第5話 天武と持統の確執
第41代 持統女帝は、一般に 先代 天武天皇の路線を継承したと認識されている。かの女傑は 天武天皇の皇后であり、また壬申の乱(672年)の勝利にも多大な貢献をしたと伝えられていた。
しかし そうだとすると、どうにも不可解な点が散見される。その1つの例として挙げられるのが、正史『日本書紀』の最後を持統女帝が飾っていることだ。本来ならば、そこに収まっているべきなのは、英雄 天武天皇のはずだった。
このことは 単に持統の虚栄心ゆえと考えられなくもない。ただ、天武天皇は一説には その出自が疑われていた。
壬申の乱の勝者 天武天皇の記録は、正史『日本書紀』全30巻のうち 実に2巻を占めている。他の天皇の記録は 基本的に1巻,在位の短かった天皇は2人で1巻(極端な場合 8人で1巻)ということもあるのだから、まさに主役ともいうべき扱いだった。
されども、そのような破格の待遇にもかかわらず、天武天皇の没年齢や前半生は書き落とされていた。まぁ、『日本書紀』において、天皇の年齢ひいては生年が分からないことは必ずしも珍しくはないが、ほとんどの場合、後世の記録によって その
しかしながら、それでも天武天皇の生年は確定できなかった。というのは、後世の歴史を参考にして 天武天皇の生まれた年を特定しようとすると、同母兄である天智天皇(第38代)より年長となってしまうからだ(『日本書紀』の天智の年齢と比較)。
このことを発端として、天武天皇は 天智天皇とは兄弟ではなかったのではないか、あるいは天智の異母兄・異父兄だったのではないかと狐疑されていた。
因みに、私は 天武天皇は天智天皇の異父兄で、父 並びに 本人は 蘇我氏の血をひく人物だったのではないかと愚考している。天武天皇は 神話に当時の系譜を投影させていたと私は拝察しているが、その時点において、
"天照大神 = 推古女帝(第33代)
であり、天武天皇が その時代を礼讃していたであろうことが伺えた。かの女帝の御代は蘇我氏全盛の時代だった。
推古
||
敏達-⬜︎-舒明-天智・天武-草壁-文武
天照
||-⬜︎-ニニギ-海幸・山幸-草不合-初代
スサノオ
なお、この天照大神には、後に天武の次代 持統女帝が上書きされている。かの女神の「天孫降臨」神話は 持統女帝が孫へ譲位したことを神格化したものと一部で高察されていた。
しこうして、ここから 後の権力者によって正史『日本書紀』が改変されたことが目算されるが、持統女帝は
・・持統にとって、天武天皇の血は忌むべきものであったのかもしれない。正史『日本書紀』は最終的に"反蘇我の書"と相成っていた…
この国の最高神は、持統女帝が投影された皇祖神 天照大神であるとされている。もともと、最高神は 天武天皇が崇敬する人物が投射された男神であったと私は胸算しているが、女傑 持統天皇によって 置き換えられたものと私は探究している。
けれども、あまり知られていないが、「天孫降臨」における命令の記録数などを鑑みると、実質的な最高神の地位は さらに別の神に移されている。その神とは"創造を神格化した神"
∵ 天武【40】—高市皇子
∵ ||————草壁皇子 「 元正【44】
∵「持統【41】 ||———— 文武【42】
∵ ∟—————元明【43】 ||—聖武【45】
∵ 「 宮子
∵ 藤原不比等——房前
∵スサノオ——大国主
∵ ||————天忍穂耳尊
∵天照大神 ||————ニニギ
∵ 「 栲幡千千姫命
∵高御産巣日——思兼神
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