第9話 出雲

 現在の島根県一帯を中心地とする出雲王国は 古代において発展し、豊富な神話や遺跡、大量の出土品を有している。

 その発展の所以は おそらく鉄で、かの地方においては 炉に空気を送り込み火力を強める"たたら製鉄"という技法を用いていたことが知られている。その様子は、ジブリ映画『もののけ姫』の中で丹念に描かれた。

 以前は、出雲王国の存在は 伝説に過ぎないと考えられていたが、1980年代以降の発掘により その実体がおぼろげながら見えてきている。かの地方にある荒神谷遺跡において 358本の銅剣が発掘されたが、この出土数は それまでに全国で発掘された銅剣の総数を上回る量。これによって、かの王国が 当時 いかに強大だったかが うかがえた。

・・まぁ、発掘されたのは あくまで銅剣ではあるが、出雲地方が古来から他の地域よりも製鉄に適した地であったことは間違いない。


 古代出雲地方は、日本神話の舞台だった。かの地には、皇祖神 天照大神との争いの後 天から追放された"荒ぶる神"スサノオが降りてきていたが、かの神は その地で猛威を振るっていた8頭8尾の怪物 八岐大蛇ヤマタノオロチを見事 退治。彼の後裔である大国主おおくにぬしの時代には国造りを完成させ、豊葦原中国とよあしはらのなかつくには 天もうらやむ発展を遂げた。大国主を祀る社である出雲大社は 古代においては 天に届く高層建築であったとされ、平安時代の書物『口遊くちずさみ』によれば、かの社は 東大寺大仏殿や京都御所よりも大きかったという(雲太、和二、京三)。巨大建築というのは、通常 権力の象徴だった。

 余談だが、旧暦の十月は "神無月かんなづき"というが、これは その月、神々が出雲大社に集まり不在になることに由来する。逆に、神々が集まる出雲地方では、その月は"神在月かみありつき"と呼ばれている。


 その出雲は、古代の豪族 蘇我氏とのつながりが囁かれている。出雲大社境内にある荒ぶる神 スサノオを祀る社は"素鵞社そがのやしろ"といい、スサノオの最初の宮は須賀すが。蘇我は"宗我"・"宗賀"とも書くが、それらは"スガ"とも読めた。蘇我氏の本拠地 飛鳥は"ア(接頭語)''+"スガ"が語源とも言われている。

 また、出雲は、鳥を介しても蘇我氏とつながっている。蘇我氏は 鳥を自らの一族の象徴としていた節があるが、出雲でも鳥を重視。出雲の支配領域は 越前辺りまであったと私は推測しているが、その中に白る地域も含まれていた。

 他にも、出雲地方と飛鳥地方に多いのは 方墳ほうふんであるという共通項を持つが、因みに、馬子の父 蘇我稲目そがのいなめの墓と目されるピラミッド型方墳 都塚古墳の別名は"金鳥塚"という。

 さらには、今年(2020年)3月に修復が終了した高松塚古墳(明日香村)の壁画にある"女子群像"は国内で2例しか発見されていないが、後の1例 青谷横木遺跡は島根の隣 鳥取県に存在。女子群像は 朝鮮半島の一国 高句麗の影響が指摘されているが、蘇我氏と高句麗も関係性を有しており、それは 馬子の祖父の名(蘇我高麗そがのこま)にも現われていた。


 これらのことから、蘇我氏と出雲は 何らかのつながりを有していたことが窺えるが、出雲を中心に発達した豊葦原中国は 結局、後に皇祖神 天照大神によって奪われてしまった。

 天照大神が自らの孫をかの地に降臨させるまでに、かの国の王 大国主は冥界に隠れているが、その後 大国主はタタリ神となったと一説には考えられている。かの神を祀る出雲大社の注連縄しめなわは他の神社とは逆向きに張られており、また、かの社では 通常の2礼2拍手1礼の作法ではなく、2礼4拍手1礼と異例の礼拝が行われていた。

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