第13話"歴史書と時の権力者の作為(後編)

 

 遣唐使廃止以前の歴史書として、六国史の他に 著名なものとして『天皇記』『国記』『古事記』『先代旧事本紀』『藤氏家伝』などが知られている。

 『天皇記』『国記』は崇峻天皇を暗殺して女性天皇を立てた蘇我馬子と聖徳太子が編纂をしたものであり、『藤氏家伝』は皇帝になろうとしたとされる恵美押勝が編修。『古事記』では 天孫ではなくスサノオの流れを重視している節があって、『先代旧事本紀』は物部系の書物であるが、祖である饒速日ニギハヤヒが 古代 君臨していたと記すなど、王朝交代をしようとして自らの正統性を示そうとし 歴史書を編纂しようとしていたとも 考えようによっては受け取れた。

 まぁ、大陸と陸続きではなかった特性から雛形はあったとしても実情に合わせ日本独自のアレンジなどはなされていたことだろう。実際、この国では 科挙は定着しなかったし、律令や公地公民は ほどなくして形骸化した。遣唐使の廃止によって、その振り幅が大きくなったのは間違いないが、それ以前にもその傾向は 確かに存在していた。

 王朝の節目節目に歴史書が編纂されていたことが これまでの記述から揣摩臆測されるが、中華帝国から正史編纂事業を取り入れた時期が近いほど、その歴史観は 近似値として保持されたことだろう。

 『日本書紀』編纂命令者 天武天皇は、壬申の乱のとき、巨勢ひと(=比等)の内訌など 蘇我系の氏族の協力を得て 戦いに勝利し 即位しているが、私はこのことなどから天武天皇は蘇我氏の人物であり、王朝交代をを記す歴史書の編纂を画していたのではないかと愚慮していた。

 大乱の勝者 天武天皇は 天文遁甲を能くし、『藤氏家伝』においては という その当時 特殊な武器を使う等 その素姓は甚だ怪しい。天武天皇の構想していた正史『日本書紀』の原型は 中華帝国の正史の歴史観と最も近かったのではなかろうか?

 いや、正史編纂が国家事業となる唐以前の正史を参照にしたであろう蘇我馬子や聖徳太子の『天皇記』や『国記』が中華帝国の歴史観に最も近く、天武天皇の作った それは蘇我氏のとして既にアレンジがなされていたのかもしれない。

 しかし その後、天武に対して彼の后が登極し、天武の構想(大方 天皇家と蘇我氏の二王朝交代)のアンチテーゼとして,また 現存していた天武の後継勢力すなわち蘇我氏の正統性を潰す意味を込めて、万世一系という血のつながりが創作されたのではないかと私は当て推量している。天武の后であり 天智の娘であった持統が 天武の血統に対して挑戦的だったことは、彼女があくまで自らの血統にこだわり その後"統をたもつ"という諡が贈られていることから伺えた。

 そして、持統の正史改変の裏には 藤原一千年の基礎を築いた人物 不比等の関与があったのやもしれない。不比等は はじめ"史"として歴史の表舞台に登場していた。


 かくて、この国の正史は 時の権力者が自らの正統性を主張し、相手の正統性を潰す道具ツールとして利用された側面が強いが、神話という伝説的フィクション要素が強い世界においては 捻じ曲げられ 取り繕われた歴史の真実・真相が断片的に投影されているのではないかと私は検討している。

 神話は もともと天武天皇が企図していたものを、持統と不比等が大幅に改変したと私は探求しているが、そこから元来 神話の世界において投影されていた人物や後に置き換えられた人物、変容された神・神話などを推測。それらの相関関係や扱いの違いなどに着目して、当時の背景や編纂者の立場・心算などを考察し、これから古代の真相の一端に迫ろうかと試みる。

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