第7話 動機

 天武の次代 持統女帝(第41代)は、自らの皇配おっと 天武のことをよく思っていなかったのではないか、少なくとも、天武の息子達とは対立関係にあったのではないかと私は推測している。

 彼女は その即位前、自らと天武との間の子(草壁皇子)を皇位に就けんがために、姉と天武との間の子(大津皇子)を謀殺。その目論見が失敗に終わるや自ら即位し(690年)、その後、天武の長子 高市皇子たけちのみこが亡くなると、すぐさま 他の天武の子らを差し置き、自らと天武との間の孫(草壁の子)へと皇位を継承させていた(697年)。

 このことは 一説には、天武の血統が天皇家のものとは異なるものであったため とも唱えられている。天皇家の一員である彼女の血をひく者を即位させることによって、、天皇家の血脈を保とうとしたというのだ。孫への皇位継承は 長い天皇家の歴史の中でもただ一例のみであり、この事跡は 皇祖神 天照大神あまてらすおおみかみの神話「天孫降臨」に投影されていた。

 天照大神は、三重県に存する伊勢神宮に祀られる女神であり、この国の最高神である。かの神話において、持統女帝が 天照大神に投影されていることが事実であったとすれば、神話の中で 持統の皇配 天武が比定されるのは 天照の妹背いもせである 荒ぶる神 スサノオ。かの神は 出雲神話の主人公として知られているが、スサノオが かの地にいた所以は に他ならなかった。

 いつしか、正史『日本書紀』は 天武天皇のための書物から持統女帝を礼賛するための書物になったのではないかと私は考えている。中国などにおいて、歴史書の最後を飾るのは 前王朝の最後の王、あるいは新王朝の初代だが、正史『日本書紀』は まさに持統が自らの孫(文武天皇)へと皇位を継承するところで終わっていた。


 一部では、天武は自らの正統性を示すために 本当の素姓を隠した、と賢察されている。だが、正史の方針が途中で大幅に変更されたことが事実だったとすると、

 ひょっとすると、天武の本当の素姓が隠された動機は、天武を正当化するためではなく むしろ 天武一派の正当性を否定するためだったのかもしれない。



※ 妹背…①夫婦 ②兄と妹、姉と弟

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