第14話' 「大国主の国譲り」(後編)

 皇祖神 天照大神は 天界から地上を眺めていた際、豊葦原中国の繁栄を見て 自らの子孫が治めるべき土地だと考え、かの地へ その旨を伝える使者を派遣した。

 このとき、豊葦原中国を支配していたのは スサノオの後裔である大国主命であったが、かの神物が 大変 魅力的であったため 懐柔策は三度 失敗。ついには、軍神である武甕槌命 と経津主命が かの地へと差し向けられた。

 武甕槌命は 十束剣とつかのつるぎを波の上に逆さに突き立てて、その切先の上に胡座をかいて 大国主と国譲りの談判を行ったが、その結果、大国主の子である事代主に その是非が委ねられた。

 事代主は これを承諾して 大国主は 黄泉国へと隠れ、見事 国譲りは相成り、天孫 ニニギが地上に降臨し、かの地の統治を任せられた。


 この「大国主の国譲り」から「天孫降臨」神話の流れにおいて 登場する大国主を、私は蘇我氏の人物だと目算している。

 "天照大神=推古女帝"の時代に 実権を握っていたのは蘇我氏であり、"もう1人の天照大神=持統女帝"の政敵 高市皇子は 天武天皇の皇子で 蘇我氏の血を受け継いでいるのではないかと私は判じていた。

 また、大国主の治めた土地は 豊葦原中国というが、"豊"とは 蘇我氏と関係の深い語でもあった。

 なお、大国主に 国譲りを迫った武甕槌命と経津主命は、藤原氏の祭祀する春日大社に祀られている。藤原氏は 十中八九、高市皇子の排斥(暗殺?)に関与しており、かの一族が文武(=天孫 ニニギ)を皇位に就けるため、 蘇我氏の人物高市皇子(=大国主)の追い落としに尽力したことが 神話の世界にされたことが壁越推量された。

 ところが、持統の孫 文武天皇が投影されるもう1人の傑物"初代"神武天皇の周辺の系譜を見てみると、正史において、かの天皇には 大国主の孫娘が嫁いでおり、大国主には 藤原氏の影が垣間見えた。

 多分、何らかの都合により 大国主の中身がのだろう。大国主には 様々な別名が存在するが、その所以は幾人もの人物が投影されていたからだったのかもしれない。


武甕槌命・経津主命(春日大社に祭祀)

 ↓国譲りを迫る

大国主-事代主———————五十鈴依媛命

       ∟ 媛蹈鞴五十鈴媛  ||

         ||——————綏靖【2】

草葺不合尊———神武【1】

↑天照の玄孫


藤原鎌足-不比等———————光明子

         ∟宮子     ||

         ||—————聖武【45】

草壁皇子 ————文武【42】


 余聞だが、「大国主の国譲り」は 一説には この国の"和の精神"の最初の発露だとされている。大国主に最初に投影されていたと私が考えるなるのある人物に、そのような性向がなかったとは言えないが、この大国主の中身の交代劇によって、途中 武力討伐だった神話の内容が 融和という形で落ち着いたのではないかと私は胸算している。

 「国譲り」に登場する武甕槌命や経津主命は 軍神であり、藤原氏の祭祀する春日大社に祀られているが、その打倒の対象が 蘇我氏から藤原氏の人物へと替わったとき、神話の内容も変化したのだろう。


 かくて、神話や伝承などより窺われる齟齬や矛盾・不整合などから、その記録の変遷や時代背景などが推察されるが、では 大国主が蘇我氏から藤原氏へと交代した理由とは一体何だったのか?

 まぁ おそらくは、蘇我氏と藤原氏との間に何らかの関係,具体的に言えば、があったことが 大国主の中身が交代した一因だったろうが、ならば そこにどんな切っ掛け、そして 時の権力者の思惑があったのか?

 私は これらを読み解く鍵として、大国主と同体の神とされる大物主のがあるのではないかと探求している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る