滴り落ちる土曜日
傘のビニール越しに、雨粒が激しく叩きつける。
レインブーツが雨を弾いているものの、
脹脛にまで跳ね返る水滴はどうしようもない。
連絡を取ってから、どれだけの時間
こうして雨の中に立っているだろうか。
実際にはそれほど経っていないのかもしれないが、
松葉は睨みつける眼前のビルから頑として引かなかった。
どこか近くの喫茶店で待っていればいいものを、
松葉の怒りがそれを良しとしなかった。
松葉の中には蓄積された愛情と、
友情と、怒りが激流となって渦を巻いていた。
濡れようと構わない。
このせき止めていた濁流をぶつけられるのなら。
「木立……? うわ、お前ズブ濡れだぞ。
どっか店入ってればよかったのに」
休日にもかかわらず仕事を終えた石蕗が、
ビルから傘を差して駆け寄ってくる。
「石蕗……」
「とにかくどこか入ろうぜ。風邪ひくぞ」
自分の傘に入れた石蕗は松葉の腕を引いて歩き出そうとする。
「いいよ、ここで……
それより結婚するって話、本当なの」
「そうだけど……それ聞くために来たのか?
いや、ちゃんと彼女も連れてさ、お前には
挨拶がてら紹介しようと思ってたんだけど、距離的にさ」
「もっと早く紹介してとか、そういう話がしたいんじゃない」
松葉が憤る理由を、石蕗は知らない。
「私はね――10年間、君に、
石蕗君にずっと片思いしてる」
愛の告白をするような態度ではなかった。
怒りに任せて叩きつけるような、感情の押しつけだ。
唖然とした表情の石蕗に笑いが
こみ上げてきて、口角が上がるのを感じた。
「俺の彼女の友達になってくれ?
面白いこと言うよ、本当――ふざけてるね」
松葉は自嘲気味に笑う。
こんな風にしか想いを伝えられなかった自分に。
「片思いって……今までお前、そんなの一言だって……」
「言わなかったよ。君の相手はいつだって途切れなかったし……
友達としてやっていければ、それで満足だと思ってた」
石蕗は友人が多く、人に愛される人間だ。
失恋すれば誰かが必ず、その肩を抱いてくれる。
「……遠距離の恋人と結婚するから友達になってくれって、
聞かされたらね……我慢できなくなったのさ」
雨が松葉だけではなく石蕗も濡らしていく。
ネイビーのスーツが濡れて色を濃くしていた。
「ずっと指を咥えて、二人の幸せを見守っていろって?
冗談じゃない……バカにするなよ、石蕗」
「バカにするとか、そんなつもりは……
第一、お前の気持ちも知らなかったし……」
石蕗が心底祝福して欲しいと思っているのを、松葉はよく理解していた。
もし石蕗が松葉の気持ちを知っていたら、謝っていたはずだ。
そういう関係にはなれないと。
そして、お前は大事な友人だと言うだろう。
松葉が素直に伝えられてさえいれば、たしかにその道もあった。
この告白は、石蕗に受け入れてもらうことのできなかった、
行き場を失った気持ちを投げつけているだけに過ぎない。
「どうぞお幸せになるがいいさ。
言いたいことはそれだけだよ――石蕗、元気で」
当て擦りのような最後の言葉だが、
松葉にとってはこれも本心の一つだ。
呼び止める石蕗の声を無視して、
雨に濡れたコンクリートタイルを走った。
こんな風に誰も幸せにならない告白をするつもりではなかった。
堪えきれない惨めさに、涙が浮かんでくる。
傘を差している意味はほとんどないくらいに濡れ、
春用の軽いはずのトレンチコートは重みを感じる程水を吸いこんでいた。
ヒールのあるレインブーツは靴擦れして、
立っているだけで痛みを感じる。
痛みでようやく落ち着きを取り戻した頃には、
会社の最寄り駅まで来ていた。
オフィスビル街には休日も相まって人通りがない。
「どこか……どこか店でも入ろう、寒いし……」
飲食店に入るには、駅前の通りに戻らなければならない。
来た道を引き返す気分にはならず、辺りを見渡して
松葉は行きつけという程でもないバーの扉に手をかけた。
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