第2話 ミュール・シュタウンと運命の邂逅
「それでは改めて自己紹介を。わたくしはこのグレイヴ王国の第2王女、ミュール・シュタウンと申します」
◇◇◇
ミュール・シュタウンは、生まれた時から貴族の中で最も位の高い者が治める
グレイヴ王国はもう何十年も平和な時が過ぎ、民達も豊かで安全なこの地を愛していた。
元来女性が国を治めるこの王国ではミュールの母ミネアが女王として統治を行い、父ウルドは女王を支える王かつ兵士長の役割をしていた。
姉のセシルとは3歳程歳が離れていたがとても仲がよかったし5つ離れたエリスには2人そろって溺愛し、姉妹仲が良いと王城内でも評判だったのだ。
さて、ミュールの姉、セシル・シュタウンは天才だった。
舞踏会でのダンスではその容姿と指先まで表現力に包まれたそれは幼いながらにして周囲の目を釘付けにし、
勉学では両親が期待する王女としての学力と知識はもちろん、学者が学んでいる数学や歴史、地理までみるみるうちに会得していった。
(ずっとこの人の傍でこの人の治める国を見ていたい。)
ミュールはそんな姉に憧れ、尊敬し、この人こそこの国を治めるべきだと思っていた。
……そう、セシルが病で倒れるまでは。
この頃グレイヴ王国では流行り病が猛威を振るい、王国内の治療院は民達で溢れかえり、当然王宮でも要人達は外出を禁じられていた。誰もが皆、調合師達が流行り病に対する薬を開発するのを望んでおり、王宮の元老院でもそれを待つしかないと結論に至っていた。
ただミュールは、最も危険なタイミングで、しかし最も民のことを案じて
場内の書庫の薬草図鑑を漁り、何かないかと探し、無い知恵を精一杯振り絞って、偶然閃いたのだ。
今開発に使われている薬草と相性の良い実なる薬草が城の裏手、最も陽の当たらない誰も見ていないような場所に生えていたことを姉妹と共に散歩している際に見つけたことを。
そこからミュールが決意を固めるまでは早かった。自分を犠牲にしても民たちを救いたい、その思いで城をこっそりと抜け出そうとしたのだ。
しかし平和が長く続き緩くなっている警備とはいえ王女の1人が抜け出すのを許すほど廃れてはおらず、一瞬の間に捕まり、誰も言い分も聞いてくれずに部屋へ返された。
そう、ただ1人を除けば。
「姉様っ!恐らく今開発に使われている薬草であれば、小さな頃に城の裏手で一緒に見つけたあの実のなる薬草ならっ!」
ミュールが縋るようにセシルへ口早に問いかける。
「……っ!ふむ……それなら……あの薬草と大体これぐらいの調合品を集めて……」
セシルはミュールが時々あっと驚くような閃きをすることを知っており、それを凄いと、大切にして育って欲しいと思っていた。
だからこそこの時ミュールが言ったことを素直に聞き、自分の知識と照らし合わせても確かに有効かもしれないと判断したのだ。
ミュールでは不可能だったが、セシルにとっては城外へ抜け出すルートを考えるのは簡単だった。
そうしてセシルは城の裏手の実を取りに行ったのだ。
この時点で直ぐに城内の調合師に伝えるべきだった。だがたかが子供の言うこととたった今追い返されたミュールをみてセシルは外出してしまったのだ。
その実力と評価から、ほんの少しの自己欺瞞と自信があるばかりに…
そして運が悪いことに、ここでセシルは流行り病にかかってしまう。いくら聡明なセシルと言えども、病にかかる時はかかる。
1日後には直ぐに症状があらわれ瞬く間に悪化していった。
しかし当然ミュールがその間何もしなかった訳ではない。
姉がそうして取ってきてくれた薬草をいち早く城の治療師へ届けて、姉と話した調合品でどうにかならないかと必死に訴えた。
そうして確かに完成したのだ。王女姉妹の民を思う気持ちと閃きと知恵、調合師の寝る間も惜しむ努力で流行り病に対抗する薬が。
……しかし間に合わなかった。そう、セシルの病状の悪化に。
