第5話 境遇と自己犠牲と守攻
美咲がどうにかしがみつくミュールをなだめて歩き出せる頃には陽が沈みだし、森もその雰囲気をガラリと変え始めていた。昼間よりもキンと冷えた風が頬を掠めるのを感じつつ
「よし、それじゃあ流石に死んでるイノシ……じゃなかったボアノス?だっけか。の傍では夜を過ごしたくないしさっさと良さげな木を探さなきゃだね。」
そうして2人は歩くのだが、どうやら先程からミュールとの距離が異様に近い。
「えっと……気の所為だったらごめんね。……近くない?」
「っ!?そうでしょうか。でも少し離れればミサキがまた私の世界から消えてしまう気がして……と言うよりほんとに身体に傷ひとつ残ってないんですね……」
(あぁ……そう言えばミュールの境遇とか経緯とか聞いてなかったけど、私の行動が何か恐怖や不安のトリガーを引いちゃったのかな……)
「身体は自分でもなんで無事なのか分からないよ。ボアノスとぶつかった時異様に頭がスっとして気付いたら胸に牙刺さってたからね」
ちょうどその時美咲は良さそうな木が前方に見えたことに気が付いた。
だから美咲はミュールにとっても互いにとってもちょうど良いタイミングだと思った。だから。
「あのさ、ミュール。今夜お互いにとって大事な話をしよう」
辺りの安全を大雑把に確認した美咲はミュールを抱えて木の上に登り、2人がちょうど座れるくらいの幹の上で話を進めた。
「さっき言ってたのはさ、別に深い意味とかなくて。今私達こうして一緒にいて、2人して王都からのお尋ね者でしょ?これからも一緒だって勝手に思ってるしさーー」
「ーーお互いなんで死のうとしたか話さない?」
そうして静かな森で2人の声と木々のさざめきだけが風に流れる夜が始まる。
2人にとって最も思い出したくない、しかし隠してはいたくないと思う過去について打ち明けるのだった。
◇◇◇
お互いの境遇をひとしきり語り合って、
美咲はただただ驚きそして思った。
私なんてミュールの微塵も大変じゃない、苦しんでない、辛くない。甘えてたんだ。
……自分が一番辛いと自惚れてた。
(この子はこんなに小さな身体で想像もできない壮絶な経験をして、努力をして、親から突き放されても周りからの圧力に抗おうとしていたんだ。なんて強くて優しくて儚い存在なんだろう)
だからーー
「ミュールはさ、今少しは楽になれてる……?」
聞かずにはいられなかった。
だってそうでなければ、美咲が自分勝手に引き戻した命が、本来燦然と輝くはずだった命が、抜け出すために必死で決意した命が、まだ黒くくすんだままでいるのなら自分が許せないのだ。
少し間をおいてミュールは口を開く。
「ミサキは優しいですね。でも大丈夫。少しずつですが自分が王女で無くなった実感も湧いてきているんですよ。木登りなんて初めしましたし、魔物をあんな距離で見たのも初めてです。なにより、しがらみだらけの王都からこうして出られているんですもの」
ミュールだって美咲の境遇を聞いて他人事には思えなかった。頼りたくても頼れない。必死に縋った人からその手を払われる気持ちはわかるのだから。
「お互い、大変で面倒臭くて纒わり付いて来るしがらみから抜け出せてるのかなー。まだ実感無いけどね」
(まぁ私の場合は身体がおかしくなってるのもあって実感とか湧く前に考えることを放棄してる感じがするけど……)
そんなことを考えていたが、ふとミュールがさらに美咲へと身を寄せながら、ひとつひとつ大切にするように言葉を紡いでいく。
「ねぇミサキ。ミサキはこの世界でない所から来て、不思議な力をもってて、私を王都と言う名の檻から救い出してくれて、まるで小さな頃読んだ御伽噺の王子様ですよ。ふふっ」
月明かりを受けて金色に輝く髪をさらりと揺らしながら、その碧い瞳を弓なりに少し潤ませながら囁いてくる。
(……っ!ミュールはこういうの天然でやってるんだろうな。ホントに心臓に悪い……)
美咲は色恋とは無縁だった。
だがそんな美咲にも流石に分からされた。
今のこのミュールの前に平静を保てる男などこの世界には居ないだろうと。
だから、つい言葉が零れた。
「ミュールは可愛いね」
