫌われたら、パパ死んじゃう」
「媚びる人はキライです」
「ンガッ!!」
プイッとそっぽを向かれ、ペールは全身を弓なりに反らしてその場に倒れた。
*
朝食を手早く済ませると、エロインは町中を歩き回り、真黒を探し始める。
――昨日案内した場所?
教会。宿屋。アイーダさんのお店。勇者学園。
と、見て回っていると、意外な場所でその姿を見つけた。思わず物陰に隠れてしまう。
――何してるんだろう?
真黒は、武器屋で働いていた。山盛り武器が入った箱をよろめきながら運んだり、ヘタクソと怒鳴られながら武器の手入れを手伝ったりしている。
結局、昼過ぎまでその姿を眺めてしまった。
真黒は店主が昼食をとっている間も、店の裏で汚れた備品をジャバジャバと洗っている。とうとうエロインはひょっこりとその彼の前に顔を出してしまったが、真黒はそれを気に留めることもなく黙々と仕事に打ち込んでいた。
邪魔になるかも。叱られるかもと思いつつ、エロインは我慢しきれず、真黒に話しかけてしまう。
「真黒さん……何してるんです?」
「見てわからんか。仕事だ」
真黒の返事はごく淡々としたものだった。
「仕事って……どうして、急に?」
「別に、おかしなことでもあるまい。昨日は結局、昼飯も奢ってもらい、晩飯もご馳走になり、一日世話になりっぱなしだったからな。父君の仰ることももっともだ」
――お父様の言うことなんて、気にしなくていいのに。
と、思いつつもそこまでは言わない。
黙っていると、真黒のほうから付け足した。
「まっ、本音は紙がほしいだけなんだがな」
「紙、ですか? そんなの、家にあるのを使ってくださればいいのに」
「言ったろ。世話になりっぱなしは気がまずい。千里の道も一歩から。俺はこの町に来て初めて、自分の小さな目的を達成するために、小さな努力をしようとしてるんだ」
と、彼は言うが、紙――羊皮紙はそう安いものではない。日中数時間働いたくらいでまとまった数は手に入らない。おそらく早朝から見当たらなかったのは、未明から生鮮市場の仕込みを手伝ったり、早くから働いていたからだろう。
「紙を買って、何をなさるんですか?」
「プロ計を作ろうと思ってる」
――ぷろ、けい?
「……なんですか、それ?」
「魔将討伐を成功させるためのカギだ。お前にも手伝ってもらうぞ」
「は……はい!」
よくわからないけど、頼りにされている。それに仕事に打ち込んでいるときの彼は、普段の死んだような目が一転、命のエネルギーにあふれて見える。
なんだか、すごく――ドキドキする。
*
結局、羊皮紙は買えなかった。今日の真黒の一日の稼ぎは、未明から働きづめで10シルバー。羊皮紙は200枚セットで2ゴールドで販売されていたのだが、頼んでもバラ売りはしてもらえず、結局、レジェンダ家に帰って分けてもらうことにした。
「あーん? 聞こえんなぁ」
「ですから……紙を分けていただきたいのです。足りないとは思いますが、金はあるだけ払います。残りは出世払いということで、なんとか大目に見てもらえないでしょうか」
「それがヒトにものを頼む態度かね? マクロくぅ~ん」
ここぞとばかりに大きな態度に出るペール。すると、見かねたエロインがズン、と彼の前に立った。
「うっ……」
たじろぐペール。
が、少女の行動は彼の予想外のものだった。
「……!? 何をしている!? やめろ、エロイン!」
エロインは、父に対して土下座をしていた。
「夫の不出来は妻の不徳の致すところでございます。お父様。どうか私を御叱りくださいませ」
「うっ……お前、そこまでこんな奴のことを……!?」
「はい。お慕いしております」
「ホゲェェエェェエッ!!」
ペールは泡を吹いて倒れてしまった。
「……さぁ、今のうちに紙を頂いてしまいましょう」
エロインは舌を出しながら、父の書斎から紙をシュシュッと抜き出していく。
「お前……あんまり心にもないことを言って、父君を悲しませるもんじゃないぞ。いつまで一緒に居られるかわからないんだからな……親は大事にしろ」
少女は一瞬、えっ? という顔で固まったが、すぐに平静を取り戻して言う。
「ごめんなさい。でも、念願の紙を手に入れましたよ! これで何をするんです?」
「昼にも言った通りだ。プロジェクト計画書を作る」
*
客間のテーブルに紙を広げて座る。エロインは後ろから興味深そうにその様子を覗き込む。
「プロジェクト計画書って……なんです?」
「その名の通りだ。プロジェクト――つまり、ある目的を達成するために行う、期間の定めのある活動。それを成功に導くための計画をまとめたものだ」
「な……なんだか凄そうですね」
ごくりと唾を飲むエロイン。
「別に凄かないぞ。例えば、そうだな……お前、ダイエットはしたことがあるか?」
「あ……ありますけど」
「成功したか?」
「う……」
「それもプロジェクトの一つだ。いついつまでに何キロ痩せる、といった目的を達成するための活動。お前がプロジェクトに失敗した原因はこれ――プロ計を作っていないからだ」
「そ……そうなのですか!?」
こくりと頷く。
まずは納得感を高めるため、ダイエットプロジェクトの計画書でも1枚ペラで作ってやるか、と、サラサラッと書き上げる。運動部出身者としてはこの手の知識はわりとあるから楽なものだ。
「ほら」
「…………?」
計画書を渡してやるが、エロインはただ目を丸くするだけだった。
「あの……マクロさん。これ……何が書いてあるんですか?」
――しまった。
普通に考えて、どこともわからぬこの世界の住人が、漢字やひらがなを読めるわけなどなかった。
――いや、待てよ? それを言うなら、これは何なんだ。俺は今、日本語を話しているはずではないのか?
