第15話'大物主のタタリ(中編)
この国の初代天皇と目される神武天皇は、紀元前660年(辛酉の年)に即位したと伝わっている。
けれども、これは 後世の潤色,すなわち、天皇家の歴史を少しでも古く見せようとしたもので、実際には 第10代 崇神天皇が 本当の初代だったのではないかと概して唱えられている。初代 神武天皇から第10代 崇神天皇の間には 第2代から第9代までの8人の天皇が存在するが、彼らの記録は系譜の記載のみに限られ、一括して"欠史八代"と呼び表されていた。
(初代 神武—[欠史八代]—第10代 崇神)
しかし もし、時の権力者である持統女帝が自らを投影した神の治世にタタリがあることを厭い、かの記録を遠くに離すために その辺りの記録を改変したとなると 微妙に話は変わってくる。なぜなら、時代を古く見せ 天皇家の権威付けを図ると言う動機が 後付けのものとなる可能性が出てくるからだ。
ただ、この狙いは 後から思い付いたとしても、決して嘘ではなく、当時の政情に上手く活用されたものと私は胸算用している。初代 神武天皇は 革命の起こる干支とされる"辛酉の年"に登極しているが、第45代 聖武天皇は 正史『日本書紀』撰上の翌年にあたる辛酉の年(721年)に即位を計画されていた節があった。
『日本書紀』撰上時の最高実力者で 聖武の祖父 藤原不比等が 720年に亡くなったため、この企ては 実現しなかったが、正史『日本書紀』の記述には、時の権力者が 変更を巧みに利用して、単一の目的にとどまらず、複合的な効果を生じせしめたと思しきものが この他にも存在していた。
それはさておき、タタリの記述がそんなに気になるなら、遠くに離すなど迂遠なことはしないで、記録類を抹消してしまえば それで済むような気がしないでもない。
けれども、そんなことをすれば、一体何が起こるか 皆目 見当がつかない。これは 後の時代の話になるが、第50代 桓武天皇の御代に起きた藤原種継暗殺事件(785年)と それに伴う早良親王(崇道天皇)のタタリの記録は 隠蔽が謀られたにも関わらず、紆余曲折を経て、現代にまで伝えられている。
だが、そもそも何故、大国主のタタリは、第10代,いや 本物の初代と見做される天皇のもとへと移動されたのか?
私は、それは 初代天皇のところに 大物主が付随していて、大国主と血縁だったことから その中身の交代が画策されたのではないかと恐察していた。
いな、血縁側の方から
そしておそらく、2神の中身の交代後、初代が分割され、さらにタタリが遠く離された。この工程は、"初代=文武"であったことからとられた措置だろう。
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