どれだけの時間がたったのか。外の世界はもう朝なんだろうか。俺は無断欠勤ということになるんだろうか。もしここから出られたとして、理由を問い詰められたとき、一体なんと答えればいいのか。

 俺は、最後に話した人のことを考えた。

 退社の挨拶を除くと、おそらく指導をしていた新入社員が最後だ。

 彼が俺の話をききながらスマートフォンをいじっていたので、それを注意していたんだ。そしたら彼が「彼女が……寂しいって……」とぼそぼそ言うので、彼女なしの俺はつい「アホか!」と怒ってしまった。彼は涙目になって、そのまま帰った。フォローすることもなく、俺は残りの仕事に手を付けた。

 仕事のことを考えたら、だんだん、冷静になってきた。

 ……いや、認めたくなかっただけで、俺はすでに悟っていた。

 これは現実だ。

 あいかわらず、歩けど歩けど出口は見当たらない。食料だけが無限に続いていて、罠も行き止まりもない。目印すら残さずに、直感だけを頼りに何度も進路を変えてここまで来た。そのせいで、自分がどこにいるのかさっぱりわからなくなってしまった。どう頑張っても目覚めたときのあの空間には戻れないだろう。

 俺は歩くのをやめた。

 現実を認めたとたん、ひしひしと絶望感がせりあがってきた。

 おそらく誰も、ここにはいないだろう。だけど俺は、本能的に叫んでいた。

「おーい!」

 ……返事はない。

「誰か!」

 声によって、近くの豆腐が振動した。

「助けて!」

 たちまち、豆腐が共鳴する。

「誰か……」

 虚しくなって、俺はその場に膝をついた。

 下半身がずぶずぶと白いものに沈んで、止まる。

「どうすりゃいいんだよぉ……」

 夢だろうが、現実だろうが、出られなければどうしようもない。生きていたって、死んでいたって、こんなところにいてはどうしようもないんだ。だけど、こんなところで死にたくはない。豆腐に骨を埋めたくない……。

「うぅ……」

 最悪の結末が頭をよぎって、俺は、数年ぶりに泣いた。

 寂しい。ここにいると、世界から隔絶されたような感覚に陥る。

 誰もいない。無限に広がる豆腐。

 絹豆腐。

「ひっぐ……ぇぐうぐ……」

 誰か、誰でもいい。俺を見つけてくれ。

 俺を、救い出してくれ。

 誰か!

「……」

 せせら笑うように、豆腐がほよほよと揺れた。

 ……こんなことになるなら。

 最後に俺と話したあいつ。生きている俺を最後に見たあいつ。

 せめてあいつに……あのとき、フォローしてやればよかった。

 八つ当たりみたいに怒鳴るんじゃなかった。……新社会人。不安がたくさんあったはずだ。その彼女とやらも心細かったのかもしれない。お互いを励まし合っていたのかもしれない。彼らのメンタルは、それこそ豆腐のように崩れやすい状態だったのかもしれない。先輩の話よりスマートフォンに気が向いてしまうのは、しかたのないことだったのかもしれない。あり得ないが。

「申し訳ない……」

 しかし、極限まで追い詰められた俺は謝ることしかできなかった。

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