後編.出逢いは運命のように


 ここでようやくセスは、してやったりというふうに微笑むラファエルの意図を理解する。


 気分転換というのも嘘ではないだろうが、本当の目的はこの黒飛竜に騎手の候補としてセスを紹介することだったのだ。その厚意に背筋が伸びる一方、落ちこぼれの自分を色つき飛竜が選んでくれるとは思えず、セスはつい柵を握る手に力を込めていた。

 人間たちの会話を理解しているのかどうなのか、黒飛竜が草地を踏みしめながらさらに近づいてくる。普段の訓練で目にする一般の飛竜たちよりもやはり大きいが、蒼飛竜マリユスほどではなさそうだ。

 真昼のの下、飛竜の身体が動くのに合わせて黒曜石の鱗が控えめに光を弾く。長い尾をゆっくり上下させているのはバランスを取るためなのだろうが、セスにはそれが心の揺れを表しているようにも見えた。


「ええと、……クロ?」

「フォン」


 呼ばれたから答えた、というおざなりさではあるが、少なくとも嫌われてはいない様子にほっとして、セスは右手を柵から離しそっと差し伸べてみる。大きな頭が近づいてくれば心臓が飛び出しそうに高鳴るが、動揺を見せて警戒を強められたくはないので、平常心を念じながら飛竜の動きに任せる。

 全身真っ黒に見えた飛竜も近くで見ると部位ごとに濃淡があり、いきものらしさを実感させられた。こんな近くで観察することなど滅多にないので、新鮮な驚きと親しみの気持ちが湧きあがる。

 胸元には三又に分かれた鉾先ほこさきのような模様がうっすらと浮き出しており、それが三叉戟トライデントを思わせてまたも胸が熱くなる。連想から浮かんだ名前はなかなか良いような気がしたけれど、名付けは大切なことなのだから後でじっくり考えよう、と心の中で決意した――その瞬間、黒飛竜がセスの手にぐいと頭を押しつけた。


「わ、っ?」

「フォ、フォゥア」

「あはは、撫でてよ、だってさ」


 戸惑うセスの手のひらを飛竜の巨大な頭が押し上げようとする、その様子をみてラファエルが楽しげに笑いだす。言われるままに額の辺りを鱗の方向に沿って優しく撫でれば、クルルと喉を鳴らして黒い飛竜はその場にうずくまった。

 なぜ自分に、という疑問を凌駕りょうがして湧き上がってきたのは不思議な同調だ。なるほど、この子はきっと――ずっと寂しかったのだ、と。


「ラフさん、飛竜って人の心を読めたり……するんでしょうか」

「かれらは人間よりずっと魔法的な存在だから、そういうこともあるかもね」


 会話に気を取られ手を止めれば、控えめな声が「ファ」と誘う。キラキラした紫水晶アメジストのような目が、まっすぐセスを見つめていた。飛竜が乗り手を選ぶのだというラファエルの言葉が胸に迫り、視界がぶわっとぼやけてゆく。


「ラフさん、俺が、この子を迎えてもいいんですか」

「もちろんだよ。今日すぐに連れて帰るってわけにはいかないけど、この子が望むならバートも他の職員たちも反対なんてするわけないさ。君の父君と兄君だって、の飛竜に選ばれたと聞けば認めてくれるだろうよ」


 竜牧場の職員たちはともかく、父と兄に関してはどうだろうか。それでもセスはもう、この黒飛竜をあきらめるなどできそうになかった。

 人の肌とはまるで違うつややかで滑らかな鱗の下に、確かな命が息づいている。これほど美しいいきものに、こんなふうに選ばれてしまったら、もう手放すなど考えられない。


「俺と一緒に来てくれる?」

「ファッ!」


 力強いこたえが返る。人の言葉を話さずとも、強く輝くかれの目に映る意志は明確だった。ぼやける視界を服の袖で拭い、セスは黒い飛竜の首を撫でながら精一杯の笑顔を向けて言った。


「わかった。次来る時までに、名前を決めておくよ。約束するから、待ってて欲しい」

「フォウ、ファーンッ」


 翼をばたつかせ、ねだるような声で鳴く。もしかしたらこの子にはもう、自分が思い浮かべた名前が伝わっているのかもしれない。なだめるのも不慣れなセスがあたふたしている様子をしばらくにこやかに見守っていたラファエルが、横から手を出して黒飛竜を撫でて落ち着かせてくれた。

 彼とは王と騎士という関係なのに、時々こうして弟でも見守るように扱われるのはどうしたことなのか。複雑な思いで視線を送るも、いつものように笑顔で流される。


「手続きさえ終えればすぐに引き取れるよ。セスもこの子も初心者だから、飛べるようになるまでは訓練が必要だけどね」


 温かいだけでは終わらない現実に立ち返り、セスは思わず背筋を伸ばした。


「はい、俺、頑張ります」

「ファッ、フォアッ!」


 息ぴったりに合いの手を入れられて、やはり飛竜は人の心を読める――というより感じるのかもしれない、とセスは思う。

 この子とならきっと、どこへだって行けるだろう。立ち上がり翼を羽ばたかせながら鳴き声を上げる姿は迫力ある幻獣だけれど、セスがその挙動から思い浮かべたのは、アルテーシアに甘えるシッポだったので。



  ⭐︎ ★ ⭐︎



 こうして、見習い騎士は黒飛竜を得て飛竜騎士に任命された。


 お世辞にも要領が良いとはいえないセスと、まだ若く元気と好奇心にあふれた黒飛竜――トライド。仲は良くても訓練が難航したが、努力の甲斐あって今ではすっかり一人前の黒竜騎士である。

 こうして時々竜牧場へ視察に行くと、バート氏は孫をみる目でトライドを撫で回しては威嚇いかくされ、感涙にむせぶのだ。トライドには迷惑なことかもしれないが、愛されているのが良くわかる。トライドも、本気で嫌がっているわけではないのだろう。


「バートさんに会えるのも楽しみだな、トライド」

「ファ……」

「いいじゃん、トライドだってもう大人なんだから、立派に成長した姿を見せてあげなよ」

「ファウ、フォア」


 出逢いの日を思い浮かべながら、降下する前にもう一度顔を上げ、広く景色を見渡した。


 深緑が若草と混じりあって大地を覆い、さながら絨毯じゅうたんのようだ。緑地に切れ目を入れるかのように運河が走り、宝石をばら撒いたかのような輝く蒼海へと注ぐ。

 麦の収穫は今が本番だ。過去には圧政で苦しんだエルデ・ラオの国民たちも、少しずつ暮らし向きが向上しているという。竜騎士は国軍、つまり本来は戦争に備える軍隊の一部である。けれど、この平和で穏やかな日々がいつまでも続いてくれるように――そう願わずにはいられなかった。

 国土も農地も、飛竜と人の命も、二度と踏みにじられたりしないように、と。


「頑張ろうな、トライド」

「ファッ」


 頼もしいこたえに自然と笑みがこぼれるのを自覚しながら、セスは手綱を取り直す。

 光り輝く水平線の向こうへ、まだ見ぬ美しい未来を思い描いて。

 




[竜世界クロニクル・三周年特別編 - 出逢いは運命のように〈完〉]

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