第15話"大物主のタタリ(後編)
ちなみに、大国主の中身が大物主に置き換わったのが事実だとすると、"藤原版"大国主に 中臣鎌足の影が見えることから、元来、"大物主=中臣鎌足"だったことが推当てされる。
大国主-事代主———————五十鈴依媛命
∟ 媛蹈鞴五十鈴媛 ||
||——————綏靖【2】
草葺不合尊———神武【1】
↑天照の玄孫
藤原鎌足-不比等———————光明子
∟宮子 ||
||—————聖武【45】
草壁皇子 ————文武【42】
↑持統の子
が、そうなってくると、"初代 神武=文武"のところに "大物主=中臣鎌足"が付き従っていることに疑問符がつく。と言うのは、文武は 大化の改新の主人公 天智天皇(中大兄皇子)の曾孫にあたり、時代的に整合しないからだ。
されども、もともと『日本書紀』の編纂命令者である天武天皇(第40代)が 自らを初代に投影させていたであろうことを考えると、初代天皇の改変の筋書きとして、天武の皇后 持統(第41代)が一旦 初代を天武から自らの父 天智(第38代)に交代させたことが想定される。多分、その際 "天智の側近"中臣鎌足が初代に付随され、それが そのまま文武へとスライドしたのだろう。
持統は天武の崩御後、彼の流れを否定するような行動をとっており、"天武=初代"をそのまま踏襲するとは思われなかった。
なお、この天武から天智への初代の交代は 大方 対立勢力の目があったことから
余聞だが、この交代が 天智・天武 両天皇の兄弟関係を逆転させるという発想に繋がったものと私は愚察している。
(元々、正史には 天武が 天智の曰く付きの兄とする記述があったものと私は考えている。)
あと、初代が 天智から更に文武へと変わったのは 対立勢力の巨魁 高市皇子が亡くなった後だろう。かの人物が存命中は 持統がいくら声高に「初代はあくまで天皇家の者であるべし」と唱えても、その実現は 一筋縄ではいかなかった。
🔵天武天皇の時代
———初代【天武】—
|
—⬜︎【天智】
⬇️
🔴持統の改変①(高市皇子存命中)
———⬜︎【天智?天武?】
|
—初代【天武?天智?】—
大物主【中臣鎌足】
※ 位置取りや関係性など(名前も?)に
違和感を醸し出すが、あくまで、
系譜の前後の繋がりは天武のもの。
⬇️
🔴持統の改変②(高市皇子薨去後)
———海幸【天智?天武?】
|
—山幸【天武?天智?】—⬜︎—⬜︎—初代'
大物主
【鎌足】
※ 山幸彦と神武天皇の名は
ともに"彦火火出見"。
⬇️
🔴持統の改変③
(天照に投影後、タタリを遠くへと離す)
———海幸
|
—山幸—⬜︎—⬜︎—神武←[分割]→崇神
大物主
〈祟り〉
※ 大物主の中身と大国主の中身を交代し、
而して、
"藤原版 大国主=元来の大物主=中臣鎌足"が正しかったとすると、"物"の一文字から鎌足の本当の素姓は 古代の軍事氏族 物部氏ではなかったかと直感的に勘繰れる。
いやさ、流石に これは 短絡的に過ぎると 言わざるを得ないが、物部氏の祖神である
かの神は "神武天皇=文武天皇"の対立者として記紀に登場するが、その性格・特性は "天孫 ニニギ=文武天皇"の対立者 藤原版 大国主と根っこの部分で 非常に強い類似性を有していた。
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