第11話 蘇我入鹿と天武天皇(前編)

 古代の有力豪族 蘇我氏の宗本家は、第35代 皇極天皇の時代、大化の改新の端緒 乙巳の変(645年)で 4代目 入鹿が暗殺され、その父 蝦夷が自害に追い込まれ 滅亡したと伝えられている。

 蘇我氏の擁する次期天皇の最有力候補であった古人大兄皇子も 異母弟である中大兄皇子に謀殺され、この時期 正史の中心人物には、大化の改新の主人公 中大兄皇子が据えられていた。

 かの人物が実権を握っていた時節は、暗殺や謀殺、大規模な土木工事など 暗い記事が多く、660年に百済が滅亡した後は朝鮮半島への出兵を強行し、白村江において 手痛い敗北を喫している(663年)。

 ちなみに、中大兄皇子の同母弟とされる大海人皇子,後の天武天皇は 白村江の戦いの後から本格的な活動を開始している。

 その後、紆余曲折を経て、中大兄皇子こと天智天皇(668年即位)が崩御(671年)。彼の跡目をめぐって天智天皇の子 大友皇子と大海人皇子との間で大乱が起こるが(672年)、このとき 蘇我系豪族の多くが大海人皇子側についていた。

 私は このことなどから、大海人皇子あらため天武天皇は 未だ政界に深く根を張っていた蘇我氏の人物だったのではないかと愚考している。この時分、半島情勢の悪化など政情不安があり 政策の変更などが求められていたが、いくら大義名分があっても強固な母体がなければ、大乱で勝利し 政権を維持することなど能わなかった。


 壬申の乱の勝者 英雄 天武天皇は、古代史上最大の大乱を起こし その戦に勝利して即位。爾後、自ら史書の編纂を命じたにも関わらず、その生年や前半生が不明であること等から、一部ではその素姓が疑われている。

 その中で、現在 天武天皇の正体として 最も有力視されているのが、先帝 天智天皇の異父兄にあたる"漢皇子あやのみこ"だ。天智天皇の母 宝皇女(皇極・斉明天皇)は、田村皇子(舒明天皇)との間に 中大兄皇子(天智)や大海人皇子(天武)などをもうけたとされているが、彼とはであり、それ以前の段階で、用明天皇の孫 高向王たかむくのおおきみとの間に漢皇子という名の子をもうけていた。


高向王

①‖——————漢皇子

宝皇女(皇極・斉明)

②‖——————中大兄皇子(天智)—大友

田村皇子(舒明) ∟大海人皇子(天武)

 ‖——————古人大兄皇子

蘇我法提郎女


 天武天皇の正体として 天智天皇のが想定される所以に、後世の書物と正史『日本書紀』に記される天武・天智の年齢を比べると、2人の兄弟関係があべこべになってしまうことが挙げられる。英雄 天武天皇は 天智天皇のだとされているが、後世の史書には記されている天武の没年齢から逆算すると、

 この場合 比較されるのは、正史『日本書紀』による天智の年齢と後世の歴史書の天武の年齢であって、あくまで同一書物の中では 天智と天武は 前者の方が年上 あるいは2人は同年齢とされていたが、何故 後世の書物が正史『日本書紀』の記す天智天皇の年齢を素直に踏襲しなかったか、その理由は明らかだった。

 なお、天武の正体を天智の 古人大兄皇子とする見解もあるが、彼が645年 謀殺されている記録が残っていること等もあって、現在は異父兄説の方が優勢であると私は感じている。

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