2 外の世界と彼女と少女
第4話 外の世界と自己犠牲
王都脱出を無事に……とは言わないが辛うじて脱出成功させて、そのまま外の世界を初めて見て目を輝かせるミュールを抱えて走る美咲。
「ねぇミュール、っととじゃなくてミュールさん、だった……さっきまでは気軽に声掛けてすみません」
普段常人のそれよりも冷静に物事を考えるが、美咲だって焦りは感じるし口調も自分の意思が作用する。
ミュールは抱き抱えられるのにまだ慣れないのか少し頬を染めながら
「いいんですよ。わたくし19歳ですのでミサキの方が歳上ですもの。むしろわたくしこそミサキ、と呼んでましたし……」
「いやいや、王女様なんだから私みたいな平民呼び捨てで呼んでいいんだよ。変に謙虚だよね。まぁ私もその気持ちはわからなくはないけどさ。」
「ミサキ、もう王女ではありませんわ。ただのミュールです。
ーーなのでお互い気を使わないことを2人のルールにしませんか?」
「え、ミュールがそれでいいなら気疲れしなくていいけど、ほんとにいいの?」
「えぇ。わたくしも、多分ミサキも、お互いもう1生分は疲れたでしょう。なら今日この時からの2生目の分は自分のことだけ考える、気を使わない人生なんてものを目指してみませんか?などと勝手に思ってますの」
美咲はミュールはやっぱり凄いな、と思った。
自分より年下のミュールに、至極真っ当だが今までの美咲、ミュール達にはなし得なかった生き方を呈示されたのだった。
「うん。それいいね。私たち死のうとするくらい疲れ尽くしたもんね。なら1生分の疲れは消費してるって考えようか」
「ふふっ、はい。そうですね」
「でもまぁ、今現在も走って疲れてる最中なんだけどねー」
「っ!そうでした!ミサキ、目の前の森が先程言っていた姿を隠せそうな場所です!」
2人の眼前には王都かそれ以上の森林地帯が広がっており、その奥は木々に阻まれて目に見えない程だ。
(うん。たしかにここなら追っ手にすぐ見つかることもなさそうだ……と言うか私が全速力で走ったからミュールの言う通りなら、王都から何十キロも離れた森にいるんだけどね)
「よーっし、とりあえず休めそうな木陰とか大きな木の上とか探してみようか」
もともと美咲の生まれは母方の祖父の家で、かなり田舎だった。そのため虫を取りに行ったり、木登りをしたりなどは小学生あたりまでの夏休みで経験していた。
「あ、でもミュールはこういう所……というか外の世界自体初めてなんだもんね、大丈夫?体調悪かったりしない?なんならまだ抱えてようか?」
「こらっ、ミサキ、気を使わないって決めたでしょう。
ほんの数分で忘れるなんて案外ミサキにも抜けたところはあるのですね。ふふっ」
怒ったような顔をしてみたが思わず最後には何故かほころんでしまう。
「わたくしは大丈夫ですよ。それにこんな絵本でしか見たことの無い森が目の前にあるんですもの。胸が高鳴って止まりません!」
普段の落ち着いたそれとは違い、ほんの少し前屈みで楽しそうな音域の声がミュールから聴こえる
(綺麗な声だな……自慢じゃないけど人の顔色ばっかり伺ってきたから、わくわくして楽しそうにしてるのがよく分かる。
うん。連れ出して逃げてきてよかったってこれだけで思えるかも)
などと考えつつも美咲は楽しそうなミュールに返す。
「そうだったそうだった、なかなか癖は抜けないね……そりゃあ20年以上こびり付いた汚れは落ちないけどさ、少しずつ剥がしていくようにするよ。ありがとう。ミュール」
微笑みながら少し下を向いて覗き込むようにする美咲にミュールは今までに無い感情に出会った。
「……っ」
(なんだか……もやもやして、でも暖かくて、幸せで、これはなんだろう、わたくしはこの感情の伝え方が分からない……それが残念だけれど今はこのままでも十分に幸せですわ)
少しの逡巡の後にミュールは先程よりもぎこちない高めのトーンで先へ入ろうと促す。
「……?よく分からないけどそんなにどんどん進むと危ないよ、ミュールー」
◇◇◇
2人は森に入る。入口近くは外界からの光と上からの陽の光で少し明るい。
美咲は、心配いらないかな、なんて思いながら少し先を行く楽しげなミュールを見る。ミュールはなにか見つけたのか少し立ち止まって木々の隙間を縫ってその奥へ入る
少し遅れてその奥へ入る美咲。
そこには少し先に立ち止まり上を向きながら立っているミュールがいた。
(どうしたんだろ)
追いかけて寄り添うように隣へ並ぶ美咲はミュールと同じように視線を上に向けた
ふと、隣から、透き通る声が森に静かに響く
「ミサキ……綺麗です。世界にはこんな風景もあったんですね……っ…ぅ…」
(あぁ、確かに綺麗だ……)
今の自分にこの光景を全部言い表せないことが悔しいくらいに。
木の葉の影から柔らかに、しかし、しっかりと降り注ぐ光の雨と、
深い緑の葉と苔や土の香り、
そして何より、すぐ傍でその整った顔を少しゆがめながら、ハリのある頬を雨上がりの葉に伝う雨露のように静かに濡らして、それでも微笑みながらしっかりと見上げ続けるミュールの姿が美咲は何よりも美しく見えた。
「っ!いけませんね、こんなくらいで涙を流しては。もっともっと素晴らしい景色をもっともっと見たいです。せっかくわがままが通るようになったんですから、それにーー」
「ーーそれに、その景色の中にはミサキも居てくれると嬉しいです」
そう言うミュールの顔には涙の一欠片もなく、美咲が初めて見る満面の笑みが浮かんでいた。