一瞬ぽかんとしたミュールはハッとして続けざまに言葉を並べた。
「っ!?な!可愛いだなんてそんな……
だったらミサキだって綺麗ですらっとしててかっこよくて私はすk…す、素敵!素敵だと思いますわ!」
(私(わたくし)は何を言っているんだ(でしょうか))
先程までとは変わって何故か恥ずかしくてお互いの顔が見れなくなった。
「……っ……なんだか眠くなってきましたわ!そろそろ寝ようと思います!」
少し太めの枝に身体を委ねるミュール
「そ、そうだね。確かに今日はホントに色々あったし疲れたよね。もう寝ようか」
ぎこちなく会話を交わして眠りにつくフリをする。
胸の高鳴りで眠気なんてないのに。
再び僅かに離れた距離を寂しく思いつつ、今日という奇天烈で今までの日々をぶち壊すような新しい1日をなんとなく振り返って眠気を待つ美咲であった。
◇◇◇
次の日の朝は騒々しい来客とともに訪れた。
ーーゴンゴンッ
「グギャー!ギッ!ギギッ!」
「ん……?何?なんの音?」
「ふぁあ……もう朝食の時間ですかぁ?」
眩しい陽射しに目が上手く開かない美咲、給仕が来たと勘違いするミュール。
謎の物音とその原因に気づくのに少しの時間を要した。
「んーっと?なにアレ?……」
(あーなんかゲームとかで見た事あるような気がする。メジャーどころかな)
美咲達の足元、木の幹の根元にはミュールより少し小さいくらいの背丈で、ぽっこりとしたお腹、細い手足と鋭い爪を持つ生物が木の枝を棍棒の様に使ってそこそこ強い力で2人の住処を叩いていた。
「あれは……確か……ミサキ、恐らくゴブリンです!彼らの習性上、木の上の実を落とすことに加えて周りの獣たちを引き寄せるためにこの木を叩いていると思われます!」
(へぇー、この世界の獣は音に引き寄せられるのか。あっ!だから私が昨日着地した音でボアノスが来たのか……)
などと感心する美咲と息を殺すミュールをよそに、確かにその音に誘われたボアノスがゴブリン目がけて突進を開始した。
ーードッ!
ボアノスが土を蹴る音がしたと同時にゴブリンはその小柄な体躯を活かしてすぐ横へ避けた。ゴブリンにとっては慣れた狩りのタスクのひとつなのだろう。
そう。ただ一つ、ボアノスの進む先の木の上に美咲達がいることを除けば。
(あ、この先どうなるか
急速に頭がスっとする感覚とともに理解を済ませる。
「よっし!」
「ミサキ……?」
美咲はもう少しで来る衝撃に構えつつ、次の行動を考え、どうすればミュールが安全に済むかに頭のリソースを全力で割いて探し出した。
ーードゴンッ!ガサガサッ
「ちょっと静かに待っててね」
そう言うと返答を待つ暇もなく、振動と共に落ちながらミュールだけを幹の上へと押し上げ自分は根元へ着地した。
「グギ?ギャッ!!!」
ゴブリンは狩りを成功させたと思って昏倒するボアノスの方へ視線を向けた。
そこにはいつもの狩りの通りボアノスが倒れてる。
当然ゴブリンは邪魔者を排除すべくその鋭い爪で美咲へ攻撃を仕掛ける。
「ッギャ!」
だが当たらない。切りつけを繰り返す。
しかし当たらない。むしろあえて当てないようにしてるのかと見紛うような軌道でその人物に躱される。
美咲の右肩から胸あたりへゴブリンの腕が振り下ろされる。それを見て素早く右下へしゃがみながら回避する。
続いて右爪が美咲を貫こうと突き出されるが、立ち上がると同時に左へ体を傾けつつ避ける。
攻撃が当たらないためか怒ったように目を吊り上げたゴブリンが左右の腕で交互に美咲を切り刻もうと何度も攻撃を与えてくる。
だがそれも当たらない。
(あぁ、やっぱり。視界の中でなにか事柄が起きる時、そこから起きる結果が理解出来る。ゴブリンの切り裂きの軌道が腕を振り下ろした瞬間に分かる。)
美咲は繰り返される怒りの交じったゴブリンの猛攻を全て躱しながら、ここからどうすべきか考えていた。
しかしこの時最も運の悪い事象がそんな美咲が理解できない範疇で起こっていた。
「っ!?ミサキ!ボアノスが……」
思わず静かにするのも忘れて発せられたミュールの声を聞いて、ゴブリンの攻撃より一瞬気を取られて背後を見る。
ーーッド!
