[3-4]彼の過去と王子の決意


 ラファエルが手を止め、ネプスジードを見た。

 眉間にしわを刻み口元には自嘲じちょうの笑みを貼りつけて、彼は淡々と告白を続けてゆく。


「もう五年も経つが、今も最後につないだ手の温もりが忘れられない。俺は、神官戦士としての務めを果たしたのだ、正しいことをしたと信じていた。だから神託により下される使命を疑いもせず、こなし続けていた。三年前、までは」

「三年前? 何か……あったっけ?」


 ラファエルが首を傾げる。セスにとっては、騎士育成訓練所に通い始めた頃だろうか。何か以前にも、三年前という話題を聞いたことがあったような気がするが――。


「二十歳になって間もない頃、俺は神託により密命を授けられた。帝国にて行方不明となったを捜しだして連れ戻せ、その半身が生きていたら救世者へのにえとするため捕らえよ、と」

「あっ……それって、ルシアと」

「知っていたか。そうだ、現魔王ルウォーツ様と、その妹だ」


 炎に崩れる町で対峙たいじしたラディオルが、執拗しつようにアルテーシアを殺そうとしていたのを思いだす。狂気的に思えた少年がクッキーを出してくれるまでになろうとは、関係性というのもわからないものだ。

 魔王軍の対応が軟化した背景にはラファエル王子の存在だけでなく、主導的な立場にあるネプスジードが考えを変えたことも関係しているのだろうか。囚われていた間に何があったかは聞けていないが、アルテーシアは魔王軍の者たちとずいぶん仲良くなっていた。

 ラファエルは何も言わなかったものの、表情が見るからに厳しくなる。ネプスジードは王子の睨みを受け流すように視線を揺らすと、ふっと笑った。


「厳しい戦闘訓練を積み暗殺すらも行えるようになっていた俺が、わずか十四歳の子供に負けたのだ。ルウォーツ様は俺の派遣をし、先回りして俺を無力化したのさ。……当人には不本意だっただろうが、俺はその事実に神託の真実性を見た。妹を贄とすることで彼の能力ちからが安定すれば、俺がこなしてきた任務の正当性も証明されると考えたのだ」

「君は今も、そのやり方が正当だったと信じているのかい?」


 鋭さを含むラファエルの問いにネプスジードは一瞬押し黙り、口元を歪めて首を振る。


「残念ながら。戦火神は神殿ここに居らず、俺を動かしていたのは神をかたった老人でしかなかった。俺は、偽の神託を信じて妹を死なせ、多くの罪なき者を腐りきった神殿へ売り渡してしまったのだ」


 エルデ・ラオ国を占有したあと、魔王とネプスジードは王城に隣接した中央神殿へ何度か出向き、調査を行おうとした。しかし、大神官をはじめ高位の神職者たちに阻まれ、思うように進まなかったのだという。

 事態が大きく変化したのは皮肉にも、主城とともに神殿外壁が砕かれ、聖所が露出したからだ。死者こそいなかったが、怪我や精神的なショックによって神職者たちは意気消沈し、洗いざらい吐いたらしい。

 ラファエルは具体的な内容を聞きたがったが、ネプスジードは「後ほど書類を渡す」と答えて詳細には触れなかった。

 とはいえ、政治や神事に疎いセスでも、今までの流れから大方の予想はつけられる。


 過去、神殿に仕えていた者の口から語られる衝撃的な告白には、言葉を失うばかりだ。セス自身も戦火神が不在であると証言することはできる。しかし、正確にわかりやすく説明できる自信はない。

 いずれ、デュークたちと合流する目処が立ったら。

 神を信仰しない身で神官戦士ネプスジードにとっての是非を判断することはできないので、デュークの口から説明してもらうのが最善だろうと考える。


「それで――」


 重い沈黙を割るように、ラファエルが発言した。彼には以前、戦火神に関わる現状を話してあるので、ネプスジードの話は納得できるものだっただろう。しかし彼もやはり、その話をこの場ですることはなかった。