◇◇◇
「んー!ここ良いかもね!」
美咲がそう言っているのは1人でひょいと登った少し幹の太い木の上だ。
「わたくしでも登れますかね……ぅん……しょっ……っとと、あれ?」
美咲がやったように手物の凹凸や枝の伸び方を見てぽんぽんと登っていくのは、木登り初心者のミュールにとっては至難の業だった。
「おっけーおっけー!大丈夫。今迎えに行くね!ちょっと離れててー!」
美咲は過去にはできなかった大胆な降り方……つまりただ飛び降りたのだ
ーードサッ
したが土とはいえそこそこの高さなのでそれなりに音もする。まぁ美咲からしたら無傷なのでなんの問題もないのだが……
ーーパキッパキパキ
「「!?」」
美咲は王都でした様に後ろにミュールを庇って立つ。
「ヴモッ……フガフガ……ヴォア!!!」
そこに姿を現したのは前世で言うところのイノシシを美咲の胸の高さほどにまで大きくして、背中にキノコや苔のようなものを生やしたモンスターだった。
「ひっ……ボアノスです、ミサキ、逃げましょう!」
本を読むことが唯一の心躍る頭の中の冒険であったミュールにとって魔物の図鑑も勿論覚えていた。
「そうはさせてくれなさそうだよ、ミュール」
もうボアノスは2人を目がけて走り出している最中であった。
美咲には今更ミュールを抱えて走ってもその速度に間に合わず、2人ともなぎ倒されて餌になるのは目に見えて分かった
(どうする?使えるのは跳躍力と落下の衝撃が無くなることだけ。ただ後ろのミュールには何があっても絶対に触らせない。)
美咲には攻撃する手段も無く、また、美咲だけなら躱すことも可能だが、それだと後ろのミュールは助からない。
「はぁ……くっ……そぉ!」
ーーダッ!!!
(やるっきゃない。何がなんでも。もし軌道を反らせればそれだけでいい。あの意気込みを。あの好奇心を。あの笑顔を失うよりはだいぶマシだ。)
美咲は両足に思いっきり力を入れて一気に解放し、目の前のボアノス目掛けて全速力でタックルをしかけたのだ。
「ミサキっ!?」
悲鳴めいたミュールの声を風切り音と共に耳に受けつつ、もうすぐ目の前に迫る目標だけを見つめて全身に力を入れる。
(大丈夫。何故か理解(わか)る。この軌道、この体制、この勢いなら
ーーッドォン!!
ー【自己犠牲】ー
まるで爆弾でも爆発したかの様な音と衝撃と共に美咲とボアノスが衝突し、ボアノスは牙が片方折れそのままミュールの横の木の幹にぶつかって頭から生々しい鮮血を流しながら口に泡を吹いて痙攣している。ミュールの素人目から見てもとても助かる状態では無い。
(っ!そんな事どうでもいい!ミサキはどこに!?)
目の前で起きた衝撃と横を通り抜ける轟速のボアノスに気が逸れてしまったが、今のミュールが何よりも大事なのは美咲の安否だった。
倒れるボアノスと反対側、美咲が突進していったその先の木陰に、ボアノスと同じように幹に体を預けるように倒れている美咲。いや、美咲だったものと言った方がいいかもしれないくらいには酷い状態だった。肩が外れているのか腕はあらぬ方向に曲がり、その背中には腹部から貫かれているのかボアノスの牙が突き刺さり、首は明らかに通常は向かない方向へ曲がっている。それでも、それでもミュールは声をかけられずにはいられなかった。
「……ミサキ……?」
「ミサキ、なんであんな無茶したんですか」
「ミサキ、なんで私を置いてでも横に躱さなかったのですか」
「ミサキ、ミサキ!なんで返事をしてくれないんですか……っ!……」
それを確認するのが怖い。
それを認めるのが嫌だ。
その気持ちがミュールの歩みを遅くさせる。
ミュールは息をするのも忘れてバクバクと五月蝿い心臓を煩わしく思いながらゆっくり近づく。
無慈悲にも、近づけば近づくほどその姿がミュールの丸く潤んだ瞳の中で大きくなる。
(そんなはずはない。だってミサキは塔から落ちても、城壁を飛び越えても、木から落ちても平気だったもの。さっきだってわたくしのわがままで幸せで勝手なお願いを伝えたばかりなのに)
もっとミサキと話したい
もっとミサキのことが知りたい
もっとミサキといろんな場所に行きたい
もっとミサキのいろんな顔が見たい
「……っ」
ーートサッ
美咲の前で膝をついて声も上げられず涙が溢れてくる。
自分はまた大事な人を失った。
また自分だけが助かってのうのうとこの世界を生きていくのか。
急速に色を失って行く世界に何も出来ずに流されるだけの自分だけが残っていく。
「っつー!めっちゃ痛かったんだけど何これ!」
「…へ?」
幻聴だろうか、焦がれた声が聞こえた気がした。ミュールは自分がまたおかしくなったのだと思った。2度目のその
「あの、ミュール……っふ……申し訳ないんだけど牙抜くの手伝ってもらってもいい?今はここ以外治ってるっぽいから……ごほっ……ズボッお願い、ズボッと」
◇◇◇
ーー【自己犠牲】により
【自己再生】【超速理解】を取得
【落下ダメージ無効】→【衝撃無効】へ更新ーー
◇◇◇
美咲は(これがへそ出しファッションか……)などと考えつつ
泣き崩れて自分に抱きついたまま会話もできないミュールをなだめるのに小一時間かかった。
「ねっ、ほら今は全然痛くないし身体だって全然おかしくないから!ほら、大丈夫ー!大丈夫だよ!だからそんなに泣かないでーー!!」
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