異世界社畜

すきぴ夫

プロローグ

第1話 社畜転生

 意識が混濁していく。


 今、何時なのかわからない。


 今、自分が起きているのか寝ているのかわからない。


 やらないといけないことがあるのに。


 守らないといけないものがあるのに。


 立ち上がろうとする意志とは裏腹に、体からは力が抜け、熱が失われていく。


 やがて世界は、真っ暗になった。


 ――そこから先は、よく覚えていない。


 誰かが、『もう一度だけチャンスを与えましょう』とか、上から目線で何か言っていたような気はするが。


 *


 徐々に意識が覚醒してくる。しだいに世界に光が戻ってくる。あまりの明るさに、思わず顔をしかめた。


 草むらに寝転がっていた男は目が覚めると上体を起こし、しばし茫然としていた。


 ――なんだ、ここは?


 ――俺、有給なんて取れたことあったか?


 ――仕事、投げて逃げ出したのか?

 

 心当たりのない景色。ボーッとそんなことを考えていると、男は唐突に全てを理解した。いわゆる電球がピコンと灯った状態だ。


 鯱躯 真黒しゃちく まくろ 25歳。高卒の底辺会社員だ。短めの黒髪はボサボサで洒落っ気は皆無。濃くはないが無精ひげがまばらに生え、スーツはヨレヨレ。目には光がなく、まるで死んだ魚のよう。


 ――そうだ。俺はロクな知識も選択肢もないままブラック企業に入社して、奴隷の如く使い潰され過労死したのだ。


「無理というのは嘘吐きの言葉なんですよ。どんなに苦しくてもやり遂げたならそれは無理でなくなる。その言葉は嘘だったということになります。わが社の社員には、嘘を吐かずに自身の夢に向かって走り続けてほしい。お金なんてなくても、お客様のありがとうの言葉を食べれば生きて行けるはずだ」

 というのが社長の談。


 月の残業時間は驚異の450時間。20時間働き、3時間仮眠し、食事や身支度をして再度働く――そんな生活を7年続けた。ほとんどは1か月もしないうちに、根性入ってる奴でも1年もたずに辞めていったが、なんとなく抜け出す機会を掴めないまま、真黒は最期を迎えたのだった。


「……やっと……これた……」

 ポツリ、と、つぶやく。


「やっと……出てこれた…………あの、牢獄から……」

 怒りや恨みではない。単純な、安堵。真黒の心に去来したのは、ただそれだけであった。


「……ウ…………ウオオオオオオオッ!!」

 やがて立ち上がり、大きく腕をあげて全身で喜びを表現する。こんなに叫んだのは何年ぶりだろうか。高揚し、ただそのひと叫びだけで異常に喉が渇いてしまった。


 木漏れ日の中を歩きだす。ときおり照らす光が温かく、ときおり入る日陰が涼しく心地よい。散歩がてら水場を探していると、ジャバジャバとやや大きめの水音が聞こえてくる。真黒は心を弾ませながらそこへ向かって歩いていった。


 *


「おぉ~……」


 開けた水場に出た時、最初に出たのはそんな感嘆の声だった。


 美しい。岩壁から湧き水が噴き出し、数メートル下に川を形成している。その滝のすぐそばには、人が数人通れそうな洞窟がある。覗いてみるとひんやりした空気が漂ってきてこれまた心地いい。今は朝だろうか? 暑くなってきたらここで涼をとるのもいいかもしれない。


 ともあれ水だ。水を飲もう。靴を脱ぎ、足首ほどまで水につかる。

「くぅ~っ!」

 自然と声が漏れる。さぁ、いよいよこの水を――


 と、両手に掬った水を口につけるかつけないかという正にその時だった。


「キャアアアアアアアアアッ!」


 ベタではあるが、絹をつんざくような女性の悲鳴。


 真黒が最初にとった行動は――

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