第17話'古代の軍事氏族 物部氏(後編)
石上氏は 氏祖である麻呂の孫の代までは 公卿を輩出するが、9世紀前半以降は中央貴族としては衰退。物部系の史書『先代旧事本紀』は 地方出身の物部氏の後裔が編んだものとも一説には唱えられている。『先代旧事本紀』は 天地開闢から推古女帝(第33代)までの歴史が記述されているが、かの史書は 尾張氏と物部氏の系譜を特に詳しく載せていた。
『先代旧事本紀』には、もう一つの歴史書『古事記』等では登場しない物部氏の人物も多数 存在していて、その成立時期をめぐって諸説あるが、概ね平安時代初期だと考えられている。
(前書きは 蘇我馬子の時代に成立と
記されている。)
ところで、物部氏と蘇我氏は 正史『日本書紀』においては 対立関係にあったと記されている。が、その一方で、彼らは婚姻関係を結んでいた。正史上、蘇我氏の2代目 馬子には 物部守屋の妹が嫁いでいるが、その財によって孫である物部大臣が権勢を得たとされていた。
先代からの敵対関係であったはずの蘇我氏と物部氏との間に、一体 何があったのか? この齟齬・違和感には、時の権力者の思惑が隠されているのではないかと私は疑っていた。
なお、正史に 物部守屋の妹の名は記されていないが、『先代旧事本紀』によれば、馬子の妻の名は 物部鎌足姫(鎌姫)大刀自と言った。
あと、正史『日本書紀』に記された神宮は 伊勢神宮と石上神宮のみであり、石上神宮には百済からの贈り物である"七支刀"が祀られていた。ここから、正史編纂時の権力者が物部氏の祭祀していた石上神宮を高く顕彰していたこと、そして 物部氏と百済との繋がりが窺われる。物部氏は 百済との間の交渉の窓口の役割を担っており、かの国で役職を得た者も存在していた。
こぼれ話だが、七支刀というのは、『鬼滅の刃』主人公 竈門炭治郎の父 炭十郎が 神楽の際に使用している刀と同様の形状であり、失われた4世紀を解き明かす重要資料である。
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