第1話 出生

 聖徳太子こと厩戸皇子は、第31代 用明天皇とその異母妹 穴穂部間人皇女あなほべのはしひとのひめみことの間に 6世紀半ば 誕生した。厩戸皇子は生まれた状況から その名を持つとされているが、他にも豊聡耳とよとみみ上宮王かみつみやおう豊耳聡聖徳とよみみさとしょうとく、豊聡耳法大王、法主王、東宮聖徳、聖皇みかど先王さきのみかど(以上『日本書紀』)、上宮之厩戸豊聡耳命かみつみやのうまやとのとよとみみのみこと(『古事記』)などの別名を有していた。

 穴穂部間人皇后は、禁中を散歩して監察している際に馬官のところで産気づいて 馬舎そこで彼を出産したとされているが、かの挿話エピソードは西方の聖人 イエス・キリストの話を参考にしたのではないかとも言われている。キリスト教は一般に戦国時代に伝来したとされているが、それはあくまでで、キリスト教の一派 ネストリウス派(景教)は 正史『日本書紀』が撰上された奈良時代には恐らく日本に、少なくとも同時代の中国王朝 唐には確実に伝わっていた。

 なお、ネストリウス派というのは、431年のエフェソス公会議において異端認定され 排斥されたもので、イエスを(馬小屋で)産んだ母 マリアを神の母と呼ばず、キリストの母と呼ぶものである。

 他にも 名に関しては、うま年生まれだから厩戸なのではないかとか(通説の生年574年は午年)、また地名からとったのではないかなど様々な説が存在している。


 余聞だが、厩戸皇子の母 穴穂部間人皇后は 用明天皇の崩御後、厩戸皇子の異母兄 田目皇子と契り女子をもうけている。厩戸皇子に連なる人々の話は 彼が聖徳太子としてもてはやされたこともあり、『上宮聖徳法王帝説』や『聖徳太子伝暦』など いわゆる法隆寺系史料に多数 残されていた。

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