幕間2 王都とあの子と秘策
ミュールのいなくなった王都では未だに搜索が行われている。しかし自室から出られないエリスの元へはそれに関した情報は降りてこない。
(姉さんは今どこにいるの……何か危害を加えられていないとも限らない……っ……既に命の危機だったら……)
母に言われた通り外出のできないエリスは、部屋の中を右へ左へ動いては時折立ち止まって思案し、不安そうな顔でまた動き出す。
(あぁ……姉さん……どうか無事でいてくださいませ……何故私には何も出来ないんですの……こんなにも無力を感じたのはセシル姉さんの時ぶりですわ……)
エリスはまた姉を失うかもしれない不安と恐怖と、自身の無力さに心が落ち着かない。自分の元に何の知らせも来ないことに憤ってもいる。それが行動にも現れている。
もう何日もそうして姉を憂う日々が続いてついに痺れを切らしたエリスはこの日、遂に
大きく深呼吸をする。
「……すー……ふぅ、ジゼット」
「はい」
扉の前に構えて、ここのところおかしな挙動をする主の様子を無表情で見ていたメイド姿の女性が抑揚のない声で答える。
「貴女は私が好きかしら」
主の唐突で不可思議な問いにも動じずジゼットは答える。
「はい」
「ではミュール姉さんは好きかしら」
「はい」
「……分かりました。では命じます。これより先のことは私が全責任を負います。まずは貴女は休憩時間の隙を縫ってここを抜け、
「お嬢様、機密情報を盗み聞くのは禁則事項では」
「いいのです。私が貴女を使うと決めた時にもう覚悟は出来ています。どうか信じて従って下さいまし」
「……承知致しました」
エリスだってやってはいけないことの区別くらいついている。
それでも、それを上回る程に姉が心配なのだ。異常な程に姉を失うことに怯えている。
暫くしてジゼットの僅かな休憩時間が訪れる。
「では」
「はい」
その少ないやり取りで意思疎通できる程度にはジゼットとエリスは親しい。
ジゼットは小さな頃から王女達と共に育ったのだ。
◇◇◇
ジゼットは孤児だった。
幼い頃に王都の孤児院に捨てられているのをそこの主が拾って育てることにした。無いに越したことはないが、そういうことも少なくないため慣れていた。
最初のうちは他の孤児と共に健やかに育った。ジゼットは感情が豊かでよく笑う笑顔の可愛らしい子だった。その年頃の子供と同じように友達と喧嘩もするし、時折友人と一緒に孤児院を抜け出して遊んで怒られたりもした。
だがいつからだろうか。皆がジゼットを怖がるようになったのは。
ジゼットは意識せずとも幼い頃から
最初は何かの偶然だと皆も気にしなかったが、育っていくにつれその力の使い方を独学で学んだジゼットはある日友人と喧嘩をした際に感情が荒ぶったことで誤って
そこからだ。その友人を発端にジゼットの力の噂は広まり、尾びれ背びれが着いたその話は大人達でさえも怖がらせた。前のあれは偶然ではなかったのだと、この子は脅威だと認めてしまったのだ。人は異質なものを嫌う。皆と同じでないと違和感を感じて排除したがるのだ。
刻々とジゼットは孤児院で避けられるようになり、最低限暮らしてはいられたが、彼女に恐れて誰も近付かなくなった。
そうして次第に感情を、表情を失っていった。
誰もジゼットを見ていないので孤児院を抜け出しても気にされなかった。その事実も彼女を傷付け、よく無造作に木や生垣へ風切で八つ当たりをしたりしていた。
だから本当に偶然だったのだ。当時のウルドがその様子を見て才能を見いだしたのは。
そこからは瞬く間にウルドが直々に孤児院から親権を貰いに引き取った。孤児院はなんの躊躇いもなくそれを手放した。
そして自身の部隊に引き入れるべく教育を始めたのだ。
普段は戦闘訓練と勉学を行っており、ウルドが懇意にしていたこともあり、
特に歳の近かった長女のセシルとは仲が良く、ジゼットは彼女の知識や思慮深さ、その才能をとても尊敬していた。セシルもジゼットを好ましく思っており、度々その無表情から感情を読み取られてからかわれたりする程だった。
そんな中でジゼットはみるみるうちに戦闘訓練で格闘術を会得していき、並行して城内の書庫にある魔法書とその他の勉学も叩き込まれたことで驚異的な戦闘能力を得た。
そうしてジゼットはウルドから早々に王直属の暗殺者に任命されて内密に暗躍するようになり、度々王都の不届き者の始末を任されるようになった。
