第5話 斑鳩

 日本史上初の女帝 推古天皇の時代、皇太子である厩戸皇子は 後に聖徳太子と呼ばれるに相応しい活躍ぶりを示している。

 その活動の多くは 蘇我氏の全盛時代を築いた蘇我馬子と協力して行ったものと推測されるが、これとは相反する意見も根深く存在していた・・・


 古代史の著名人 聖徳太子は、601年 斑鳩いかるがに宮殿を築いている。かの地は 当時の政治の中心地 飛鳥あすかと瀬戸内海の窓口 難波なにわを繋ぐ要地であったが、とまれかくまれ、斑鳩と飛鳥との間には約20Kmという物理的な距離が顕在していた。

 加えて、聖徳太子こと厩戸皇子は 皇太子となってから しばらく表舞台に出てこないが、それも馬子の存在を含めた周辺との関係・環境により ノイローゼとなっていたのではないかとさえ囁かれていた。

 これらのことなどから、聖徳太子と蘇我馬子,2人の確執や不仲説があたかも真実であったかのように語られていた。

 なお、聖徳太子信仰の中心地の一つ 法隆寺があるのは、この斑鳩の地。法隆寺地域の仏教建造物は、1993年 日本初の"世界遺産"として登録された(文化遺産)。法隆寺の建立は607年とされ、670年 焼失したものが 680年に再建されたと伝えられているが、1300年以上の時を超え、かの寺院にある五重塔の建築技術は東京スカイツリーに応用されている(2012年竣工)。


 日本史上初の女帝 推古天皇が 厩戸皇子を皇太子に登用した理由として、蘇我氏全盛時代の立役者 馬子に対抗する人物として 彼を立て 馬子に根こそぎ権力を奪われないようにしたとの見解がある。

 だとすると、 反蘇我の書物である正史『日本書紀』の中で、一皇太子に過ぎないにも関わらず "聖徳"との諡が採用された可能性が浮上する。

 そう考えると、当時の有力者 蘇我馬子の専横が 如何に凄まじかったかが思いやられるが、蘇我氏全盛時代の立役者 馬子は 実に先帝 崇峻天皇(第32代)の暗殺を命令し、そして実行させていた。

 だが、この見解に全く疑問が残らないかと言えばそうでもない。というのは、先帝暗殺の黒幕 蘇我馬子と暗殺後即位した推古女帝との間には密通説、すなわち男女の関係があったかと疑われているからだ。

 果たして、公と私において、かように相異なる対応をとることは可能なのか?

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