第18話'天武の主張と持統のアンチテーゼ(後編)

 この件に関して考慮しなければならないのは、天武の建てた王朝が大方 王朝であり 第一王朝があったということだろう。彼は、日本史上初の女帝 推古天皇(第33代)の時代を先代と考えている節があった。

 ということは、一つの可能性として、天武が前王朝(天皇家)の歴史だけでなく、。更に想像の翼を広げれば、それ以前,神代の時代からがあり、それらがしていたという由緒ストーリーを創り上げ、自らの即位の正当性の根拠となしたのではないだろうか? そして 多分、 、天皇家の初代は 暴君として記されていた。

 勿論 それらは真実ではなく、蘇我氏の即位もスポットであっただろう。蘇我氏と天皇家が6世紀に合流する以前は、二つの王統は並列して存在していたのではないかと私は目算していた。


 天武が亡くなった後、その后である持統が皇位に就くが、彼女は天智天皇(第38代)の血をひく正統な天皇家の一員であり、天武の主張は れ難かった。彼女は 天武と別の女性との間の皇子の継承を排除して 自らの孫への皇位継承を敢行しているが、これは一部では 自らの血をひかない天武の皇子が即位すると 血統が完全に変わってしまうため それを避けたとも臆度されている。

 女系とは言え、彼女は 見事 天皇家の血を保することに成功したが、彼女の時代、未だ 天武の皇子達は多数 残っていた。この時期、持統が何より恐れたのは、? 

 しこうして、と私は想像している。そして 大方、血統をまとめるという画期に、 天照大神に持統女帝の姿が重ねられ、また、は 紆余曲折を経て 持統の孫 文武天皇に当てられたのだろう。

 ちなみに、天武が元々 想定していた初代王は第15代 応神天皇となったのではないかと私は推測している。かの天皇の時代には、初代 神武天皇と類似した征服譚が存在していた。多分、二王朝の時点で、初代王に相応しい姿を天皇家が 時代を遡らせたのだろう。蘇我氏よりも前に置いたのは 無論 で、その後、系図が繋げられたものと 私は拝察している。 応神天皇の御代には、蘇我氏の始祖が 華々しく活躍していた。

 (初代王について 詳しくは別の話で。)


 かくて、現存する対立勢力 蘇我氏の正統性を損ねるため 天武天皇の正体は隠され、正史『日本書紀』は 反蘇我の書物となったものと私は検討している。

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