第2話 伝説の勇者
ゴスン。
グシャッ。
鈍い打撃音や、何かが叩き潰される音が近づいてくる。
やがて、洞窟の中から一人の少女が命からがら飛び出してきた。その後を、大小さまざまな体格の小鬼――いわゆる、ゴブリンが追ってくる。
その先に――真黒の姿はなかった。
非常事態に面したとき、まず取るべき行動。それはなんだろうか?
――言うまでもない。己の身の安全を確保することだ。
少女は中世ヨーロッパを思わせる出で立ちで、木剣のようなもので武装しているようだ。一方ゴブリンたちは石器やこん棒といった原始的な武器で体格も概ね少女より小さい。しかし如何せん多勢に無勢。一人が仕掛けた隙をついて、あるいは背後から攻撃を仕掛けられ、みるみるうちに全身傷だらけになってゆく。真黒は物陰に息をひそめて、ジッとその様子を観察する。
それでも少女は死力を尽くして戦っていたが、いよいよもって木剣も弾き飛ばされ、四肢を押さえて組み敷かれてしまう。それでも状況を見守る。
そうしていると、ドスン、ドスン、と重い足音を響かせ、ひときわ大きな体格のゴブリンがなにかをしゃぶりながら洞窟から出てきた。
――あれが、連中のボスか。
ここまでで、真黒は2つの情報を得ていた。
1つは、敵の耐久力。少女が振り回した木剣により、何体かのゴブリンは頭を砕かれ、動かなくなっていた。
2つは、敵の組織情報。小さなゴブリンたちは、少女と正面きって戦い、何名かの犠牲を出している。にもかかわらず、少女を組み敷いたまましばらく動きを見せない。おそらく今、洞窟から出てきた奴に献上するか、指示を待つといったところだろう。
調査、分析、推論、アクション。マーケティング等の基本行動だ。
今、真黒は敵戦力を分析し、"倒すことは可能。ボスは洞窟入り口前の大きな奴である。そいつの指示が必要な雑兵は、頭がなくなれば瓦解するか、でなくとも大きな混乱を誘えるはず"と推論した。あとはアクションするだけだ。
そして今、真黒がいる"物陰"とは、洞窟の岩壁の上である。その腕の中には岩が拾い上げられている。
ボスゴブリンがしゃぶっていた"何か"を口から出し、配下に対して少女への行動を指示しようとしたその瞬間――真黒はボスゴブリンめがけて岩を投げ落とした。
ボスゴブリンが口から出した"何か"。それは、何らかの動物の骨であった。ドタマに岩が命中したボスゴブリンは、皮肉にもその骨が顔面に突き刺さり、そのまま倒れて動かなくなった。
あっけにとられる小ゴブリンたち。二の手は持っていなかった真黒だが、押すなら今だ、と、とっさに判断した。
交渉には押し時がある。同じ要求を相手にしたとしても、相手の態度が硬化しているときには効果がないし、耳を傾けてくれているときにはあっさりと通ったりするものだ。
――ここでもう一押しすれば、連中は散り散りになる。
手とポケットの中に何個かの石を確保すると、真黒は岩壁上から飛び降りた。ビクリと肩を震わせるゴブリンたち。間髪置かず、真黒は手の中の石を全力で投げつける。
ゴシャッ、と、一匹の頭が潰れた。
「ギ……ギャピィィィィィッ!!」
それを見て恐れをなした一匹が逃げ出す。それを皮切りに、他の連中も逃げ出す。想定通りだ。うまくいった。喧嘩なんぞしたことはないが、どうやらビジネススキルの応用がうまく通用してくれたらしい。
安堵とともに、岩壁上から飛び降りた痛みが今さら襲ってきてその場に尻もちをつく。
「痛っててて……」
目を瞑って天を仰いでいると、瞼の裏がフッと暗くなった。目を開けると、少女がこちらを覗き込んでいる。
ハッとした。
桃色のロングヘアはふんわりとカールしており、春の香りを運ぶような鮮やかさと爽やかさを感じさせる。顔立ちは幼く、背も小さい。パッと見、自分の世界の基準でいえば中高生くらいに見えた。何より印象的なのは黒目の奥に湛えられた黄金の光。それはいわゆる"薄明光線"、"天使の階段"といったもののようにキラキラと目の奥を照らしている。黒目に特徴がある二次元キャラを俗に『しいたけ目』とか『ハート目』とか呼んだりすることがあるが、これはさしずめ『天使目』とでも言ったところか。
そんなことを考えながらボーッと顔を眺めていると、少女は気まずそうに言った。
「あ……あのー……大丈夫……ですか?」
――大丈夫か、だと? 妙なことを言う。ボロボロにやられていたのはそっちのほうではないか。
そう言いかけて、口をつぐむ。服こそところどころ破れているものの、傷だらけだったはずのその体は、既に跡形もなく治癒していたのだ。
視線に気づいたのか、少女は真黒の疑問に答えてくれた。
「あ……これ、ですか? 実は私、勇者なんです」
「……は?」
真黒の言葉に、少女はぎょっとした。"は?"という言葉の意味を、あんな雑魚にやられそうになっていた分際で? という風に捉えたのだろう。
「ご……ごめんなさい! こんな弱っちょろいくせに勇者を名乗るとか、ナメてますよね。でも、本当なんです。その証拠にホラ、この目。"聖光芒"――勇者の証です」
――証と言われても、知らん。
「勇者は、女神ルーシェ様の加護を受けているのです。加護の種類はさまざまですが、私の場合は治癒。どんな傷も治ります。絶対に死にません」
――チートかよ。もしかして、助ける必要なかったか?
「それは、余計なことをしたな」
「えっ……? あ、いえ! そういうことではなく……ごめんなさい、まずはお礼が先でしたね。私は"エロイン・ド・レジェンダ"と申します。プリマレーノ出身の勇者です。このたびは、危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました」
エロインはそう言うと、深々と頭を下げた。その頭がゴチン、と真黒の頭に当たる。
「Oh……」
悶絶する。見かけによらず、とんでもない石頭だ。
「あぁっ! ごめんなさい、ごめんなさい! とにかく、私は治癒の能力に長けているのです。足と……あと、頭のたんこぶ、治療させてください!」
「わかったわかった。好きにしてくれ。俺は真黒。鯱躯 真黒だ」
うんざりしたように言うと、エロインはこくりと頷き、真黒の前に膝をついた。両手をかざし、なにやらブツブツと詠唱を始める。やがてその両手がうっすらと光を帯び、不思議な力が流れ込んでくる。
――なんとも言い難い快感だ。
例えるなら、凝り固まった肩や腰を整体師にほぐしてもらったときのような。今負った怪我だけではなく、なんだか10年来の不具合まで治ってしまったような気がする。
「ありがとう。助かった。もう十分だ」
いつまでもホワホワ光を浴びせ続けるエロインを制止し、立ち上がる。
――さて……なんだかその場の雰囲気でこの子を助けてしまったが、この新たな命、どう使うか。先ほどの散歩の心地よさや、川を発見したときの感動は素晴らしかった。このまま気ままにあてのない旅をするというのも悪くはない。だが、小鬼どもの存在は気がかりだ。あんなのや、あんなのよりもっと凶悪なのがそこかしこにいるとすれば、おちおち旅も楽しめまい。
逡巡していると、エロインの方からお誘いがあった。
「あの、マクロさん。もしよかったら、町までご一緒しませんか……?」
「構わないが」
渡りに船だ。
真黒のつっけんどんな態度にややおっかなびっくり接していたエロインは、その返事にパァッと表情が明るくなった。
「は……はい! よろしくお願いします!」
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