幕間 科学者と研究員

 夕方になり薄暗くなった研究棟を歩く。ほんの数ヶ月前に完成した薬は確実に自国に勝利をもたらした。初めて会った時は忌々しかった科学者にも,今では感謝を抱いているほどだ。


 研究棟に新しい科学者が来たのは突然のことだった。つい先日まで敵国で人形の開発に関わっていたという男が,突然亡命してきたのだ。もちろん,スパイを疑い身体検査を持ち物検査もしたが,持ってきていたのは確かに人形に関する資料とここまでの旅費だったのであろうほんの少しのお金。そして,身分証のみだった。

 その男は亡命してきて1ヶ月後にはこの研究棟にいた。しかし,彼は人形の『開発』ではなく,『死』に追いやるための薬を作り始めた。

 そんな男の下に配属されたのが,その年に大学を卒業したばかりだった自分だった。


 当時の自分は,男のことをよく思っていなかった。当然だ。あの忌々しい人形を開発した張本人である。こいつさえいなければ,戦争が長引くことがなかっただろうし,そもそも戦争が起きなかったかもしれない。そのせいで死んだ友人だっているのだ。言われたことだけを行い,返事もろくにしていなかった。


 しかし,その男は自分のそんな態度を知ってか知らずかよく話しかけてきた。大学でどんな勉強をしたのか,友人はいるのか,故郷はどんな場所かなど,研究と何も関係のないことまで聞いてきて,自分が答えなくとも男は勝手に話していく。さらには,人形の特徴などこの国では手に入らない情報まで話していった。

 それでいて,手はいつも動いており朝自分がどれだけ早く行こうとも,どれだけ遅く帰ろうとも男はそこにいた。


 そんな男に自分は少しずつ気を許していった。あの薬ができる頃には男と普通に会話し,研究の手伝いを率先して行っていた。男を『博士』と呼び,最後の実験には立ち会った。暗い部屋の中実験が成功していく様子を間近で見ることができたのは人生で1番の経験となった。


 3回ノックし,おはようございます。と,いつものように扉を開ける。

 しかし,入った部屋はいつもとは違った。いつも机の上に散乱していた資料は無くなっており,代わりに小さな本ほどのサイズの箱が置かれている。実験器具は全部片付いていて,いつきても手を動かしていた博士は,白衣を着たままゆっくりとコーヒーを飲んでいた。


 「博士,どうしたんですか?研究室が片付いていますけど。」


 「いや,君に頼み事があってね。」


 そう言うと机の上の箱を自分の方へと差し出してくる。


 「これは何ですか。」


 何を言いたいのか分からずにそう問い返す。


 「中には手紙と薬,あとメモが入っている。この前開発した薬だよ。これを預かってほしくてね。」


 箱を開けると,しっかりと封のされた手紙と,『A-481』『V-613』と書いたメモ。真ん中にはチェーンのついた小瓶がふたつ並んでいる。確かに小瓶には青い液体が入っていた。


 「あの国には,まだ人形が残っている。A-481とV-613。イレギュラーな行動をとった『失敗作』と呼ばれる人形だ。」


 博士が引っ張り上げた胸元のチェーンの先には箱の中の小瓶と同じものが揺れる。


「でも,彼らは失敗作なんかじゃない。僕が本当に作りたかったものだ。だから,僕が与えてあげられなかった『死』をプレゼントしたいんだよ。」


 「どういう,ことですか。」


 あの国の人形は戦後すぐ全て壊されたはずだ。残っているはずなんかなかった。しかも,『失敗作』? そんなもの聞いたことがない。博士の言っていることが分からない。

 

 「きっと彼らが見つかれば,ここに連絡が入るだろう。そこで,彼らに渡して欲しいんだ。」


 博士が少し笑った。自分が見たことない表情だ。


 「彼らは人形だけど人形になりきれない。だけど,人間でもない。でも,『死』を手に入れれば彼らは人間に混ざって暮らしていける。開発してしまったせめての詫びだよ。」


 そう言うと,博士は隣に置いてあったのであろう大きなカバンを持ち,扉へ向かって歩き出した。


 「博士?」


 博士は扉に手をかけ,ゆっくりと開けていく。


 「じゃあ,頼んだよ。リュカくん。」


 博士は扉の先の光に飲み込まれるように出ていった。


 理解できずに立ち尽くしていた自分も,慌てて追いかけたがもうその廊下に男の姿は見えなかった。







 博士はいつになっても帰ってこなかった。

 そしてその数日後,本当に連絡があった。


 『失敗作』を名乗る人形が見つかったと。


 


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