第6話 古を推し量る
聖徳太子の叔母
彼女は 馬子と叔父・姪の間柄であったが、
彼女は 2人が亡くなった後も生き続けるが、628年に起こった"日食"の5日後に崩御。私は、この日食は 伊勢神宮に祀られる この国の最高神 天照大神の「天岩戸」神話に投影されているのではないかと愚慮している。神話には、当時の状況が少なからず反映されていることが揣摩憶測された。
正史を読む限りでは、豊御食炊屋姫尊は 自発的に即位する気はなかったかのように思われるが、彼女は 自らと
ところが、この竹田皇子は若くして夭折。若くして というのは、あくまで中継ぎが必要であったことからの推測に過ぎないが、竹田皇子が 少なくとも 彼の母より
厩戸皇子自身が 崇峻天皇崩御後 すぐに即位しなかった理由として、
余談だが、現在の『皇室典範』で成人とみなされるのは18歳からである(22条)。
では、何故 聖徳太子こと厩戸皇子は即位できなかったのか?
この場合、竹田皇子の存在が 彼の即位の障壁となったことが推定される。竹田皇子の母 豊御食炊屋姫尊と先帝暗殺の黒幕 蘇我馬子の思惑が一致し、日本史上初の女帝が誕生したことが想像された。馬子にしてみれば、女帝のほうが操りやすいということがあったのだろう。彼らが男女の仲にあったとの噂が真実であったとすれば、尚更だった。
されども、この噂もどこまで本当のことか分からない。というのは、厩戸皇子の皇太子就任の事情は 彼らの男女の仲を隠匿するために曲筆された可能性が疑われないでもないが、皇太子の薨去後、馬子が「葛城県は私の
加えて、彼女は 亡くなる直前、後継者として 蘇我氏と繋がりの深い人間を指名しなかった。
まだまだ この時点においては、あくまでも 利害が一致したから 彼女と馬子は ある程度 行動をともにしたと考えたほうがよさそうだった。
ただ、この時代を記した正史『日本書紀』の成立の事情を考えると、ことはそう簡単に済むとは思われなかった。
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