第8話 古代の豪族 蘇我氏
古代の豪族 蘇我氏と英雄 天武天皇との間には、何らかのつながりがあったのではないかと私は疑っている。天武天皇は 日本史上初の女帝 推古天皇を天照大神に投影していたことが憶測されるが、かの女帝の御代は まさしく蘇我氏全盛の時代だった。
一部では、天武は 自らの正統性を主張するため その素姓を改竄したと考えられているが、私はむしろ、彼は自らの本当の素姓を前面に押し出していたのではないかと愚察している。それが気に食わなかった天武の次代の権力者達が、自分達の対立勢力(天武側)の寄る辺や正統性を打ち砕く意味合いも込めて それに関わる記録を改竄したのではないかと私は想像していた。
古代の有力豪族 蘇我氏は、その一族に連なる人物・宮等に"
宮で言えば、推古女帝の豊浦宮や孝徳天皇(第36代)の難波長柄豊碕宮が有名だろう。"豊浦宮"というのは 応神天皇(第15代)の母 神功皇后の遠征時の宮名にも用いられているが、かの女丈夫の側近 建内宿禰(武内宿禰)が もう一つの歴史書『古事記』によれば 蘇我氏の祖とされていた。
ちなみに、正史『日本書紀』には武内宿禰を蘇我氏の祖とする記述はない。正史の中で 素姓がハッキリしない有力豪族は、おおよそ蘇我氏と紀氏のみであった。
蘇我氏はまた 、生物の"鳥"との関係が指摘されている。彼らの本拠地は 飛鳥といい、聖徳太子の造営した宮殿を 斑鳩宮といった。さらに、蘇我氏の全盛時代を築いた蘇我馬子は、
余聞だが、天武天皇の孫である文武天皇(第42代)の和風諡号を天之眞宗豊祖父天皇、曽孫である聖武天皇(第45代)のそれを天璽国押開豊桜彦天皇という。
そして、古代の有力豪族 蘇我氏と、神話の重要な舞台となったある地域とのつながりが推考されている。
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