〈幕間五〉占者がみた未来・前編


「星が、落ちるかもしれん」


 ルフィリアが軍事国家エルデ・ラオを訪れることになったのは、そんな祖父の一言からだった。星を読む占い師である祖父は、あの夜、エルデ・ラオの未来に何かの兆しをのだろうと思う。


 物心ついた頃にはすでに、祖父と二人きりの旅人だった。両親はルフィリアの幼少時に亡くなったのだという。

 記憶に残る祖父は当時から髪も髭も白かったので、不思議には思わなかった。成長するにつれて、自分の白磁器のように白い肌や、ほとんど白に近い青銀の髪が、どこの国にも見られない特徴だと気づいたけれど。

 祖父は星読みの占者せんじゃで、薬師くすしだった。旅をしながら人を、わずかな礼金を受け取って路銀にする。祖父が商売として誰かを占うのは見たことがない。星を読むのは旅先を決めるときだけで、その結果を吉凶と結びつけたこともない。


 ルフィリアは祖父からきざしの読み方を習い、薬草師としての知識や技術を教わった。料理を覚え、護身のために少女の身でできることを学び、情勢を把握はあくするため旅先では欠かさず広報誌を読んだ。

 日々の日課としてこなしていたそれらが、まさか――一国の命運をわけることになるだなんて、考えたこともなかった。




 祖父と一緒にエルデ・ラオ国へ入り国王への謁見えっけんを求めたのが、さかのぼって二ヶ月ほど前だろうか。

 王への目通りは叶わず、門前払いに近い扱いで祖父とルフィリアは追い返された。祖父が怒るでも悲しむでもなく飄々ひょうひょうとしていたのはいつも通りだったが、その足で「離宮へ向かうか」と言いだしたときには、付き合いの長い孫娘としても正気を疑ってしまった。


「おじいちゃん、本気?」

「ふぉふぉ、王と王太子は戦火神せんかしんの熱狂的信者だと聞いたからの。想定内じゃ」

異教徒よそものを歓迎しないのがエルデの国家方針なら、離宮に行っても追い返されるだけだと思うけど」

「どうじゃろうな」


 首を傾げつつルフィリアは祖父にしたがったが、驚いたことに、離宮の末王子は二人を迎え入れてくれた。それだけでなく、しばらく滞在できるよう二人分の部屋を貸し与えてくれて、不自由がないよう使用人たちにも周知してくれたのだった。

 金髪にあおい目。飛竜を駆る騎士団長とは思えない、どちらかというと甘い顔立ち。訪れた日から親切だったラファエル王子は何か悩みを抱えているらしく、滞在中よく祖父の話を聞きたがって部屋へ呼んでいた。

 祖父もルフィリアも月虹神げっこうしんの信者なので、戦火神を奉じる国では異教徒よそものに違いなかったが、離宮の者たちはみな親切にいろいろなことを教えてくれた。


 末王子の母は王の寵姫ちょうきだったが若くして亡くなり、兄の王太子は成長してゆく弟王子をうとんでこの離宮に押し込めたのだということ。王と王太子は戦火神の殿から授けられる神託に傾倒しており、内政官や有力貴族だけでなく弟王子の言葉にすら、聞く耳を持たないということ。

 業を煮やした家臣たちが弟王子を次期国王にとしはじめ、王太子はますます意固地になって弟王子へつらく当たるようになったということ。現国王は王太子の言いなりで、王妃も姉王女も王太子側であり、ラファエル王子には後ろ盾がないこと――。


「こんなお話、旅人のわたしに話してしまっていいんですか?」


 自分たちに親切な女官たちが罰を受けるようなことになったら。心配するルフィリアに、彼女たちは優しげながらも悲しそうな目で微笑んだ。


「王子はとても好奇心の強いお方なの。でも、今は遠征や外遊に行くことすら許されなくてね……。だから、あなたがたが旅の話を聞かせてくれたら、きっと王子にとって慰めになると思うのよ」


