3 名前

 微かな炎の匂いが記憶を引き出す。

 もし,あのとき仲間と共に死ねたのなら、もし、自分が失敗作ではなかったのなら。

 こんな記憶は持たなかったのかも知れない。






 鉄格子から吹き込んだ風が頬を撫でる。

 懐かしいような気がした。


 「私たちは,そんな彼らを治療することに誇りを持っていた。私たちは,必要とされているって思えた。」


 もう真っ暗になった地下室に,声だけが響く。


 「ねぇ,貴方のことなんて呼べばいいの?」


 「A-481」

 

 反射的にそう答えた。


 「コードで呼ばれるの,嫌じゃないの?」


 そんなこと考えたことなかった。


 「お前は、嫌なのか?」


 分からない。コードでしか呼ばれたことも,読んだこともなかった。


 「私は、嫌かな。だって、どこか機械的でしょ?私は,プログラムじゃないもの。」


 顔は見えない。


 「じゃあ、なんて呼ばれてたんだ?」


 純粋な問い。

 人形でしかない俺たちに他の呼び名があるのなら知りたかった。


 「私は,アンって呼ばれてた。ある兵士がね、そう呼びはじめたの。アンって言うその兵士の娘に似てたんだって。だから,私のことアンって呼んで?」


 「じゃあ,アン。俺らA-シリーズは何のために開発されたか知っているのか?」


 顔は見えない。

 だから,知っていようが知っていまいが話し続けるしかなかった。


 「俺らは,『兵器』として開発された。そんな兵器に個別の名前なんてコードで十分だ。だから,俺は呼び名なんてコードしか持ってない。」


 そう,そうだ。

 俺ら兵器に個別の名前など必要ない。

 作戦を遂行し,壊れるまで進むしかない俺らに名前なんていらない。


 「今でも貴方は兵器なの?」


 思ってもない質問だった。

 俺は『兵器』ではないと言うのか?


 「兵器以外のなんに見えるんだ?」


 「今は暗くて見えないけど,最初は人に見えたよ。コードで呼ばれるのを聞いて,初めて人形って気づいた。」


 手のひらを見つめる。

 真っ暗な中,手が動く感覚だけが体に伝わる。 

 そういえば,一度だけ,ただ一度だけ,コード以外で呼ばれたことがある。


 「エル。そう呼ばれたことは一度だけある。」


 もう朝が近いらしい。

 薄い影が立ちはじめた。

 ようやく見えた顔は,こちらをまっすぐ見ている。


 「じゃあ,貴方はエルね。」


 少女,ならぬアンはここで初めて笑顔を見せた。










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