第1話 藤原氏

 日本史上最も繁栄した氏族である藤原氏は支流も多く 著名人は数知れず、近現代に至るまで その影響力を残している。

 例えば、幕末に倒幕派として活躍した三条実美さんじょうさねとみは藤原氏北家閑院流の嫡流にあたり、20世紀の初め"桂園時代"を現出させた西園寺公望さいおんじきんもちも藤原氏北家閑院流の一門。第二次大戦期に政府の要職にあった近衛文麿このえふみまろに至っては藤原北家近衛流の人物であり、公家の家格の頂点に立った五摂家の生まれだった。

 ここに挙げたのは あくまで藤原氏の近代の男系の一部 著名人のみであるが、女系も含め 古代まで時間を遡り、藤原氏の血をひく全ての著名人を挙げようとすると収拾がつかない状態となるであろう。例えば、細川護煕 元首相も 近衛家の血をひいていた。

 ちなみに、公家の家格についてだが、最も高いのが 摂関家であり、以下、清華家,大臣家,羽林家,名家…と続く。

 摂関家とは摂政・関白を出す家柄であり、清華家は大臣・大将を兼ねて太政大臣になることができる家。大臣家は清華家の庶流で、羽林家と名家は 同列で大納言を極官とした。

 なお、前述の家のうち 三条家と西園寺家は清華家にあたる。実に、公家の7割以上を藤原氏が占めていた。

 藤原氏が 近衛や三条・西園寺と それぞれ名乗ったのはざっくり言えば、あまりにも数が多かったからだが、同時に どの血筋であるかをハッキリさせる意味合いを有していた。

 どこの家の血をひいているか、どこの家の流れであるかによって、官職の上限が定められていた。


 平安時代半ば、藤原氏の嫡流である"御堂関白"藤原道長は 自らの治世を満月に例える歌を詠んでいる。その後も かの一族は滅せず一千年以上もの長きに渡り 京都の政権の中枢にあり続け、現代に至っている。

 藤原氏の支流にあたる者は 全国に散り散りになったが、ある者を伊勢の国の藤原氏すなわち"伊藤"となり、また ある者は武蔵国の守となって 後世"武藤"を名乗った。現在、全国で最も人口の多い苗字は 佐藤であるが、この苗字も藤原氏に由来した。

 中央の政財界のみならず、地方の一般社会にまで かくも深く根を張った藤原氏も、もとをたどれば、たった1人の人物に行き着いた。

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