第15話 蘇我鞍作(入鹿)
蘇我氏の4代目 蘇我
彼は、自らの子を皇子と呼ばせ、父 蝦夷と自らの墓を"
近年 発掘された
因みに、乙巳の変において、飛鳥板蓋宮で 鞍作が暗殺された後、蘇我氏の館に集まったのが、高向氏と
高向王と宝皇女の間の子である"
なお、"高向王=蘇我鞍作"説は 既に存在するが、その中で、"漢皇子=天武天皇"は採られていなかった。また、"蘇我鞍作の子=天武天皇"も 一部で見受けられるが、その説では、高向王のことには触れられていなかった。
用明天皇の孫 高向王が蘇我鞍作であった場合、鞍作の母,すなわち蘇我氏の3代目 蝦夷の妻は皇女だったのではないかと私は壁越推量している(酢香手姫皇女:用明天皇の娘)。蝦夷の父である蘇我氏の2代目 馬子は 第33代 推古女帝との不義が囁かれており、蝦夷の子である鞍作にも同様の噂が立てられていた。この時期、蘇我氏と皇室との間で 血の交配が男女を換えても行われていたのではないかと私は憶測している。
蘇我馬子 — 蝦夷 — 鞍作(入鹿)
‖密通? ‖密通?
推古女帝 皇極天皇(宝皇女)
‖ ‖
敏達天皇 — ⬜︎ —— 舒明天皇(田村皇子)
ところで、蝦夷は 第33代 推古女帝の後継者問題が持ち上がった際、自らの一族とは血の繋がりの薄い田村皇子(舒明天皇:第34代)を皇位に推しているが、もしかすると、その一因として、田村皇子の妻 宝皇女と自らの息子 鞍作との関係があったのかもしれない。
宝皇女と用明天皇の孫 高向王との間の子
漢皇子は 天武天皇こと大海人皇子の正体だと目されているが、私が 漢皇子の父 高向王その人だと検討している蘇我鞍作の
このような例として、他に 蘇我氏の2代目 蘇我馬子と 聖徳太子こと厩戸皇子の関係があると私は心当てをしている。聖徳太子は 一部で
正史『日本書紀』の内容は、時の権力者の都合によって、大きく改変されたことが予想されるが、多分 その代わりに隠喩が残されたのだろう。
あと、私が 蘇我鞍作(入鹿)と大海人皇子の親子関係を疑う根拠として、ある意外な人物への不可解な位階の贈呈があるが、その件については 最後の方で述べる。
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