第18話'中臣鎌足の正体(中編)
けれど、この時期 東アジア圏内では 唐の攻勢と連関して改革ドミノが起きていたから、外国人の見解を聞くことは珍しくなかったのかもしれない。大陸における大帝国の出現は 東アジア全体の民族の存亡がかかった問題であり、民族の垣根を越えた協力体制の構築が このとき求められたことであろう。
いや、そのような大層なものではなく、互いが互いを利用するために手を組んだのか? 何にしても、"中臣鎌足=余豊璋"説は 完全には否定できない。
ただ、私は 鎌足の正体として もっと相応しい人物がいるのではないかと愚考している。その人物を、私は古代の有力豪族 蘇我氏に連なる者だったのではないかと恐察しているが、この場合、鎌足の正体が隠された理由は正史『日本書紀』が 反蘇我の書と相成ったからだ。鎌足や中大兄皇子が活躍したとされる乙巳の変は、つまるところ 傍流による本流への反乱だったのではないかと私は探究していた。
変の起きた645年当時 唐の高句麗遠征が現実に行われていたことから、高句麗の同盟国 百済への支援や自国防衛の方針の違いなどが彼らの念頭にあったことは想像に難くない。が、蘇我入鹿暗殺は 同時に、不遇をかこっていた自分達を浮かび上がらせるための行動だったのではなかろうか? 変の参加者である中大兄皇子や蘇我倉山田石川麻呂は どちらもその一族の本流ではなく傍流の人物だった。
まぁもっとも、この場合、別に"鎌足=余豊璋"でも 石川麻呂は変に参加しそうな気がしないでもない。鎌足が蘇我氏の内部事情に通じていたのも、それが単に周知のことであったのか,はたまた、彼の諜報活動が巧みであったためか…
それでも あえて、私が 鎌足が実は 蘇我氏に連なる者であったと勘案する一因として、当時の系譜と神々の系譜とを比較すると、鎌足が"豊葦原中国の主"大国主に比定されることがある。おそらく、もともと大国主には蘇我氏の人物が投影されていたが、紆余曲折を経て、最終的には そこに鎌足の影も反映されていた。
天照(「天岩戸」神話)
‖-⬜︎-ニニギ-海幸・山幸-草不合-初代
スサノオ—大国主
敏達-⬜︎-舒明-天智・天武-草壁-文武
‖
推古(日食:628年)
| 密通?
蘇我馬子—厩戸皇子?
⬇️
天照大神—□—ニニギ
‖ (「天孫降臨」)
スサノオ—大国主
持統女帝—□—文武天皇
‖ (孫に皇位を譲る)
天武天皇—高市皇子
⬇️
武甕槌命・経津主命(春日大社に祭祀)
↓国譲りを迫る
大国主-事代主———————五十鈴依媛命
∟ 媛蹈鞴五十鈴媛 ||
||——————綏靖【2】
草葺不合尊———神武【1】
↑天照の玄孫
藤原鎌足-不比等———————光明子
∟宮子 ||
||—————聖武【45】
草壁皇子 ————文武【42】
そして私は、これを傍流が本流を乗っ取ったことを投射したものだと踏んでいる。神話世界には、「天岩戸」や「天孫降臨」などに見られるように、当時の出来事や世相、権力者の思惑・胸中等が多分に映し出されていた。
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