第14話 宝皇女

 天智・天武兄弟の母 宝皇女は、第30代 敏達天皇の曽孫という皇室の血統が薄い女性にょしょうであった。

 彼女は 敏達天皇の孫である田村皇子と契り 中大兄皇子と大海人皇子,そして間人皇女を産んだとされているが、彼とは再婚だった。それ以前に、宝は 用明天皇の孫 高向王と契りを交わし、漢皇子をもうけていた。


 宝皇女は 後に即位し(皇極天皇:第35代)、一旦 退位した後、再び登極しているが(斉明天皇:第37代)、これが日本史上初の譲位であり、また重祚であった。

 結果から物事を考えると、彼女の身分は 磐石で 何らかの形で保障されていたかのように錯覚してしまう。

 だが、それを疑う見解も厳として存在しており、宝は 実際は 皇女ではなく"郎女いらつめ"という呼び方が相応しいのではないかと高察されていた。その説において、宝郎女は 誰と交わっていてもおかしくないくらい低い身分だったと見られている。

 しかし 私は、彼女が落ちぶれていたからといって、宝に寄ってくるのが素姓の怪しい者ばかりだったとは限らないと愚考している。平安時代の長編小説『源氏物語』において、その主人公 光源氏は 困窮していた皇族の娘 末摘花すえつむはなと情を交わしているが、この時代も、そのようなことが十分にあり得たのではないかと私は踏んでいた。

 そして、私は 彼女が即位までいったのは、とどのつまり、運が良かったというよりも、情を通じた相手によって引き立てられたからではないかと勘繰っている。

・・彼女の息子は 時の天皇に対して 反乱(壬申の乱)を起こし 見事 勝利を収めているが、ひょっとすると、それは、彼が母方に皇室の血をひいていたからというよりも、むしろ、母を皇位に押し立てた父方の氏族の影響力が大きかったからだったのやもしれない・・・

 かくて、その一族を 私は古代史の有力豪族 蘇我氏だと胸算している。いつの時点からかはハッキリしないが、宝皇女こと皇極女帝は 蘇我氏の4代目 蘇我入鹿そがのいるかと密通していたのではないかと囁かれていた。

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