31話

「放して幸也くん! 私のことはもう放っておいて!」

「そんなわけにはいかないだろ! これ以上は奈留の身が持たない!」

「私の事なら大丈夫だもん! もう幸也くんのことなんて嫌い!」

「奈留に嫌いって言われた……モゥマヂムリ……」


 好きな子に嫌いって言われるだけで死にたくなるの、人間の構造欠陥だろ。

 

「冗談は置いておくにして、流石に食べ過ぎだぞ、せめてわたあめくらいにしておきなさい」

「やだぁ! せめて大判焼きは食べないと私の祭は終われないよ!」

「大判焼き? 回転焼きだろ?」

「え?」

「え?」


 なんだろう、これ以上このことには言及しちゃいけない気がする。

 

「わかったからとりあえずそれで最後にしような、もうすぐ花火も始まるし」

「やったぁ! 幸也くん大好き!」


 好きな子に好きって言われるだけで心臓がバグるの、人体の構造欠陥だろ、やっぱり。

 

 奈留が俺の分も回転焼きを買ってきてくれた。2人して齧るが、俺も奈留に付き合って相当いろいろ食べてしまったため、かなりお腹が苦しい。

 

 というか奈留は奈留であの小さな体のどこにあれだけ吸い込まれていったのだろうか、神秘だな。ミステリアス。

 

「そういえば幸也くんは花火見に来たことあるの?」


 見ればもう奈留の手から回転焼きが消え去っていた、早いなおい。

 

「去年はバイトでここの警備してたからな、ちょっと遠かったけど一応見たぞ、それ以外だとわざわざ見に来たことはなかったかもしれんけど」


 幼少時代まで遡れば家族で見にきたかもしれないが、少なくとも物心ついてからの記憶はなかった。

 

 両親ともに忙しいし、わざわざ見に来るほどの物とも思えなかったしな。

 

「じゃあ幸也くん、何処に行けば一番綺麗に見えるか分かったりする?」

「それは流石に……でも、川の周辺なら何処でもそんなに変わらないと思うぞ」


 正直、何処から見ても大して変わんないのは間違いないだろう。

 

 とはいえ、奈留は何やら楽しみにしているみたいだし、出来るだけ楽しんでもらいたいという思いもある。

 

「奈留ってそんなに花火好きなのか?」

「ん~、すっごい好きってわけじゃないけど、でも今年は特別だから」


 奈留の言っているのは何のことだろうか、調べた限りだと今年の花火は例年通りって感じみたいだけど。

 

「今年は特別って、何かあるのか?」

「そ、それを私に言わせるなんて、幸也くん結構いけず・・・だね」


 どうしよう、本当に全然わかんないけど、聞き返すのは悪い気がするし、苦笑いで誤魔化しておこう。

 

「それじゃあとりあえず向こうの方行こ! 出来れば開けたところがいいよね!」

「急がなくても花火は逃げないよ、それより結構歩いて疲れたんじゃないか? 少し休んでからに――」

「私は大丈夫だもん! まだまだ元気いっぱ――」

「奈留っ!」


 よそ見をしていたせいで、先導していた奈留が石にでも躓いたのか、転びそうになった。

 

 幸い手を繋いでいたので大事にはならなかったが、抱き留めるような形になってしまう。

 

 ちょっと変なところに手を添えてしまっているかもしれないが、不可抗力という事で許してもらおう。

 

「だから言わんこっちゃない、立てる?」

「ご、ごめんね幸也くん、っ! 痛っ!」

「何処か捻ったのか!? ちょっと見せて」


 立ち上がった奈留だが、苦痛に顔を歪めている。

 

「だ、大丈夫だから、そんなに心配しないで――」

「奈留の大丈夫は、もう信用できません」


 ぽわぽわした見た目とは裏腹に、奈留は案外強かなところがあるからな。

 

 ここで怪我を我慢させた結果、後に響かせるようなことはあってはならない。

 

 俺はしゃがみ込みスマホを取り出すと、懐中電灯モードに切り替え奈留の足元を照らす。

 

 膝、足首と順番に見ていったが、転んだ拍子に怪我をしている様子はない。

 

 しかし、足先まで見たところで意外な真実に気が付いた。

 

 草履の鼻緒がこすれたのか、親指と人差し指の間に痛々しく血が滲んでいた。

 

「……いつから?」

「え?」

「いつから、こう・・なってたの?」


 語尾に少し怒気が滲んでしまっていたかもしれない。

 

 当然対象は奈留ではなく、自分に対してだが。

 