この病は個人差が大きく、子供や高齢者は進行が早い傾向にあり、この頃セシルは19歳であった。
そうしてセシルも例に漏れず、いや、運悪く非常に早い間隔で病が進行し、死に至ったのだ。
両親は酷く悲しみ、調合師達は自分の至らなさを自責し、ミュールとエリスは心になにか穴が空いたような、唐突に手からこぼれ落ちる何か大切なものがあり、それはどうしようもなくこぼれてこぼれて止まらなく、ただ悲しくて無慈悲な世界を恨んだ。
しかし辛くもそんなエリスの自己犠牲のおかげで民達に薬が出回った。既に亡くなった者や間に合わなかった者も居たが、徐々に回復する者も多かった。
そうして城内で、王国内で、家族内で、姉妹で、敬愛され尊敬された尊い命を犠牲に、公国崩壊を免れたのだ。
ミュールは自分を責めた。
なんであの時姉に話したのか
なんであの時あんなことを閃いてしまったのか
なんであの時姉をとめられなかったのか
なんで、なんで姉がこうならないといけなかったのか。
(私だったらよかったのに、姉様はこの国に絶対に必要なのに、姉様が1番素晴らしい人間なのに、薬草を取りに行ったのが自分だったなら……)
何日もそうして悲しみと自責の念で思い悩み、部屋から出てこない日が続いた。
しかし
ーーガチャリ
ミュールの部屋の守衛は久しぶりにその音を聞いた。ミュールが出てきたのだ。守衛は直ぐに女王に伝令を頼んだ。
この時ミュールは思った。
(姉様が命を犠牲にして救ったこの国を守らなければ。
姉様の代わりにならなければ。
民達が求める姉様にならなければ)
その感情だけで今までよりも必死に努力した。努力して努力して、どうにかエリスの様にならなければと必死で足掻いた。
自責の念と周囲からのプレッシャー、一寸先すら見えない暗闇を沼を歩くようにもがいて、頑張って、努力して、それでも…それでも自分は姉には及ばなかった。
そんなミュールにかけられたミネアの言葉は
「なんで貴女はこんなことが出来ないの」
一言。ただその母の一言で思った。
(あぁ……まだか……まだ努力が足りないのですね、姉様ならもっと出来た。姉様なら……)
その頃だろうか、ミュールの精神的な疲労は蓄積して身体症状としても現れるようになった。
食欲はほぼ無くなり、給仕から出されるものは最低限にお願いをし、それでも無理やり義務的に呑み込んで過ごした。
部屋からはなかなか出ない日々が続くことも頻繁にあった。
就寝前や起床後にはなにか凄まじく大きな金槌のようなものが自分を押しつぶすようなイメージが止まらなく、耳にはそこに居ない誰かのささやき声や母や教育係に怒られた際の叱る声が聞こえた。
それらは目をつぶっても消えないし耳を塞いでも止まない。
そういう時はただただ自分の無力さと理不尽なプレッシャーに押し潰されそうになりながら布団をにぎりしめ、必死に耐えるのだった。
そしてミュールは3年経ち悟った。自分には敬愛するセシルのような才能はないのだと、自分にはセシルのような価値はないのだと、自分には居場所なんてないのだと。
(あぁ、最初から答えなんて分かっていたのです……わたくしは王女足りうる人間ではない、それはもはやこの世界にいる意味すらもないのだと)
ミュールの心は壊れて砕ける1歩手前であり、それを支えていたのは姉の様にならねばと言う義務感と執着心だった。
それを諦めたミュールにはもう何も無い。努力も気配りも勉学も習い事も王女の階級も、そして自分自身の存在価値も何もかもがどうでも良くなった。
(あぁエリスごめんなさい……ごめんなさい。あとのことを全て任せてしまって。でももう私では無理なのです)
そうしてミュールは今出せる限りの気力を振り絞って、城の衛兵の巡回ルート及び時間、手薄な通路や部屋を頭にインプットした。
彼女はその一生で最後の、勇敢で意思のの篭もった、そして最低な決意の元で物見塔の上を目指して歩き出したのだった。
