第13話 歴史書と時の権力者の作為(前編)

 伝存する最古の正史『日本書紀』は第40代 天武天皇の命令によって編纂を開始された。正史は その後、

 『続日本紀』[文武(42)〜桓武(50)]

 『日本後紀』[桓武(50)〜淳和(53)]

 『続日本後紀』[仁明(54)]

 『日本文徳天皇実録』[文徳(55)]

 『日本三代実録』[清和(56)〜光孝(58)]

と続くが、これらを総称して"六国史"と呼ぶ。

 六国史以降、長らく正史の編纂は途絶えていたが、近代 明治になって再開。令和となった現在もまだ編纂事業は続けられている。

 ちなみに、"実録"というのは、ある帝王一代の言行・事跡を編年体で記録したもの。2014年に、昭和天皇(第124代)の一代記である『昭和天皇実録』が完成したことは記憶に新しい。

(念のため、明治—大正—昭和—平成—令和)


 正史編纂事業が途絶えていた背景として、第59代 宇多天皇の時代に 遣唐使が廃止された(894年)ことが挙げられる。古代において、この国は 中華帝国の強い影響下にあったが、そこから解き放たれた時 日本独自の国風文化が開花。そして、それは歴史編纂の分野にも波及した。

 原初の歴史観は 基本、ギリシャ ヘロドトスのそれと前漢 司馬遷のそれに大別されるが、最初 日本は当然 後者に準拠して史書を編纂。その歴史観は 正統の歴史を語るものだった。なお、前者の歴史観は 変化を語るものである。

 古代この国の正史は 中華帝国のそれのであったわけだが、遣唐使の廃止後、中華帝国の呪縛からの脱却を図ってか、はたまた、 方向性を見失ってやる気を失ってか、次の正史編纂は未完で中断(『新国史』)。代わりに、『大鏡』や『栄華物語』などの歴史物語が私的に作成され、六国史の後の歴史を後世に伝えている。

 それらは、時の権力者に対して批判的だったり 賞賛する立場であったりするわけだが、中華帝国の歴史観とは また異なる偏りがバイアスが存在していたかかっていた

 歴史書に 筆者や編纂者の立場・都合などが反映されるのは現在いまも昔も変わらない。当時の日記等と合わせて、誰がどの立ち位置から どのような背景を持って 文章を綴っているかを考え合わせることが 歴史を多角的に立体的に読み解く上で必要なことだろう。

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