 ほとんど空になった深皿の横にスプーンを置くと、ラファエルは姿勢を正して魔将軍に向き合う。


「君と魔王は、王家と神殿の不法な癒着を正す目的で、エルデ・ラオ国を占有したというわけかい?」

「ルウォーツ様はそうかも知れぬ。だが、俺は違う。この道を選んだのは、まったく個人的な復讐ふくしゅう贖罪しょくざいのためだ。断罪や粛清しゅくせいなどといった大義名分を掲げるつもりはなく、何かの地位を求めているわけでもない。王子が望まぬのなら手を組むのはあきらめるが、断じて、国を潰すつもりもない」


 険しい双眸そうぼうがまっすぐ王子を見返していた。沈黙が張りつめ、しばしの間二人は無言で睨み合う。やがて、口を開いたのはラファエルだった。


「……実は僕も、君たちにこの事実を告げられた時から思い悩んでいたよ。国王と王太子が圧政と搾取さくしゅで国民を苦しめていたことは、僕の耳にも入っていたし、僕を擁立ようりつしようとする派があったことも、知っていた。でも、僕はその状況に向き合うより……息子として弟として、父と兄かれらに認められることを、望んでいたんだ」

「それは、王子くらいの年頃なら普通ではないか」


 顔色も変えずネプスジードが応じる。意外にも同じ考えだったので、セスは頷き同意を示した。しかしラファエルは首を横に振り、口元だけで笑って言う。


「君の話を聞き、……ここの食事を口にして、自覚したよ。僕は、国民が僕に寄せる期待を真剣に受け止めるべきだった。君のように、忠義心から不法行為に関わる者。奪われる側の痛み。僕を支持する者たちが僕に向けていたのは、ただの期待じゃない。彼らは僕に、圧政からの救いを、不法を犯す王族からの解放を求めていたんだ」

「ラフさん……。でも、言葉でいうほど簡単ではなかったんでしょう?」


 たまれなくなり、セスはつい口を出す。ラファエルの言葉が事実だったとして、それが王族の責務だとしても。死のふちに追いやられるような日々を潜り抜けてきた彼が、自責に駆られるべきだとは思えない。これ以上頑張れだなんて、言いたくはない。

 自分は相当、悲愴ひそうな顔をしていたのだろうか。視線を転じセスを見たラファエルは、なぜかふいに吹きだした。


「ふっ……はは、ありがとうセス! 僕は君の顔を見て、何だかすっかり吹っ切れたよ! そうだね、簡単ではなかった。僕は僕なりに一生懸命やってきたつもりだし、全部が間違いだったなんて思わない。……でも、だからね」


 ずっと迷い揺れていたあお双眸そうぼうに、強い光が宿ってゆく。言葉通りすっきりとした表情でラファエルは魔将軍ネプスジードを見返し、からりと笑った。


「わかったよ。僕は今度こそ、君を含めた国民の期待にこたえよう。以前の王族が犯した罪を徹底的に洗いだし、出来うる限り償い、取り戻し、二度と同じことが起きないよう制度を整える。僕一人では難しいことだけど――助けてくれるだろう? セス、ネプスジード」

「王子がそう決めたのなら、勿論もちろんだ」


 即答をネプスジードに奪われ、一瞬言葉に詰まったものの、セスの心も決まっていた。だから、強く頷いて答える。


「はい! 俺も、ラフさんの力になりたいです。国政や軍事外交はまったくわからない俺ですが、頑張って学びますので」


 ラファエルは一度、泣きだしそうな微笑みを浮かべ、それから破顔一笑した。


「ありがとう。エルデ・ラオが今度こそ誰もが誇れる故郷となるように、僕は力を尽くそう。よろしく頼むよ、僕の騎士たち」

「はい、よろしくお願いします!」


 寄せられる信頼が嬉しくて、騎士と呼んでもらえたことが嬉しくて。ああ、やっぱりこの人は王子なのだ、とセスは実感する。

 自分なら傷を隠してこんなふうに立ちあがれるだろうか。彼はこれからも、傷つくことがあっても逃げずに立ち向かい、先頭に立って進み続けるのだろうか。だとしたら、せめて隣に立ち支えられる存在でありたい、と願う。

 目指すものができたことは嬉しく、心も躍るようだ。


 すっかりその気になったセスは、しかし、偽神の件に輝帝国も関わっているのだという事実を、このときすっかり忘れていたのだった。




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