「それはええっと、その、幸也くんのお家に着いたときくらいから、かな」

「ほとんど最初っからじゃないか! ちょっとそこの石に座れる?」

「う、うん……」


 道の外れに丁度良い座れそうな石を発見したのでそちらに促し、浴衣に泥が付かない様に汚れを払う。

 

 奈留を座らせると、俺はショルダーバッグから明菜に渡されていた『魔法のアイテム』を取り出した。

 

 封の開けてない、水の入ったペットボトルと、絆創膏だ。

 

 今だけはあの小生意気な妹に最大限の感謝を捧げねばなるまい。

 

 俺は正直、こんなことになるなんて、想定もしていなかったのだから。

 

「少し染みると思うけど、我慢してな」


 草履を脱いだ奈留の足を手に取り、水をかけて菌や泥を洗い流す。

 

 その上から絆創膏を貼ろうとするが、位置の関係で上手く貼ることが出来ない。

 

 俺は1枚目の絆創膏を諦め、2枚目のテープをはがしている時、奈留から控えめな声が掛かった。

 

 その声には、恥ずかしいのか、それとも申し訳なさからか、はたまた痛みからか、涙が滲んでいた。

 

「……幸也くん、やっぱり怒ってるよね」

「正直言って、めっちゃくちゃ怒ってる」

「だ、だよね、ごめ――」

「奈留がこんなになってることに微塵も気づかなかった俺に、すっごい腹立ってる」

「っ!」


 実際のところ、奈留の我慢強さは普段から卓越し過ぎていて、先ほどのアクシデントが無ければ気づくことは無かっただろう。

 

 だが、それでも、何か小さなサインを見つけられれば、彼女の苦痛をもっと早くに取り払ってあげられたのではないか。

 

 そう考えると、浮かれていたのは奈留ではなく、自分だったと、改めて思い知らされた。

 

「絆創膏、こんな感じで大丈夫かな?」


 両足共に不格好ながら貼りつけに成功した。とりあえずの応急処置としては上々だろう。

 

「……ありがとう幸也くん、また、迷惑かけちゃったね」

「奈留にかけられる迷惑なんていくらでも構わないけど、ただ、そのさ――」


 その先は言うか憚られたが、つい口を滑らせてしまった。

 

「もっと、頼って欲しいんだ。辛いときは辛いって伝えて欲しいんだ。俺は、奈留の彼氏なんだから」

「幸也、くん……」


 むしろ俺が奈留に迷惑をかけているのだから、とまでは言えなかった。

 

 何しろこの罰ゲームが無ければ、奈留が怪我をすることなんてなかったのだから。

 

 だけど、今だけは、例え仮初の彼氏だとしても、頼って欲しい、1人で抱え込まないで欲しいと、そう思わずにはいられない。

 

 2人で協力して乗り越えようと、言葉に出来たら、どれだけ楽になれるのだろうか。

 

 叶わぬ願いを天に唱えながら、俺は奈留に背を向けじゃがみこんだ。

 

「幸也くん? 何してるの?」

「背負って行こうと思ってね、俺の背中じゃ頼りないかもしれないけど」

「そんなの悪いよ! ちゃんと1人で歩いて――」

「もしおんぶされてくれないなら、無理やり抱きかかえてでも連れて帰っちゃうからな」

「っ!」

「花火、見たいんだろ? だったら、早く良い場所見つけないとな」


 本音で言えば、今すぐにでも連れ帰ってしまいたい。

 

 でも、奈留は今日の花火が『特別』だと言っていた、ならば、ここで帰るわけにはいかないじゃないか。

 

「そういうこと言うの、ズルいよ」

「俺は元々結構ズルい男なんだよ、それこそ、奈留が良く言う優しさなんかとは無縁の存在なんだ」

「幸也くんが優しくないなら、この世界のほとんどの人は優しくないと思うよ」


 最大級の世辞を受け顔を赤くしていたが、奈留が俺の首に腕を回したのを確認して、太ももを抱え上げる。

 

 想像していたより、ずっと軽い。

 

「大丈夫? 重かったら我慢しないで言ってね?」

「まさか、むしろ羽みたいに軽くてびっくりしたよ、ちゃんとご飯食べてる?」

「幸也くん、わかってて言ってるでしょ! いじわる……」

「っはは! ごめんごめん! 悪かったから、首絞めるのやめて」


 割とマジで絞まっててやばい、死ぬ。

 

 でも、表情は見えないけど、奈留が元気を取り戻してくれたみたいで良かった。

 

 空元気なのかもしれないけど、あの屋上の時みたいに泣いている奈留を見なくて済んだことに、心を撫で下ろす。

 

 暴れる奈留を宥めながら、俺は一番花火が綺麗に見えるところを探して、河川敷を歩き続けた――

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