 親兄弟を知らないルフィリアは、いるのに愛されないという辛さを理解はできない。しかし、彼女たちの優しい願いは胸の深いところに落ち、王子への意識を変化させた。

 これまでずっと旅人として生きてきたから、年頃の少女たちが話す流行りのお菓子スイーツお洒落ファッションはわからない。上流階級に属する貴人たちの話題なんてなおさらのこと。

 しかし、旅先で目にした国々や人々、地域独自の風習や気候や風景――などを話すのであれば、得意とするところだ。旅の話を王子が喜んで聞いてくれるのなら、楽しい時間を過ごせるかもしれない。


 年頃の少女らしくルフィリアの胸にも、優しげで薄幸な若き王子への憧れめいた気持ちがあったのは、否めない。

 ラファエル王子は本当に人当たりがよく親切だったので――彼にエスコートされながらお茶とお菓子をたしなむひととき、なんてものが実現するかもしれないと、ルフィリアの乙女心はときめいた。

 その甘い幻想は、わずか数日後に打ち砕かれることになったのだが。




 ラファエル王子が食事の席で血を吐き倒れたと聞いたときの、祖父の行動は早かった。王家の者――といっても王子一人だが――以外は立ち入り不可な食卓の間に颯爽さっそうと飛び込み、あざやかな手際で応急処置を施したのだと言う。ルフィリアは現場を見なかったが、女官たちが涙ながらに話してくれた。

 手当てを終えた祖父に事情を聞いてみれば、普段あまり動揺しない祖父が珍しく厳しい顔をしていたので、ただならぬ事態だと悟る。


「あれはおそらく『魔薬まやく』と呼ばれるものじゃ。即死毒でないのが幸いしたが……毒というより致死性の呪いに近い。内側から身体をむしばみ、強烈な苦痛により死に至らせる。……儂がおらんかったら、王子は苦しみながら死んでおったろうのぅ」

「そんな酷いことを、だれが」

「犯人は不明だそうじゃ。しかしな、ルーファ。普通の毒薬だって、一般人がおいそれと入手できる物ではないじゃろう。ましてや、魔薬……手を回せる者はそう多くないな」


 祖父は詳細を語らなかったが、それだけでルフィリアは暗殺を仕組んだのが王太子であるのを察し、視界が真っ暗になる気がした。

 離宮に押し込め、権利と自由を剥奪はくだつし、刺客を送って毒殺しようとする。ラファエル王子が何をしたというので、王太子はこんなにも酷い仕打ちをするのだろう。

 他人である自分でさえ、これほど悔しいのだ。王子がどれだけショックを受けたかを思えば、居ても立ってもいられなかった。


「おじいちゃん、王子はもう大丈夫なの?」

「おう、に『エルフの秘薬』を持ち合わせておったでな。こちらも、たとえ内臓が滅茶苦茶にただれようと治癒可能な特別製じゃ。安静にして、消化に良いものを食べておれば、一ヶ月ほどで快復できるじゃろ」


 事もなげに言っているが、祖父はいたのだろう。胸が苦しくなり、同時に熱がともる。

 森の民エルフは医術と薬学に関して人間以上の技術や知識を持っている。祖父は彼らと親交が深く、特殊な材料などを買いに時々エルフの村に立ち寄るのだが――事態を見越して用意しておいたのかもしれない。


「それじゃ、わたしにできることってあるかな?」


 助けになりたくて、慰めたくて。勢いこんで尋ねた孫娘に、祖父はいつものひょうとした空気をまとって教えてくれた。


「ふぉふぉ、それなら王子のため、消化の良い手料理を作ってやるといい。この辺で人気の家庭料理は、ポトフとか言われる煮込み料理らしいのぅ?」




 ラファエル王子が食事に一切手をつけなくなったと聞いたのは、次の日の朝だった。食欲がないとおっしゃる、と顔を曇らせて女官は言うけれど、本当の理由ではないだろう。

 使用人たちのための食材は彼ら自身で仕入れているが、王子の食事は城側が手配している。誰がどこで毒を仕込むかわからないような危ない物を口にできるはずがない。かと言って使用人たちが城側へ物申すなど許されないだろう。


