日曜日の茉莉花
帰宅した松葉は、ぼんやりと浴槽に
浸かりながら先程の出来事を反芻していた。
「来週の週末、取材に行きませんか。
二日間だけ、俺の恋人になってください」
一通り話を聞き終えた奏は、
メモを取っていたパソコンを閉じてそう言った。
「ロールプレイ。恋人のごっこ遊びですよ。
登場人物の行く場所を取材したいんです」
「あ、ああ……そう。取材って、どこに行くのさ?」
「県を跨いで、ちょっとだけ遠出しようかと思ってます。
週末を使いきるつもりで行きますけど、予定はどうですか?」
「来週、は……二月末よね。うん、空いてるけど」
「よかった。待ち合わせはあの公園でいいですか?
俺もあの辺に住んでるから、きっとここよりは近いですよね」
奏はリュックを手に立ち上がり、
伝票を持ってレジに向かおうとする。
「あっちょっと。私が奢るってば」
「いや、ここは俺が払います。だから、借りは来週返してください。
九時に公園の入り口で。ちゃんと来てくださいよ、待ってますから!」
それだけ告げて、奏は松葉を残して帰ってしまった。
たっぷりとグラスに入っているチャイナブルーを、
やむなく松葉は一人で飲み干した。
「二十歳くらいよね、あの子……若いなあ……」
とすると、二十九歳になった松葉とは十近く離れている。
人の都合を気にしない自由さは、若さ故なのだろうか。
気遣いが身についてしまった松葉にはもう真似できない振舞いだ。
「恋人ごっこ、って言ってたし……あんまり気負わなくても、ね」
淡く紫に色づいたお湯を掌ですくう。
バスソルトを入れた湯船からジャスミンの香りがした。
昨日失恋したばかりなのに、翌日には
年下の男子とデートの約束をしている。
石蕗に対して一方的に怒りを
ぶつけてしまったことに、少しだけ罪悪感がよぎる。
もうどんな顔で会ったらいいのかわからない。
例え結婚式へ呼ばれたとしても、断るだろう。
つまりは、石蕗を忘れるしかないのだ。
松葉もこの片思いをしていた十年を
無為に過ごしていたわけではない。
誰か他の人間を好きになれればいいと、
そういった相手と遊びにいったこともある。
結局その内の誰かを愛せはしなかった。
松葉自身が気持ちを捨てようという努力をしなかったからだ。
その努力が、これから必要になる。
奏が相手である必要はない。
ただ切っ掛けになりさえすれば。
「まあ、気分転換くらいにはなるか……」
来週末は、全てを忘れて楽しむのもいいかもしれない。
心が決まった松葉は、浴槽の栓を抜いてジャスミンの香りを流した。
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