起き上がったボアノスが美咲とゴブリンを目がけて再び体を起こして突進を仕掛けてきていた。
さらに目の前のゴブリンはこれを好機と見て腕を大きく振り上げている。
(あ、ミスったな。これは間に合わない……)
「グギャア!」
そこに付け込むようにゴブリンが攻撃を仕掛けている。ボアノスの土をける音もすぐ背後だ。
「ん、分かった」
(……この身体なら
そんな中でも美咲はゴブリンとの戦闘の膠着状態とボアノスの攻撃どちらも対処する方法を見つけた。
ゴブリンは美咲の背丈のせいで背後のボアノスの突進に少し気付くのが遅れた。
美咲はそのままそこに立ち、ボアノスの突進を背中に真っ向から受け、そしてその勢いを利用して爪をその肩にくい込ませつつもゴブリンへ拳をぶつけた。
ーーボゴォッ
◇◇◇
ーー【自己犠牲】により
【カウンター】【剛腕】を取得
【跳躍】→【瞬速】へ更新ーー
◇◇◇
舞い上がる砂煙に息を呑むミュール
そうして少しの間、辺りに静寂が訪れた。
そうして心配するミュールは驚愕の状態を見たのだ。
砂煙が収まりそこに立つみ美咲とその前に転がる顔面が半分以上陥没し脳髄やら何やらを垂れ流すゴブリンと、2度の衝突に耐えられず額から血を流しピクリとも動かないボアノスの亡骸だった。
(いよいよ化け物じみてきたな……)
美咲は客観的にみた時の自分の状況を考えてそう感じたのだった。
◇◇◇
「ミサキっ!なんでそうも簡単に自分を犠牲にした行動をとるんですか!」
美咲は先ほどの戦闘から少し離れた静かで見晴らしのいい広場のようなところで正座しながらミュールに怒られていた。
「いや、だから今言ったじゃん。あの状況で1番効率よく全部のことに対応できるのがあれだったんだって……何でかわかんないけど身体はぐちゃぐちゃにならなかったし……」
「だとしてもです!ミサキはそれでいいのだとしても蚊帳の外で見守るわたくしの気持ちも考えてくださいな!」
ミュールだって昨夜の話の中で美咲の身体がどうやら自己修復できることや、頭の回転が異様に早くなっていることは聞いている。
しかし聞いていることと実際に目の前でやられるのではやはり心が叫ぶのだ。もう大切な人を失いたくないと。もはや刷り込みのようにミュールの思考に絡みついたそのトラウマはまだ解けそうにはない。
「ミサキだってその身体がどこまでなら、何回までなら修復されるかは分からないのでしょう!?」
だからミュールは1度美咲が瀕死になった時の寂しさとやるせなさと絶望感を怒りに変えて、今こうして目の前であっけらかんと言ってのける当人へぶつけているのだ。
「あー、確かにそうかも。残り何回死ねますよー、みたいなのが分かればいいのにね」
またそんな美咲の間の抜けた返答もさらにミュールを怒らせるのだった。
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