彼女の風を操る力と格闘術は相性がよく、相手の気付かぬうちに近付き、直接触れずとも息の根を止めることなど容易かった。
ちょうどそれぐらいだろうか。ウルド王の愛娘、セシルが死んだ。姉妹たちと育ったジゼットは酷く悲しんだ。だが彼女の役割がそれを許さない。あの子達と過ごして取り戻しかけた感情は再び閉ざされ、その虚しさを任務に向けるしかなかった。
だから、そんなジゼットをウルドは見ていられなかった。自分が任せた仕事ではあるが、彼にとってジゼットは片腕も同然だけれども幼い頃から育てていたのだから娘にも等しかった。
そして彼女は暗殺部隊から外され、ミュールとセシルの教育係を兼ねた護衛として任命され彼女達と再会することになる。
もともと2人には護衛がついているのでジゼットの役割は薄く、専らエリスに勉学を教えたり、手を持て余す時は2人の様子を伺うように行き来をしていた。
そんな日常の中ジゼットは久々に王から直接任務を与えられた。
内容は遠方の街から訪れる貴族の到着が遅いため、何かあったのではないかと思い、それを確かめることと合流次第護衛することを頼まれた。
実際その進路を探してみると容易く見つかった。どうやら道中で魔物との戦闘があり、休憩も兼ねて少し休んでいたため時間がかかっていただけの様だった。
王都に到着する間際に今回の任務は何事もなく終わったと考えていたジゼットは何やら騒がしい王都の異変に気づいた。
すぐさま王座の間に戻ったジゼットに突きつけられたのはミュールが攫われたという事実だった。
彼女は王直々の任務だったとはいえ、外に出ていたことを悔やんだ。
自分がいればこんなことにはならなかった。そんなことはさせなかったと。彼女は当然のごとくミュールの捜索を申し出たが、しかし王からは捜索部隊に加わるのではなく、今はエリスを護衛して欲しいと頼まれたため、いつもの様に自分を押し殺してその任を受け入れたのだった。
◇◇◇
「陛下!どうやら王都から離れたシンズーの森を抜けたさらに先にあるキナラ村にてミュール様と思しき人物を見かけたと言う行商人がおりました!真偽は定かではありませんが如何致しましょう!」
「今は僅かな情報でも重要です。ウルド、隊を率いてその村へ向かって下さい」
「うむ、分かった。微かな情報でも今の我々には重要だ。取りこぼさないようにせねば」
◇◇◇
(ふむ。キナラ村ですか。王都からかなり離れてますね……よもや希少な魔法使いで転移魔法を使ったか、もしくはどこかで馬を盗んだか……とにかくお嬢様に伝えましょう)
ジゼットはエリスの命令の通りに、誰にも気付かれることなく、王座の間の外にある柱の影にて風読みを使って中の会話を盗み聞いて部屋に戻った。
「戻りましたね。途中給仕が中に入ってきましたが貴女の蜃気楼には気付かれませんでした。少し肝を冷やしましたが流石ですね」
「いえ。当然のことです。では報告をーー」
そうしてジゼットから姉の情報を聞いたエリスは少し思案する。
(お父様達を信用していない訳ではありません。しかし隊を率いての移動となれば馬を用いても自ずと進行速度も落ちるはず。果たしてそれで姉さんの救出に間に合うのか……)
「お嬢様」
「なんですの?今少し考え……」
「ーー行きますか?」
エリスにとって最も信頼できる戦力がそう答える。
「
「まぁ!貴女が自分の意思を示すなんて久しぶりね……でも……ふふっ……やはり貴女にはなんでもお見通しなのね。任せてもいいかしら。私の愛しい剣よ」
「勿体無きお言葉。ではすぐにでも向かいます」
「ちょっと待ちなさいな」
そう言うエリスは少し背伸びをしてジゼルの頭を撫でる。
「お嬢様……?」
「おまじないですわ。どうか貴女自身も無事に姉さんを助けて戻って下さい。無茶はいけませんよ?」
「……承知致しました。貴女の想いに応える為にも必ずや……では」
「はい。頼みましたよ」
主のその声を聞いてジゼットは侍女服とその闇夜を映した様な黒髪を翻しながら駆け出す。
「本当に、どうか無事で……」
◇◇◇
素早い動きと長年王城で務めていた知識で監視の目を掻い潜り、
ジゼットの魔法は機動力を格段に上げることにも使えた。
(必ずやミュールお嬢様を救い出さなければ……あの時菨がもっと早くに王都へ戻っていれば……いえ、今は目の前のことに集中しなければ。エリスお嬢様にあの様な顔をさせる輩は許しておけません)
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