第3話 『日本書紀』
壬申の乱の勝者 天武天皇(第40代)は 即位後、歴史書の編纂を臣子らに命じたとされている。その動機の一つとして考えられていることが、やむを得なかったとは言え、時の天皇を殺害してしまったことだ。その後ろ暗い事実を
『日本書紀』は 天武天皇の子である舎人親王が総裁し、天武天皇の孫である元正天皇(第44代)の御代に完成した歴史書である。この関係から、それは 天武ファミリーのための書だと広く認識されていた。にも関わらず、その中でファミリーの親玉である天武天皇の生まれた年は分からなかった。
このことは、それが明らかになることによって 天武の皇位継承の順位が本当は 大友皇子よりも劣っていたことが露見してしまうからだと臆度されていた。それを避けるために、正史『日本書紀』では、大友皇子の素姓だけでなく、天武天皇の素姓も改変されたのだろうと思料されている。
因みに、正史『日本書紀』は 漢文体で書かれており、編成は年代ごとに事績をまとめる編年体。その主な特徴は "反蘇我"であり、天武天皇が亡くなって(686年)、30年以上経って完成していた(720年)。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録(無料)
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます