18話

 リビングに通された俺は場違い感に打ちのめされていた、外観からして立派なマンションだが、内装も負けず劣らず美しい、俺の語彙力で説明するなら、金の香りがする、そんな空間。

 

 想像よりふっかふかのソファーに奈留共々座らされると、奈留のお母さん――名を志乃というらしい――が凄まじい手際で紅茶を入れて戻ってきた、飲みなさいと目で促されたので緊張する指先でカップを摘まむと、一口戴く、正直種類など一切分からないが、今まで飲んだ紅茶の中で最も美味だったと断言できる。

 

 鎮静作用もあるのか、いくらか緊張もほぐれてきた。そのタイミングを見計らったのか、志乃さんが向かいのソファーに腰を掛ける。

 

 数瞬の沈黙を経て、志乃さんが口を開く。

 

「それで、いつからお付き合いを始めたのかしら?」

「それは……2日前に、奈留さんから告白を受けまして、俺が了承して付き合い始めることになりました」

「そうですか、奈留が告白をねぇ――」


 そう言うと何故か頭を押さえてしまう志乃さん。やはり可愛い我が子にが付いていることを嘆いているのだろうか。

 

 奈留も何故か同じように顔を覆って俯いている、お嬢様も大変なんだなと思っていると志乃さんが重い口を開いた。

 

「遠山さん、不躾なのだけど、私のお願いを聞いてもらってもいいかしら?」

「っ! それは、内容を聞かなければ答えることは出来ません」

「――そうですね、では、聞くだけ聞いていただけますか」


 そう言うと志乃さんの空気が変わった気がした、それはどこかあの屋上での告白の時を思い出させて、まだそんなに時間は経っていないというのに、懐かしい気持ちになった。

 

 そして志乃さんは――弾けた。

 

「どうか! どうかうちの娘を見捨てないでください! 思い込みが激しくてちょっと頭の足りない子だけど根は良い子なんです! だからどうか、もういっそこのまま嫁に迎えてやってください!」

「ママ! そんなこと言って幸也くんに失礼だよ! それに私そんなにポンコツじゃないし!」

「どの口がそれを言うの! ええと、遠山さん? 娘がこれからも迷惑かけると思いますが、どうか温かい目で見守ってやってください」

「あ、いえ、佐伯さんは俺なんかには勿体ない素敵な女性ですので、むしろこちらがご迷惑を――」


 あれ、なんか思ってた展開と違うぞ、てっきり別れてくれとか言われるものだと思ってたんだが……

 

「しかし安心しました。奈留に彼氏がいることはなんとなく最近の奇行で察していましたが、誠実そうな男性を捕まえたようで――」

「え!? ママ気づいてたの!? いつから!?」

「あなたがベッドでゴロゴロ転がってた時からよ。しかもその後普段は料理なんてしないくせに、台所でこそこそやってれば誰だって気づくわよ」

「なんで幸也くんの前でそれ言っちゃうの! ママの馬鹿ぁ!」

「私に馬鹿と言いたいなら、せめて日本史で平均点取ってから言うのね」

「うわあああ! みんなして私の事いじめてくるもうやだあああ!」


 仲の良い親子喧嘩を見てなんだかほっこりしてしまった、『お話』なんて言うからもっと詰問されるものだと思っていたんだが、案外優しそうな女性でこっちこそ安心してしまった。

 

 ぎゃあぎゃあ言い合っていた2人だが、俺の存在を思い出したのか、志乃さんが咳ばらいをすると奈留も恥ずかし気に俯き、沈黙が過る、もう緊張などとっくの昔に消え去っていたが、これはこれで何を話していいのかわからない。

 

 そんな空気を感じ取ったのか、志乃さんが切り出してくれる、良く気の利く女性だ。大人の余裕を感じる。

 

「ところで遠山さん、お夕飯はまだよね?」

「あ、はい、それはこれから作る予定で――」

「良かった! 実はね、ビーフシチューを作ったんだけど、夫が急な仕事で帰って来られなくなっちゃって、大分余っていたから困っていたの。もしよければ遠山さんも食べて行ってくれないかしら?」

「え、ですが、家族の団らんを邪魔するわけには……」

「邪魔だなんてとんでもない! それに私、正直2人の馴れ初めをもっと聞きたいわ、どうかしら? ちなみにビーフシチューは奈留が毎回跳んで喜ぶ大好物よ」

「私そんな喜び方しないよ! 好きなのは認めるけど……」


 あれよあれよとテーブルに誘導されてしまう俺達、何か手伝いたかったが目で牽制されてしまった、「お客は黙って座ってろ」、と。

 

 借りてきた猫のように静かに座って待っていると準備が整ってしまう。メインのビーフシチューにサラダ、あと名前わかんないけど白くて柔らかそうなパン。

 

 まるでお金持ちの晩餐! って感じだが、テーブルマナーみたいなものを意識しなくて済みそうなことに安堵してしまう。

 

「どうぞ召し上がって、お口に合えばいいんだけど」

「いえ、恐縮です、それでは……」


 奈留にお弁当を差し出されたとき同様なんとなく委縮してしまう、佐伯一族の持つ†圧†がそうさせるのだろうか。

 

 そうしてパンをちぎり、シチューに浸して食べてみる、なるほど、とてもおいしい。

 

 元々少ない語彙力が完全に溶けきるくらい美味しい、奈留が跳んで喜ぶというのも納得だ、主婦系男子として是非レシピをお教え願いたいところだ。

 

 その後は食事2人の馴れ初めについてありきたりな範囲で説明していく、もっともまだ3日しか経ってないわけでそんなに面白いエピソードもないわけだが、それでも楽しそうに志乃さんは相槌を打ってくれる。

 

 それが嬉しくて俺も余計なことを言ってしまっていたかもしれない、度々奈留がパンを頬張りながら横目で俺を睨みつけていたのがその証拠だ、なんかハムスターみたいで可愛い。

 

 いや、そもそも付き合ってないんだけどね、たまに忘れそうになる、危ない。

 

 忘れるといえば、他に何か大切なことを忘れている気がする……まぁ思い出せないという事は大したことではないだろうと頭を切り替え、俺は最後まで絶品ビーフシチューを堪能してしまった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オニイチャン……オナカスイタ……」


 自宅で干からびたミイラみたいになっている明菜を発見したのは、もうちょっとだけ後のお話――

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