 昨夜の祖父の言葉を思いだし、ルフィリアは決めた。驢馬ろばを借り、門番に許可を得て街へ繰りだし、野菜と肉を買い込む。離宮に戻って厨房ちゅうぼうを借り、店で聞いた作り方を思いだしながら料理を始めたのだ。

 女官たちも、料理人たちも、止めなかった。

 異国からの旅人が食事を自分で作っている、という体裁だ。ルフィリアが何をしようとしているか気づかないはずないだろうから、みな期待を寄せていたのかもしれない。


 病んで療養している王子の元に乗り込んでいくのは、さすがにはしたなく思えて気が引けたので、祖父に便乗した。

 ベッドに横たわる王子の顔色は漂白した羊皮紙のようで、胸が痛んだ。診察を終えた祖父に場所を代わって貰うと、王子はかげった目を向けてはかなく笑いかけてくれた。


「ルフィリアも、見舞いに来てくれたの?」

「はい。それと……食事を持ってきました」

「いらない。食欲がないんだ」

「はい、聞きました。でも、祖父が、良くなるためには少しでも食べたほうがいいと言うので、ポトフを……作ってみたんです」


 憂鬱ゆううつそうにさまよっていた目が、ルフィリアを見た。ちらちら、と祖父のほうを確認しつつ、王子は血の気が失せた唇を震わせる。


「君が、作ってくれたの?」

「はい」

「それなら、食べる」


 祖父が立ちあがり、目配せをして部屋を出てゆく。ルフィリアは何となく察し、側にあったテーブルに運んできた大皿を乗せ、大きめのカップに薬草茶を少なめに注いだ。

 大皿にかぶせていたふたを外せば、ふわり立ちのぼる優しい香りが食欲を刺激する。


「王子、ご自分で食べられますか? わたしが、口元まで運びましょうか?」

「君が食べさせてくれるの?」

「はい。王子が、そのほうが楽なのでしたら」


 祖父の手伝いでよく看護をするから、弱った病人の世話は慣れたものだ。とはいえ、相手は一国の王子様、緊張する気持ちが強い。

 それでも王子が嬉しそうに頷くので、ルフィリアは椅子をベッドの側に近づけて、大皿から小皿に野菜と肉を少し取りわけ、スプーンで軽く潰してから、そっと王子の口元まで運んでみた。形の良い唇がついばむように食べるのを、どきどきしながら見守る。


 考えてみれば、祖父と患者以外の誰かに手料理を振る舞ったことなどはじめてだ。

 自分でも味見はしたし、不味くはないと思うけれど、エルデの一般的なポトフの味になっているか、王子にとって好みの味付けができているか――考えだしたら不安ばかりだ。それでも、差しだすとすぐ食べてくれる様子を見ていれば、やはり食欲がないというのは言い訳で、本当はお腹が空いていたのだとわかる。

 気づけば大皿に入れてきた分をぜんぶ綺麗に平らげて、王子はさっきよりだいぶ明るくなった表情かおで微笑んでいた。

 

「ごちそうさま。すごく、美味しかったよ」

「い、いえ! ぜんぶ食べられたみたいで、本当によかったです」

「うん。君が作った物なら、食べられる気がするな。……また、作ってくれる?」

「え、もちろん、わたしで良ければ」


 この日から、ルフィリアは王子の専属料理人になった。


 王太子の陰謀によって何度か危ない状況が生じ、一度は症状が悪化して、ラファエル王子の病床は予定より長くなってしまったが、ルフィリアと使用人たちが厨房を死守した甲斐もあり、十日もすれば王子はすっかり元気を取り戻したのだった。





 後編へと続く

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