第17話 古代の軍事氏族 物部氏(前編)

 古代の軍事氏族 物部氏は、"太陽神"であるニギハヤヒを祖とする氏族である。かの神は 初代 神武天皇以前 大和の地に君臨していたが、一部では 出雲神だったのではないかと囁かれていた。ニギハヤヒと長髄彦の妹との間の子である宇摩志麻遅命うましまぢのみことは、実に 島根県にある物部神社に祀られていた。

 (ただし、没した地とされる。)

 その後、第10代 崇神天皇の御代、伊香色雄いかがしこおという人物が "祟り神"大物主を祭祀する際に登場するが、かの人物が神班物者かみのものあかつひとに任命され 八十平瓮やそひらか(平たい皿)に 物をけ 神に奉るものを作ったことが、一説には かの氏族の名称の由来になったとされている。

 "物部"の名乗りは 第11代 垂仁天皇の時代に五大夫の一人として活躍する物部氏の遠祖 物部十千根とちねになってからだが、物部系の史書『先代旧事本紀』には かの人物は 伊香色雄に続くニギハヤヒ7世の孫と記載されていた。


 物部氏は爾後、麁鹿火あらかび尾輿おこしなどの著名な人物を誕生させているが、彼らの時代には かの氏族は 有力な軍事氏族へと成長を遂げていた。特に、物部麁鹿火は九州北部で起こった筑紫国造 磐井の乱を平定したことで知られている。

 そうして 尾輿の時代より、かの氏族は、飛鳥の有力豪族 蘇我氏との対立を深めていく。その発端となったのが、仏教の伝来だ。物部氏は 従来の日本の神を尊重する立場であり、神事・祭祀を司る中臣氏とともに 蘇我氏と敵対関係となった。

 而して、尾輿の子 守屋の代になって 対立は戦へと発展するが、その戦いにおいて 物部氏は敗北(丁未の変:587年)。以降、かの一族は 衰退することになった。

 だが、ここで物部氏が滅亡したかと言えばそうではない。かの氏族の主流は 石上氏と名乗り、その氏祖 石上麻呂は 708年、左大臣の地位に就いている。石上麻呂とは 壬申の乱において 大友皇子に最後まで付き従った者の1人であり、大友皇子の妹である元明女帝(第43代)の和歌に登場する"物部大臣"は 一般に彼のことだと見受けられていた。

 ちなみに、物語の祖『竹取物語』にも 石上麻呂という人物が登場するが、かの物語には当時文武朝の世相が反映されているのではないかと高察されている。『竹取物語』には かぐや姫に求婚する人物として5人の貴公子が登場するが、それぞれ当時の政府高官との関連が指摘されていた。


  石作皇子 ← 多治比島がモデルか?

  車(庫)持皇子 ← 藤原不比等?

  右大臣阿倍御主人← 阿倍御主人?

  大納言大伴御行 ← 大伴御行?

  中納言石上麻呂 ← 石上麻呂?


 このうち、車持皇子が藤原一千年の基礎を築いた藤原不比等と目されているわけだが、(一説には、不比等の母は 車持氏の人物)

かの人物と石上麻呂は 歩調を合わせて昇進している。


     藤原不比等    石上麻呂

 701年:正三位 大納言  正三位 大納言

 704年:従二位?    右大臣

 708年:正二位 右大臣  正二位 左大臣


 物部氏と藤原氏の前身 中臣氏との間につながりがあったが、果たして これもそれ故だったか…

 余聞だが、『竹取物語』を題材とした漫画は多く、『かぐや様は告らせたい』や『トニカクカワイイ』などが現在 週刊誌で連載されている。

 前者は 2019年 映画化をされているが、作中登場する石上会計や藤原書記は 当然 くだんの人物たちから名前を頂戴したものだろう。

 (2021年続編公開決定!)

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