第10話 スサノオと大国主(前編)

 正史『日本書紀』や もう一つの歴史書『古事記』が記す日本神話には、その編纂当時の状況が投影されていることが 一部で指摘されている。『日本書紀』の最後を飾る持統女帝(第41代)は 孫への皇位継承を敢行しているが、その事績は 皇祖神 天照大神の神話(「天孫降臨」)と相関リンク。祖母から孫への皇位継承は、天皇家の長い歴史の中でも ただ一例だった。


 持統女帝が 天照大神に該当するなら、かの女神との間に子をなしたスサノオは 持統の皇配こうはい 天武天皇(第40代)が比定されていることが想定されるが、そのことは スサノオの子である大国主との兼ね合いからも窺える。

 豊葦原中国とよあしはらのなかつくにの支配者 大国主は 天照大神の孫 ニニギが かの地に降臨する最大の障壁となっているが、そのイメージを当時の人物に当てはめると "後皇子尊のちのみこのみこと" 高市皇子に該当。実に、696年、後皇子尊が薨去した後、持統女帝から孫 文武天皇(第42代)への譲位が実現していた(697年)。この高市皇子は、天武天皇の長子だった(母は 胸形尼子娘むなかたのあまこのいらつめ)。"スサノオ-大国主"と"天武天皇-高市皇子"の親子間には相関関係が認められた。

 なお、正史『日本書紀』の本文によれば、スサノオと大国主は親子とされているが、もう一つの歴史書『古事記』によれば、大国主は スサノオの6世の孫に当たっていた。私は この系譜の時代の下りなどから、『古事記』は『編纂された書物で、編纂を指示した人物は 大国主に比定する人物を その中で変更していたのではないかと疑っていた。大国主は 多数の別名を有しているが、それは 投影された人物が多岐に渡っていたからかもしれない。

 ついでだが、スサノオや大国主が活躍する「出雲神話」は 主に もう一つの歴史書『古事記』の記事によっている。正史『日本書紀』でも 全く語られていないわけではないが、そこでは『古事記』ほど紙面が割かれていなかった。もう一つの歴史書『古事記』においては、「出雲神話」で神話の3分の1ほどが占められていた。

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