可能性。
①自分も相手も本当に日本語で意思疎通が取れている。
②自分は日本語を話しているつもりだが、実は女神だかなんだかの力でこっちの世界の言葉に変換されて相手に伝わっている。相手の言葉は日本語に変換されて自分に伝わっている。
①だとしたら、日本語を話しているくせに漢字やひらがなはわからないというのは筋が通らない。とすれば、可能性としては②の方が高いか。
――死の間際に聞いたあの声――あれが、女神ルーシェとやらの声だとしたら。
「エロイン。お前、女神の加護を受けているのだろう」
「はい」
「その女神の力で、その文字、なんとかして読み解けないか」
「え……えぇ? そう……ですね……」
少女はしばらく思案すると、思いついたように手をたたいた。
「あっ、そうだ! あれならどうかな……"リーディング"!」
森で見た治癒の力と同じように、淡い光が室内を包みだす。
「あっ……読める! 読めます!」
どうやら正解だったようだ。
「それは?」
「はい、リーディング――"物事の本質を読み取る"聖術。古代文字を読んだり、宝箱なんかの中身を開ける前に調べたり、人の記憶を読み取ったり……というような用途に使えます」
さらっと最後に怖いことが聞こえたが、聞こえなかったことにしておく。
改めて、エロインは文書に目を落とした。
「へぇ~……食事抜きダイエットって、ダメなんですね」
「あぁ。代謝が落ちるからリバウンドしやすいし、ストレスがたまるから暴飲暴食にもつながりやすい」
「1日2回、20分以上のウォーキングを半年継続することで2
「あぁ。素振りをしても腕は太くなるだろうが痩せる効果はそんなにない。痩せる目的なら歩いたほうが全身の脂肪燃焼につながる」
「す、素振りはダメなんですか……」
ガックリとうなだれる少女。
「おい、そんな細かいことじゃなく、"どういう観点を定めてるか"に注目しろ」
「観点、ですか」
エロインは再度紙面に目を通す。
計画書には、以下のようなポイントが記載されていた。
==========================
■プロジェクトの概要
【背景】
以前頑張ってダイエットしたのに、また最近お腹の肉が気になってきた! むしろ以前よりひどくなってるかも?
【目的】
夏までに2
【手段】
食事抜きはリバウンドがひどいのでNG! 今回はウォーキングを頑張る!
■プロジェクトの詳細
【プロジェクトの範囲】
お腹の肉 (二の腕の肉は対象外)
【スケジュール】
3月某日:プロジェクトスタート
4月 :500
5月 :1
6月 :1.5
7月 :2
【品質計画】
単に体重を減らすだけじゃなく、お腹の肉が残らず、綺麗に痩せること! そのために、漫然と歩くだけではなく、腕と足を大きく振って、汗を適量かくくらいに全身をよく動かす!
【コスト計画】
1日の食事への出費を2シルバー以下に抑える!
3月 :50シルバー
4月 :60シルバー
5月 :60シルバー
6月 :60シルバー
7月 :60シルバー
合計 :2.9ゴールド
【リスク対策】
・一度雨とか風邪で休んでしまうとやる気が途絶えてしまうかも……
→外に出ざるを得ない理由を他にも作っておいて回避する。たとえば、食事はアイーダさんの店でとる、とか。
・動いた分食べたくなって、結局痩せられないかも……
→コスト計画を厳守する。なんなら両親に計画以外の金は預かっておいてもらう
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読み進めていくうちに、不自然なほどダラダラと汗をかいていくエロイン。
「マ、マクロさん……ずっと前から私のこと覗いてたりとか……してませんよね?」
「……なぜ?」
「だ……だってこれ! まるで私のことじゃないですかあ! 過去に私がやった失敗が全部先回りして書いてあるし!」
「それだ」
「……え?」
わちゃわちゃと腕を振り回し、真黒に抗議する少女の手がピタッと止まる。
「お前は今、答えを言ったぞ」
「答え……?」
「そう」
真黒は、エロインが手に持つダイエット計画書をビシッと指さすと、言った。
「失敗する原因を先回りして潰すもの。それがプロ計だ」
「失敗する原因を……先回りして……」
「俺がこれから何を作ろうとしているか、わかったか?」
能面のように無表情だった真黒が、口の端をわずかに上げる。
――あっ……これは……マクロさんが、仕事に打ち込む時の顔だ。
少女は、胸の高鳴りを感じずにはいられなかった。
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