第3話 『日本書紀』

 壬申の乱の勝者 天武天皇(第40代)は 即位後、歴史書の編纂を臣子らに命じたとされている。その動機の一つとして考えられていることが、やむを得なかったとは言え、ことだ。その後ろ暗い事実を隠蔽いんぺいするために、天武は自らの指示で歴史編纂事業を開始、真実をねじ曲げたものと一部で推測されている。第39代 弘文天皇(大友皇子)は、正史『日本書紀』の中では即位していないものとされていた。

 『日本書紀』は 天武天皇の子である舎人親王が総裁し、天武天皇の孫である元正天皇(第44代)の御代に完成した歴史書である。この関係から、それは 天武ファミリーのための書だと広く認識されていた。にも関わらず、その中でファミリーの親玉である天武天皇の生まれた年は分からなかった。

 このことは、それが明らかになることによって だと臆度されていた。それを避けるために、正史『日本書紀』では、大友皇子の素姓だけでなく、天武天皇の素姓も改変されたのだろうと思料されている。


 因みに、正史『日本書紀』は 漢文体で書かれており、編成は年代ごとに事績をまとめる編年体。その主な特徴は "反蘇我"であり、天武天皇が亡くなって(686年)、30年以上経って完成していた(720年)。

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