二月最後の土曜日、公園入口

取材の日として指定された二月最後の休日は、晴天と陽気に恵まれた。


松葉もすっかりクローゼットに眠っていた

春服に着替え、涼しい風に首筋をさらしている。


行き先を知らされていないので服装選びに困ったが、

気負わずにニットとパンツという動きやすい恰好に落ち着いた。


手首の腕時計はまだ待ち合わせの五分前を指している。


朝九時の公園入口は子供連れの親子が多く、

待ち合わせのために立ち止まっているのは松葉くらいだ。


「松葉さん、こっち向いて!」


急に名前を呼ばれた松葉が驚いて振り返ると、シャッター音が鳴る。


「いい表情だね。おはよう、松葉さん」


レンズを向ける奏の掌には、薄いカメラが握られていた。


「えっ……何さ、驚くでしょ。いきなり撮らないでよ」


「ごめん、ごめん。まだ九時前だけど、待たせたかな?」


「別に、そうでもないけど……さっき来たばかりよ」


「ならよかったよ。今日は取材の記録もかねて枚数撮るから、

かなり付き合わせちゃうと思うけど。よろしくね?」


「へえ、写真ってスマホじゃないんだ……本格的にやるのね」


「スマホのカメラでも性能は十分なんだけど、

これは趣味っていうか。せっかく買ったから使わないとね」


「ふうん……? それで、取材ってどこに行くのさ?」


駅の方面へと、奏と並んで歩きだす。


春になり奏もいくらか薄手の服になっているが、やはり黒さは変わらない。

薄いグレーのパーカーが黒の中で一色だけ季節感をだしていた。


「松葉さん歩きやすそうな服だね。髪も今日は結んでるし。

だからそうだな……ちょっと、距離歩くとこに行こうかなって」


首元の暖かさを求めて髪を下ろしていた松葉だが、

ロングの髪も一冬の間に伸びて、切ろうかと考えたが、まとめるだけに留めた。


ICカードを持って改札を通る奏は、

松葉が通勤に使う電車とは反対のホームへ移動する。


「こっちの方に何かあったっけ?」


思えばこの方向には行ったことがなかった。

ちょうど到着した電車へ乗り、車内に掲示される駅名を見ても思い出せない。


「着いてのお楽しみかな。それにしても松葉さん……

なんか、公園にいたときの松葉さんと、印象が違うな」


「違うって、どういうことさ。私服だから?」


「ううん、何ていうか……大人しい、よね?」


「それは、だって……初対面が夜の公園だったでしょう。金曜の夜に、

滑り台でお酒飲んでる時だけは思いっきり自由になろうって決めてるの」


「そういえば玉座って言ってたもんね。

今の松葉さんは王様じゃないんだ」


「つまりはそういうことさ」


本来あの状況で話しかけられることを想定していないのだ。


誰だって、一人きりの状況なら気を抜くことがあるだろう。


松葉はその状況を見られたことに特段、恥ずかしさを抱いていなかったが、

奏が揶揄っているのだとしたら少し腹が立つ。


ちらりと表情をうかがってみると、小馬鹿にした様子はなかった。

本気で奏は面白いと感じているのかもしれない。


一風変わったこの青年は自分をどこへ連れて行こうというのだろうと

松葉が考えている間に電車は数駅が過ぎ、山の方面へと進んでいった。








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