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「いま、謝りましたね?」
その直後、全方位から誰かの声がきこえた。
「え?」
顔を上げると、目の前に豆腐の形をしたなにかが立っていた。
「私は悪魔です」
それは勝手に名乗って、白い表面にあるつぶらな瞳を光らせた。
「ついに幻覚が……」
「幻覚ではありません」
側面から生えた針金のような手足が俺の頬をつねったり、胴体を軽く蹴ったりした。
「ほら」
「なんで豆腐がしゃべるんだ」
「これは仮の姿です。郷に入れば郷に従えなのですよ」
「は?」
「状況を説明しましょう」
それはまた勝手に語り始めた。
「あなたは私の依頼人によって地獄に落とされたのです。死なない程度の環境で永遠に一人の世界をさまよい、孤独のうちに精神を狂わせる、というプランの地獄に。しかし、ある条件をクリアすると現世へ戻ることができます。依頼人はこうおっしゃいました。『僕に謝ったら解放してもいい』と。見事、あなたは自らの罪を悔い、謝罪をした。だからいま、私は執行人としてあなたを解放しに来たのです」
「は?」
「説明は以上です」
「待て待て待て」
俺は立ち上がって、その悪魔と視線を合わせた。
「なんで豆腐なんだ。なんで豆腐に閉じ込められたんだ」
「どのような形態の地獄にするかを依頼人に尋ねたところ、『なんでもいい』とおっしゃったので、私がくじ引きをして決定いたしました。ここは、無限に広がる豆腐の中を永遠にさまよう地獄、『絹豆腐地獄』です。いかがでしたか?」
「依頼人ってのは誰だ」
「それは教えられません。契約時の約束なので」
「そいつと会ったか?」
顔と胴体がまっすぐ繋がっていたが、悪魔は全身で縦に頷いた。
「そいつは眼鏡だった?」
「ええ」
「そばかすがあった?」
「ええ」
「少しやせ気味?」
「ええ」
「スマートフォンの色はブラック?」
「ええ、たしか」
あの野郎。
「質問は以上ですか?」
「いや待て、お前と依頼人はどうやって接触したんだ?」
「インターネット上で予約を受付し、そのあと実際に依頼人のもとへお伺いしてプランをご説明しました」
「ネット?」
「ええ。以前は魔界まで来ていただいたり依頼の内容をハガキで送っていただいたりしていたのですが、時代の流れとともに予約が面倒なのかクライアントが減ってしまいまして。このままでは破産するということで、ネット回線の契約をしたわけです」
悪魔だけに、とわずかに口の端を持ち上げた。
「……あのー」
「なんでしょうか?」
「悪魔とか地獄とか魔界とか……、てきとうに言ってる?」
そいつは悪びれることもなく、ええ、と頷いて説明した。
「悪魔という肩書は便宜上使っているだけです。地獄も魔界もそうです。あまり細かいことはお気になさらずに」
「……、団体名は?」
「うーん、『ドロップ・トゥ・ヘルの会』ということにしておきます」
「あの、これ、警察に相談してもいい?」
そいつは無表情のまま「どうぞご自由に」と言った。
「責任者の名前は?」
「うーん、そうですね……、デーモン極悪キングです」
「いま考えたな」
「おっしゃる通り。しかし、私たちが超自然的な存在であることは事実です。実際、あなたはこの不思議な空間に閉じ込められた。こんなこと、人間にはできません。で、あの、そろそろよろしいでしょうか? 次の依頼人が待っていますので」
……。俺は、深く考えることをやめた。
悪魔、地獄、魔界……百万歩譲ってわかったことにしよう。
「最後に一つだけ」
「はぁ、なんすかもう」
そいつは急に口を悪くしたが俺は続けた。
「自分を地獄に落とした人を、地獄に落とし返すことはできる? もちろん、地獄から解放される条件をつけて」
悪魔は「あー」と応答して言った。
「可能ですよ。でもそこらへんは心配いらないです。人を呪わば穴二つなんで。もういいですか?」
「じゃあ、あいつは死後、地獄に落ちる……?」
「はい。正確に言えば、絹豆腐地獄ですけど」
「つまりここ?」
「はい。もういいですか?」
「あいつはそのことを知っている?」
「さあ。一応教えましたけどあなたを地獄に落とせることに興奮してあまりきいていませんでしたよ。まあ今回あなたは助かったので、落ちるかどうかはあなたの受けとめ方しだいです」
「俺が許せば落ちないってこと?」
「ええ。もういいですか?」
頷くと、豆腐の形をした悪魔から針金が伸びてきて、俺の身体にぐるぐると巻き付いた。
「じゃ一瞬、息を止めてくださーい」
やる気のないテーマパークのガイドのような口調で言われ、俺は息を止めた。その瞬間、ズッ、と視界がぶれて、暗闇を経由し、あっという間に俺の部屋に着地した。
いろんなものにあふれた、汚い、六畳の部屋。窓にはカーテンがかかっている。夜だ。手にはコントローラー。画面はポーズの状態になっている。悪魔がやったのかもしれない。
やつの姿はもうなく、「豆腐を憎んで人を憎まず。ご利用ありがとうございましたー」という声だけが頭の中に響いて消散した。
ひどく疲れていたが、ベッドに横たわった俺は、腹をさすりながら新入社員と地獄のことを考えていた。
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