第19話'物部大臣(中編)

 神別氏族 中臣氏の祖は、「天岩戸」神話で活躍した天児屋命あめのこやねのみこと(天児屋根命)とされる。物部系の歴史書『先代旧事本紀』では、天児屋命は 大和にやってきたと伝えられているが、中臣氏の後裔 藤原氏の氏神を祀る春日大社には 天児屋命とともに武甕槌神タケミカズチ経津主神フツヌシらが祀られていた。

 このうち、中臣氏の祖である天児屋命が天慶3(940)年に正一位になったのに対し、武甕槌神と経津主神は それより前に正一位に叙せられている(850年)。武甕槌神と経津主神は 神話の中で、「天孫降臨」の下準備である「大国主の国譲り」の際に活躍しているが、その聖剣あるいは正体である布都御魂は 物部氏が祭祀する石上神宮に祀られるなど物部氏と関係の深い神であった。

 上の神は それぞれ,前者である武甕槌神が常陸国 鹿島神宮、後者である経津主神が下総国 香取神宮に祀られているが、2つの社は関東地方を北から東に流れる利根川を挟んで相対するように位置している。もう一つの歴史書『古事記』では建御雷神タケミカヅチの別名を建布都神、布都神と記し、1神としていることを考えると、2神は一体セットと考えられていた可能性が高い。

 なお、その2神が東国で祀られているのは、単なる間違いか、箔をつけたかったか、或いはミスリード、はたまた連想の結果であったか… 藤原鎌足の墓と推測される阿武山古墳は大阪府高槻市奈佐原・市安威にあった。

 更に言えば、春日大社の名称 春日(か)というのは 恐らく当て字であるが、それは蘇我氏の地盤 飛鳥(あ)と通ずるものがある。

 中臣鎌足の出身地とされるのは、大和国高市郡藤原。藤原氏の名称の由来は この地名によると 一説には見受けられているが、鎌足の誕生地(大原神社)は、蘇我氏の本拠地 明日香村に存在していた。

 『日本書紀』の次の正史『続日本紀』は、藤原一千年の基礎を築いた人物 藤原不比等を称える場面で その父 鎌足を引き合いに出し、

  汝の父 藤原大臣の仕え奉りける状をば、

  建内宿禰の仕え奉りける事と同じことぞ

  と勅りたまひて…

と書き、建内宿禰(武内宿禰)と鎌足を重ねている。建内宿禰とは 景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代に仕えたという伝説上の忠臣であるが、もう一つの歴史書『古事記』によれば、蘇我氏の祖であった。

 藤原氏の初期の歴史が記された伝記『藤氏家伝』の中で蘇我氏の4代目 入鹿が褒め称えられていることも気になるところだ。鎌足と入鹿はともに、遣唐使帰りの学者 僧旻の学堂に通っていたが、入鹿は「僧旻の弟子の中で一番」と鎌足より上位の成績を収めているとされていた。

 鎌足は 中臣御食子の長子とされているが、その字は"仲郎"という。古代中国においては兄弟の順序は '伯仲叔季' で表され、それが必ずしも日本で適用されるとは限らないが、何となく引っかかる。ついでに言えば、入鹿の別名は "太郎"で長男であることを示されていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る