◇◇◇
「ご紹介ありがとうございます。
先程も言いましたが私の名前は九条美咲です。歳は22、大学生をやってます」
「ダイガクセイ……?それはなんなのでしょうか」
ミュールの問いかけに疑問を抱き、もしかしたら……と仮説を立てる
「あの、ミュールさんここでは勉学をするのはなんという場所ですか?」
可愛らしく首をかしげながらミュールは返す
「えっと……勉学は基本的に城内の要人は教育係に着いて貰って教わりますし、民達は学者の出す本を読んで好きなように学んではおりますが…特にその場所について名前などはないですけど」
(あぁ……この身体のことと言い、ここから見える風景と言い薄々変な気はしてたけど、今のこの返答を考えると……)
「ミュールさん、私今から変なことを言いますね」
「?はい、分かりました。」
「私、自死してからこの世界に生まれ変わった、つまり転移、もしくは転生したかもしれないです」
我ながら馬鹿なことを言ってるなと思いつつも、これぐらいしか考えられないので今最も
「……へ?」
間抜けた声を上げながらミュールは少しの間固まる。
「そんな転生なんて…お伽噺で聞いたくらいのもので実在するわけがないのでは……」
美咲はその反応が普通だと予想していた。
(と言うかそもそもよくこんな訳の分からない人物とこうも長く話してくれてるな……)
危機管理が薄いのか興味本位で話だけ聞いて衛兵に突き出すのか、美咲としては後者は避けたいのでミュールをあまり刺激しないでおきたいのは事実だ。
しかし継いで出たミュールの言葉は美咲を驚かせた。
「まぁ、もうなんでもいいです。どうせ1度捨てた命、生かすも殺すもミサキの好きにしてくださいな。わたくし自慢ではありませんが第2王女と名乗りはしましたが、諸事情でほぼ時期女王候補なのでいい交渉材料にもなると思いますよ」
唐突にとんでもない事実を明かしつつ生殺与奪権を渡してきたミュールのある種の潔さに驚く美咲だが。
「いやいや!殺したりなんかしないですよ!そもそも私が救った命なんですから、私からしたら生きてくれないと困ると言うか……」
そう言いながら後悔した。
大した自己満足だ。
どれだけこの王女が思い詰めたのか、何があったのか、そもそも死ぬほど辛かったのを同じく美咲は経験してるのに無理やり繋ぎ止めてしまったのだ。そう考えて
「ーーいえ、ごめんなさい」
美咲はミュールに対して初めて謝った
「私はミュールさんがどれだけ辛いかわからないです。
ミュールさんに何があったのかもわからないです。
でも同じ自死を選んだ者として、その決意を踏みにじったことを謝りたいです。すみませんでした」
ミュールはそんな美咲に目を剥いて驚いた。
(こんな方がいるのですね……この方は他人の気持ちを慮りすぎる。恐らくやはり何かしら苦労なされた方なのでしょう……)
美咲の言葉から、表情から、行動からとてもミュールからしたら悪い人には思えなかった。
「いえ、仕方の無いことです。私が自死を選んだのも自由であれば、貴女が私を引き止めたことも貴女の自由なのですから。この世界において誰かの自由を縛る事なんて出来ないのです。顔を上げてくださいな」
そう言われて顔を上げつつ美咲は感じるのだった
(あぁ、この人は優しい人だ。だからこそ心配になる。恐らくなんでも許してしまうのだろう。いくら自分が辛くても。)
「ミュールさん、ありがとうございます。そう言って頂けてありがたいです。ただーー
私をどうか許さないで下さい。
それも私の自由ですよね」
(はぁ……なんでこんなに救ってあげたくなるんだろ……)
この小さな、しかし大きな意味を持つ会合はこうして少しの会話だけで互いの人となりを理解し得るに十分なものだった。
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